Pampelmuse | ナノ
 そういえば最近、私が不運な目に会った時にはほとんどと言っていいほどミカドさんが現れているような気がする。



「君は水浴びが趣味なのかい?」

 私は雨の中、傘もささずに走っていた。何故なら、昇降口の傘立てにあったはずの私の傘が誰かに持って行かれてしまったから。ただ単に間違えただけならその人の傘が傘立てに残っているはずなのだけれど、傘立てに一本も残っていなかったことを考えると、きっと私の傘を持って行った人物は確信犯なのだと思う。非常に腹立たしい話だ。
そんな訳で仕方なく雨に濡れながら寮へと走っていた時にミカドさんに出くわしてしまった。簡単に説明すると、まあこんなところだろう。

「あ、いや…誰かに傘を持って行かれてしまったみたいで…」
「ふうん」

ミカドさんはそれだけ返すと早足で私に近づき、持っていた傘の中に私を入れてくれた。

「え、」
「それ以上濡れて帰ると風邪を引くだろう。もう引いてるかもしれないけど」
「!……」
「それに、彼も心配するんじゃない?」
「彼?」

突然ミカドさんの口から出てきた人物が誰なのか分からずに首を傾げると、ミカドさんは私から目を逸らして静かな声で言った。

「ほら、今朝廊下ですれ違った時、帽子を被ってた奴と二人だったでしょ」
「すれ違ったの気付いてたんですか」
「まあね」
「だったら…」

――声、掛けてくれれば良かったのに。

「……」
「ん?何だい?」
「……いえ…何でもないです」
ミカドさんが首を傾げて尋ねてきたが、私はそう言って首を振った。事あるごとにあの時のミカドさんの笑顔が頭に浮かんで、複雑な気分になる。別に、話しかけてほしかったわけじゃない、…と思う。それにあの場でミカドさんに話しかけられても取り巻きの女の子たちに睨まれるだけだろうし。
(じゃあ何で…)
自分の気持ちを整理できずもやもやしている私を見て少し不思議そうな顔をしたミカドさんだったが、すぐに「ところで」と口を開く。雨音が、少しだけ小さくなったような気がした。

「あの帽子の彼とは仲が良いのかい?」
「あ、はい。仲は良いですよ、同じハーネスですし」
「…ふうん。そうか」
「タケルがどうかしたんですか?」
「いや、何でもないよ」

ミカドさんはそう言うといきなり黙り込んで私を見つめた。私は何が何だか分からずにミカドさんを見つめ返す。しばらく続いた沈黙は、雨音のせいかあまり気まずいものではなかった。
こうして近くで見れば見るほどミカドさんは本当に綺麗な顔をしている。こんなに綺麗な顔で、スタイルも良くて、モテないわけがない。そうは分かっていても女の子に囲まれるミカドさんを見るのはあまり良い気分ではなかった。別にミカドさんが好きだからとかそんな理由じゃなくて、きっと、自分にはない物を持っているこの人が羨ましいだけなのだと思う。

それにしても。

「…あの、ミカドさん?」

さっきからずっと黙ったままのミカドさんにさすがに気まずさを感じてしまい、声を掛けてみたのだが返事はない。(聞こえてない、わけじゃないよね…)
 どうしたんだろうと心配になっていると、ミカドさんの手から傘が滑り落ちて地面に落ちた。突然のことに私は驚いて傘を拾い上げる。

「ち、ちょっとミカドさん、どうしたんですか…!」
「……」
「あーもう、持ち手が濡れ
「名前」
「…え、」

最後まで言い終える前にミカドさんが私の腕を掴んだ。その衝撃でまた傘が地面に落ちる。さっきまで小雨だったのに、気付けば随分と激しい雨になっていた。
ザーザーと響く雨音と、びしょ濡れになっていく髪や服。何よりいきなり名前を呼ばれたこと驚いてしまって一体何が起こったのか上手く理解できずに固まっていると、ミカドさんが私の腕を引っ張り、私はそのまま引き寄せられる。

「み、ミカドさ…」

下ろしていた視線を上げると、すぐ目の前にミカドさんの顔があった。あまりに唐突な展開に頭がパンクしてしまいそうだ。
(な、なに、これ、)
ミカドさんはそのまま私の腕をまた引っ張り、更に顔を近付ける。ミカドさんの息が頬に掠って、顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。恥ずかしくて、心臓が止まってしまいそう。(こんなの、まるで……)キスをされるのではないかと、そんなことを考えてしまった。

「ミカドさん、」
「!っ…あ………」

私が少し大きな声を出してミカドさんの胸を押すと、ミカドさんはハッと目を丸めて私の腕から手を離す。

「……ご、めん…」
「あ、あの、」
するとミカドさんは大慌てで傘を拾い、そのまま私に差し出した。

「これ使って帰りなよ」
「え…でもそしたらミカドさんが」
「良いから」
「せ、せめて途中まで一緒に帰りましょうよ」
「僕は走って帰る。本当に平気だよ」
「……でも…」

受け取った傘の持ち手はびしょ濡れになっていて、私は呆気としたままミカドさんに視線を戻す。珍しいというか、ミカドさんもこんな風に焦ったりするんだなと思った。いつも余裕そうな笑みを浮かべているミカドさんが、私と目を合わせようとしないなんて。
それに、さっきのは一体何だったんだろう。

「…また明日ね。名字さん」

さらりとそう言ったミカドさんの声は、少しだけ、震えていた。
 それからミカドさんはすぐに私に背中を向けて走り出す。雨に濡れてずぶ濡れになっているその背中を見つめていると、ミカドさんはものすごく優しい人なのではないかと思ってしまった。ずぶ濡れになっていた私に声を掛けて自分の傘に入れてくれて、挙句の果てに傘を貸してくれたのだから。いくら本人が大丈夫と言っても、こんな雨じゃきっと風邪を引いてしまうだろう。それなのにミカドさんは私を気遣ってくれた。(のだと思う)そうだ、明日、何かお礼をしよう。何か良いものはないだろうか。
(そう、また……)

「また明日…」

今日のミカドさんは何だかすごく変だった。そんなことを考えながら、私はしばらくその場に立ち尽くした。



 20140530