Pampelmuse | ナノ
 楽しい朝、シンジさんに買ってもらったサンドイッチ。そんな幸運の後には必ずと言って良いほど不運が起こるということを忘れて、私は完全に油断していたのだ。
放課後になり寮に戻るため一人で商店街を歩いていると、どこからか水が飛んできてそれは制服の色が変わるくらいに私を濡らした。突然のことに頭がついていかず、髪から滴る雫を視界の端に捕えたまま、私は唖然としその場に立ち尽くす。

「あらまぁ〜、ごめんなさいねお嬢ちゃん。大丈夫?」

(お、お嬢ちゃん…)どうやら水を運んでいた八百屋のおばちゃんの手が滑り、私に掛かってしまったのだろう。ものすごく軽い謝罪だったが、仕方がない。おばちゃんを責める気にもなれず、苦笑いで「大丈夫です」と返した。
びしょびしょになってしまった制服を見下ろし、溜め息を吐く。(ああもう…)かなり濡れてしまっているが、明日には乾くだろうか。もはやそんな不安だけを抱えながらまた寮へと足を進めた。とにかく早く着替えたい。こういう時に限ってハンカチを忘れてしまうし、本当にツイてないと思った。

 周りに変な目で見られながらも寮への道を進んでいくと、向こうから歩いてきた人物が私に気付き足を止めた。(あれは……)ミカドさんだ。
ミカドさんはびしょ濡れになった私を見るや否や驚いたように目を丸くして言う。

「まだ夏には程遠いのに水浴びだなんて、斬新だね」
「…み、水を掛けられただけです」
「え、君っていじめられてたの?」
「違います!」

失礼な質問をしてきた上に、びしょ濡れの私を心配する素振りさえ見せなかったミカドさんに私は思わず怒鳴るような口調で否定してしまう。しかしミカドさんはそんな私を軽く流し、ポケットから何やらお洒落なハンカチを取り出して私に近づいた。

「な…何ですか?」
「全身ずぶ濡れじゃないか。寒くないの?」
「そりゃあ寒いですよ」
「……君って運も無ければ記憶力もないみたいだね」
「えっ」
「敬語」
「……あ、」

(そうだった)
本屋で会った時にタメ口で良いと言われたのにすっかり忘れてしまっていた。というよりも、ミカドさんから出るオーラが同学年とは思えずについ敬語を使ってしまう。

「…なんか、敬語の方が話しやすいので」
「ふうん…まあ僕の美しさを前にして畏まっちゃう気持ちは分かるけど」
ミカドさんはそう言うと持っていたハンカチで私の頬を優しく拭いてくれた。そして髪や額の水も大雑把ではあるがきちんと拭き取ったミカドさんに私はぽかんとしてしまう。

「あ、あの」
「ほら、ボーっとしてないでブレザー脱ぎなよ」
「えっ、あ、はい…」
「そんな濡れたままのブレザーを着てたら気持ち悪いだろ」

(あ…あれ?)
もしかしてミカドさんって思っていたよりも面倒見の良い人なのだろうか。私は彼に言われた通りブレザーを脱ぎ、片手で持つ。するとミカドさんは、崩れてしまった私の髪を丁寧に直してくれた。今日は、あまりにも親切なミカドさんに驚かされてばかりだ。どうしてこんなに優しくしてくれるんだろう。不可解すぎて逆に怖い。後々何か見返りを求められるのではないかと、そんなことまで考えてしまった。

「あの、ありがとうございます」
「別に良いよ。なんたって僕は完璧だからさ」
「は、はぁ…」
「あと」

 まだ何かあるのだろうか。
妙に畏まってしまった私にミカドさんは薄い笑みを零した。やっぱりこの人は格好良すぎて何だか悔しい。
ミカドさんはまるで何かを確認するかのように私をじっと見つめてから、笑顔を崩さずに言い放つ。

「君、近くで見るとそこそこ美しい顔をしてるね」


何が何だかよく分からないが、これは、幸運ということにしておこう。



 20140513