koiNOtasatutai | ナノ
 朝が来た。
いつもより早くセットした目覚ましに起こされて、目を擦りながら布団を出て顔を洗う。鏡に映った自分の顔は、いつもとあんまり変わらないけど、何だか数日前から気になっていた隈みたいなものが見えなくなっていた。
(うん、ちょっとスッキリしたかも)
そんなことを考えながら歯を磨いて、寝癖を直して制服に着替えて、皆を起こさないように忍び足で女子寮を出る。ひんやりとした早朝の冷たい風に思わず身震いをしながら、私はあの場所へと走った。走るのはあまり好きではないけれど、不思議と足が前に進む。




 朝一の船着き場には、多くはないがそれなりの頻度で荷物をまとめた生徒が立っていることが多い、らしい。私は大きく広がる海を目の前に、足を止めた。乱れた呼吸を整えながら、船着き場にはまだ誰もいないことを確認して肩から力を抜く。

そう、私は、彼女に会いに来た。


 彼女にタダシを奪われて、私は散々傷付いて。そんな彼女がロストして退学になり、それじゃあバイバイなんて私にはできるわけがない。どうしても彼女を一言、叱っておきたかった。責めたい気持ちが心のどこかにあった。だけどそれだけじゃない。
(私はあの子に……――)



「船に乗るあたしより早く来るなんて、気合いバッチリだね」
「!」


 急に聞こえた声に驚いて振り返れば、そこには大きなリュックを背中に背負った彼女が立っていた。
もうロシウスの制服を身に包んでおらず、長くて綺麗な髪に似合うお洒落な私服を着ている。気のせいか、もうあの日のような薄気味悪さを感じなかった。

「まさか君がお見送りしてくれるとは思ってなかったよ。全然嬉しくないなぁ」
「っ……」
「…なんて」

冗談みたいに笑ってそう言った彼女が、急に真剣な表情を見せる。そして、静かな声で
「言いたいことがあるんでしょ、山ほど」
そう言った。
私はぎゅっと制服のスカートを握り締めながら、彼女を見つめる。目の前に立つ彼女はきっと、私が言いたいことが何なのか分かっているはずだ。しかもそれを、真っ直ぐに受け止める覚悟までできているらしい。彼女の顔を見てすぐに分かった。だけどそれが、すごくすごく悔しいと思った。

「…どうして昨日……たった一人で私たちに向かってきたの」
「……」
「たとえ強い武器を持っていたとしても、三人相手に一人なんてどう考えたって不利だよ」
「…え……?」
「仲間はどうしたの?ウォータイムに出撃したってことは、ロシウスの中で自分の役割があったはずでしょ」
「…悪いけど、何が言いたいのか全然
「もっと自分のLBXを大切にしてよ…!」
「!…は……、」

彼女は私の言葉に、目を丸くした。不意をつかれたかのようにキョトンとしたままの彼女に構わず私は続ける。

「LBXだけじゃない…人の気持ちも、周りのことも、自分が選んだ選択で自分がどうなってしまうのかも…!!」
「なに、言って……」
「貴女にタダシを取られて私は傷付いた、貴女に脅されてタダシはたくさん悩んだ、それだけじゃない!貴女が無暗に私たちに向かってきたせいで、貴女のLBXは使い物にならなくなって、きっと貴女と同じ小隊の人達だって困ってるはずだよ…!」
「っ……」

私は一歩二歩と彼女に近付き、自分よりも少し上にある胸倉を掴み上げた。

「ずっと…っ…言いたいことがあったの……」

ぐい、と彼女の体を引き寄せて揺らしながら、きつく彼女を睨み上げる。戸惑った視線が私に向けられていた。

「欲しい物を手に入れるために…最低なことをしちゃいけないなんて、きっと誰にも決められない。だけど……人を傷付けるのは、しちゃいけない」
「…!!」
「誰が決めたわけじゃなくても、それは、人が守らなきゃいけない決まりごとだよ」
「な…っ……」

あの時、彼女が私に事実を話した時に、私が言えなかったこと。弱かった私が、涙に負けて口にすることができなかった言葉。それを、全部、ひとつ残らず彼女に伝えてやりたかった。

「タダシは弱虫とか、薄情者とかそんな人じゃない。タダシをガラクタみたいに言わないで。タダシは物なんかじゃない、私にとってすごく大切な人で…」
「…、……」
「私が、心から大好きで、大切だった人なの」

だから、私は貴女を許したりしないよ。

「絶対に、許してあげない」
「……そんなこと…分かってるわよ」

ゆっくりと彼女の胸倉から手を離し、彼女を見上げた。そこには今にも泣きそうな彼女の顔があって、私は思わず唖然としてしまう。

「何で……」
「……近くで見ると、ホントに、綺麗だね」
「え…?」

悔しそうで、だけどすごく優しい顔だった。彼女は私の頬に触れた途端ぼたぼたと涙を零して、震える唇を噛み締める。その姿に何も言えずにいると、彼女は震えた声で言った。

「ずっと、見てた。憧れてた。君みたいになりたかったの」
「、」
「もう覚えてないよね、あたしをブレイクオーバーさせた日のことなんか」
「! ……私と…戦ったことがあるの…?」
「あるよ。あたしはずっと忘れられなかったよ」
「そん、な……」

少しだけ寂しそうに笑う彼女を、彼女と戦った日のことを、私はどうしても思い出せなくて。そうか、彼女は私を知ってたんだ。私が忘れてしまっていたことを、彼女はずっと覚えていてくれたんだ。憧れてて、くれたんだ。

彼女はゆっくりと私の頬から胸倉へと手を下ろして、弱弱しく掴み上げた。さっき私がしたみたいに。くい、と力なく私を引き寄せて、また涙を零す。零れ落ちた彼女の涙が私のリボンに染みを作った。

「優しくて皆から好かれてて、LBXも強くて、あたしに無いものたくさん持ってるから…きっと幸せなんだろうなぁ。そんな風に思ったの。だからタダシが欲しくなったの」
「……っ」
「でもそれは間違ってるって怒られちゃった」
「!」
「あの人の言う事ってさ、どうしてあんなに胸が痛くなるんだろうね」
「…え、……?」
「あの青い髪だけは、もう二度と見たくないや」

私の後ろで、彼女の乗る船が出港の準備を進めていた。気付けばさっきまでひんやりしていた風も、太陽の光に包まれて温かいものに感じてくる。彼女の長く綺麗な髪が、生ぬるい風に揺れた。すごく、すごく綺麗だった。それなのに彼女の顔が涙でぐしゃぐしゃで。

「…あたしね、名字名前に固執してたの」
「!」
「名字名前が持ってる幸せが欲しくて、だから奪って。名字名前みたいに強くなりたくて、だから強い武器で誤魔化して。だけど今……ぜんぜん、何も幸せじゃない」
「……」
「それなのにあたしに全部奪われたはずの君は本当に幸せそうで、……すっごく、綺麗だね」
「……っ、私は……幸せよ」
「、」
「だけど…後悔してることがある」

今度は私の胸倉から、彼女の手が離れていった。私はすぐにその手を掴んで、ぎゅっと握り締める。


「好きな人を、傷付けた」


彼女の目が大きく見開かれた。その顔があの時のカイトの顔と重なってしまって、思わず唇を強く噛む。
(好きになれなくてごめん、なんて……)
全部、全部嘘なのに。

「この気持ち、貴女なら分かるはずだよ」
「ッ……」
「貴女だって後悔してるんじゃないの」
「……め、なさ…っ」
「!」

何度か喉をしゃくり上げてから、彼女は、はっきりと口にした。


「ごめんなさい」


震えた声でもう一回、またもう一回、何度も何度も謝る彼女はそのまま地面にしゃがみ込んでしまう。その姿はまるで、泣き虫な自分のようだった。

「…憧れだった君が、あたしの目の前で泣くから…っあたしの前で、弱いところを見せたから……こんなの間違ってるって、あの人に言われなくたってあたし分かってた…!ホントは、すごくっ…すごく、すごく、後悔、してた…っ」

泣きじゃくって、苦しそうな呼吸音とか。辛そうな声とか。吐き出した咳とか。
もうこれ以上聞きたくなかった。

「…貴女は……最低なことをしたんだよ」
「っ、わか、ってる……そんなの…ッ分かってるわよぉ…!!」
「どうやって、償ってくれるの」

彼女のすぐそばに私もしゃがみ込んで、そっとその背中をさする。それに驚いたのか彼女はバッと顔を上げた。また、目が合った。本当は「大嫌い」って言ってやりたい。この広い海に突き落としてしまいたいくらい、恨んでた。貴女のせいでこんなことになったって怒鳴ってやろうと思ってた。居なくなって清々するって、言ってやろうと思ってた。
だけど私は、そんなことをしたって彼女が報われないことくらい分かってる。

(だったら……)


「ねえ」
「!っ……ぁ…」

そっと彼女の手を握った。そしてその白い手に、一枚の紙を握らせる。

「貴女が心から大切にしたいと思う人を見つけて幸せになったら、もっともっと強くなったら、私とLBXバトルしてよ」
「…え……?」
「そこで私に勝ったら、許してあげる」
「!…なんで、そこまで……」

まるで信じられないかのような顔で私を見つめる彼女に渡したものは、私の連絡先だ。本当はこういう目的で常備しているわけではないのだけれど、どうしても彼女とは、もう一度LBXバトルをしたいと思った。

 今度は、忘れてしまわないように。


「自分でも、分かんないや」
「…馬鹿じゃないの……あたしのこと、恨んでるんでしょ…だいっきらいなんでしょ…?だったらこんなもの…!!」
「貴女としたバトルを忘れたことは、私の罪でもあるんだよ」
「!!」
「だからこれは、私の罪滅ぼし」

そう言って微笑みかければ、彼女はまた悔しそうに唇を噛み締めてから、急に立ち上がってリュックを背負い直す。そして、いつものような声で私に言い放った。

「ひとつだけ教えてほしいの」
「…うん」
「……君の、好きな人は?」


 私の、好きな人は―――





















 船が出港する音を聞きながら、私は一人で船着き場に立っていた。
もう隣に彼女はいない。私は船が見えなくなる前に、涙が溢れてくる前に、早足でその場を去った。朝食の時間になる前に、もう一人、会わなくちゃいけない人がいる。


そういえば。

私が彼女の質問に答えた後、彼女が可笑しそうに笑って言った台詞がどうしても気になって頭から離れない。
(あれ…何のことだったんだろう…?)
考えて、すぐにやめた。次会った時に聞けば良い。その時まで、彼女に話したいことをたくさん集めておこう。だってまた、会えるから。今度は誰も傷付くことのない、LBXバトルができるから。
だからその時まで。もっともっと強くなろうと誓った。



『やっぱり、アタリだったじゃない』



 20141226