koiNOtasatutai | ナノ
 ウォータイムを終えてコントロールポッドが開くと、ばたばたと私の方へ向かってくる足音が聞こえた。

「名前…!」

涙で目の前が全然見えなくて声を聞くまではそれがブンタだとは分からなかったけど、私は震えた声でブンタを呼んだ。
「…ブンタ……」
ひどい声だと自分でも思った。情けなくて、弱弱しくて今にも消えてしまいそうな声。だけどブンタは私の手を強く握って、優しく言う。

「お疲れ様、名前。メンテは完璧にやっておくから、ゆっくり休んでくれ」

与えられるばかりの優しさに、また胸が痛んだ。





 ふらつく足取りでコントロールポッドを出て、私はそのまま誰とも会わずに寮へと戻るはずだった。しかし学校を出ようとした時、下駄箱の前でタダシと鉢合わせしてしまい思わず足が止まる。

「………」
声を掛けようか、声を掛けていいのかすごく悩んだ。だけど私に気付かずに下駄箱を離れようとしたタダシを見て、考えるより先に口が動いてしまう。

「タダシ…!」
「!」

タダシも気付いて足を止めた。振り向いて、声の主が私だと分かったのだろう。目を丸くして「名前……」と小さく私の名前を呼ぶ。さっき聞いたばかりなのに、私を呼ぶタダシの声がひどく懐かしく感じてしまって手が震えた。

「……さっきは…怒鳴って、悪かった」
「…ううん……」

控えめに首を振って、無理な笑顔を向ける。

「庇ってくれてありがとう」

その言葉を、タダシは素直に喜ばなかった。私から視線をずらして俯いたタダシが、まるで自分を叱るかのように両手で拳を作る。

「…俺は、散々名前を傷付けた」
「、」
「俺が弱いから、何もできなくて…っ、名前を守るには…こうするしか、なくて」

悔しそうに目を瞑ったタダシは、そのまま深く頭を下げた。柔らかそうな水色の髪が重力に逆らうこと無くタダシの顔を隠す。私はそんなタダシに何も言えず、唇を噛み締めた。

「本当に、好きだった。名前のことを守りたかったのに…結局、傷付けて泣かせて、俺は…最低だ」
「っ……」
「……昨日の朝…カイトが俺に言ったんだ。何が悲しくて、何がそんなに辛いんだって」
「え…?」

タダシはそう言い掛けるとゆっくり顔を上げて、私の顔を真っ直ぐに見つめる。

「…ずっと見てたから、分かるんだ。名前が何を見てるのか、名前が本当に好きなのは誰なのか」
「!」
「初めて気付いた時は悔しくて悲しくて、自分を怨むことしかできなかった。だけど今は違う」
「タダシ……」
「俺はお前たちに、幸せになってほしい。あいつは名前を救って、支えて、守って……俺ができなかったこと、全部やったんだ」

タダシが少しだけ悔しそうに、笑った。久しぶりに見る笑顔は、あの時と少し違って、大人びたものに見えた。でもきっと私も少しだけ、変わってしまったんだろうな。


「……ねえ、タダシ」

私はゆっくりとタダシに歩み寄って、そっとタダシの手に触れる。
どうしてか、涙が止まらなくなってしまった。


「かもめ公園、行こっか」


私たちの、思い出の場所に。





 タダシに振られたあの日から、私は今日までで一生分泣いただろう。今だってこんなに涙が溢れて止まらなくて。気付けば小さく頷いたタダシの目にも、涙が溜まっていた。私たちは泣き虫だ。泣き虫で弱くて、だけど。
お互いに頑張ってきたんだよね。

「聞いてほしいこと、たくさんあるんだ」
「私も」

私たちはそう言って笑いながら、数ヶ月前みたいに並んで歩く。

「この前タダシ、授業中に隠れて居眠りしてたでしょ」
「そういう名前は、授業中にCCMいじってただろ」
「それを言うならタダシだって教科書で隠しながら本読んでた」
「名前も同じことしてたくせに」

こんな風に笑い合いながら歩くのは、いつぶりだろうか。たまに笑いながら相手の肩を軽く叩いたり、はたまた少し速足になってかもめ公園へ急いだり。
ずっと話せていなかった二人だけの共通の会話は、あまりにたくさん溜まっていた。タダシだけしか分からない笑いのネタとか、ちょっと真面目な話とか。

 ねえタダシ、私はずっとこうして貴方と話したかったんだよ。聞いてほしいことも、言いたいこともたくさんあったんだよ。
――どうして正直に話してくれなかったの?
――ごめんね、何も気付けなくて。


「…あのね、タダシ」


かもめ公園のベンチに腰を掛けたタダシを、私はやっと泣き止んだ顔で見つめた。夕焼けが私たちを照らして、何だかすごくロマンチックで。大好きで大切だったタダシが、やっと私と目を合わせてたくさん話をしてくれて。
(……だけどやっぱり私、揺らげないや)


「私、後でちゃんとカイトと話してくる」
「……ああ」
「たくさん傷付けたことも、巻き込んだことも、嘘ついたことも全部。タダシが私にしたように頭下げて謝ってくる」
「ああ」
「だからタダシ」


私はタダシを見つめたまま、少し困ったように笑った。


「私がタダシにしたように、タダシも私のこと許してくれないかな」
「!」
「ずっとタダシを、好きでいることができなかったこと。タダシを好きでいることから逃げてしまった、私のこと」
「名前……」
「タダシ、本当にごめんなさい」

驚いたように私を見つめ返したタダシに、また私は、泣いてしまう。すると今度はタダシが困ったように笑った。

「名前は本当に、泣き虫だな」
「っ…う……」
「許すよ。全部」

タダシは立ち上がって、私の頬に流れる涙を拭う。


「本当に、本当に愛してた」
「私もね、本当に、本当に愛してたの」



それは私たちの、四回目のさようなら。




 20141224