koiNOtasatutai | ナノ
 それはいつも以上に退屈な授業を終わらせ、学校を出ようとした時のことだった。
名前がいないことや、今回の任務はやけに第一小隊(主にアラタ)が乗り気だったことを理由に、今日の出撃は第一小隊と第三小隊そして第四小隊のみとのこと。ブンタはモニター室に行くと言っていたから、きっとタダシもそれについて行っただろう。

僕は一人で学校を出て、商店街を歩いていた。すると
「ねえ」
と急に後ろから聞き覚えのない声が聞こえて振り向けば、そこに立っている人物に僕は目を丸くした。

「……君は」
「初めまして。ジェノック第五小隊隊長の、風陣カイトさん」

その姿、顔、僕は全部覚えている。その長い髪とロシウスの制服は、嫌なくらい記憶にこびり付いていた。彼女は他の誰でもない、名前からタダシを奪った女子生徒だ。

「…よく知ってるね。わざわざ調べたのかい」
「敵の情報を知っておくことは戦いをより有利にするわ」
「それはLBXの話かい?それとも…」
「恋の話」

彼女はそう言うとご自慢の髪を揺らして微笑んで見せた。

「名字名前ちゃんのことも、色々知ってるの」
「………」
「タダシとは随分前から付き合ってること。人柄も評判も良くて、色んな人から好かれてること。それに……人が良いから、今まで誰もロストさせたことがないことも」
「…へえ、そんなことまで調べたんだね」
「調べたんじゃない知ってたんだよ」
「は…?」
「ずっと、見てたから」
「……どういうことだい」

彼女の表情に妙な寒気を感じてそう聞くと、彼女の顔から笑顔が消えて僕は思わず眉間に皺を寄せる。まるで貼り付いているかのような薄気味悪い笑顔が消えたせいか、さっきとは少し雰囲気が違く見えた。

「最初は…最初はね、すごいなって思って見てたんだ。任務でジェノックの機体と戦った時に初めてあの子の機体と一騎討ちになって、あたしはあっさり負けちゃった。その時から、ずっとあの子のこと気にしてた。出撃しない日は必ずモニター室に入ってあの子のことを見てたの」
「!」
「そしたら…何でかなぁ、だんだん羨ましくなっちゃって……あたしにない物、あの子は全部持ってる気がしちゃった。強さとか、強い武器とかそういうんじゃなくて………幸せ、とかさあ」

少しばかり震えた声でそう言って笑った彼女の顔は、僕の瞳には酷く醜いものに映った。僕は何も言わずに彼女を見つめる。
彼女の話を聞いて何となく、少しだけ、分かったような気がした。

「良いなあ羨ましいなズルイなって思ってた時に、見ちゃったんだ。心底幸せそうに話してるあの子とタダシを」
「…君は、何が欲しかったんだい」
「見て分からない?私今すごく幸せ〜って顔してるあの子を傷付けてやりたかった。あの子の幸せが欲しかったの」

上品に笑う彼女は最後に薄っぺらい笑みを浮かべて、言う。

「タダシのことだよ」


 瞬間、僕の中で何かが切れた。
思いきり彼女の胸倉を掴んで睨みつける。ぎり、と歯を噛み締めて「最低だ」と吐き捨てれば、嬉しそうに彼女が笑った。

「さっきからずっと同じ顔だなって思ってたけど、そういう顔もするんだね」
「人から奪った幸せは、全く持ってその意味を成さない」
「……あの子に教わったの?そういう、人のために"怒る"っていう気持ち」
「………さあね」

僕も薄っぺらい笑顔を浮かべて、彼女を見つめる。
確かに彼女の言う通りかもしれない。僕は名前に、色んなことを教えてもらった。人のために何をすれば良いのか考えること、好きな人にそばに居て欲しいという気持ち、そして……

「僕は、名前が好きだ」

こんなにも、誰かを想う気持ちも、全部。

「……!!」
「名前のためなら何だってする覚悟がある。それは、名前も同じだ」
「なに、が…」
「名前はタダシのためならきっと何だってするよ」

彼女が目を見開いた。
(そう、これは…)

「君がどんなに名前を傷付けても、名前から全てを奪っても得られることが出来ないもの。…そうだろ?」
「………っ」
「名前に固執してるだけなんじゃないの、それ」
「違う…!!」

僕の言葉にバッと顔を上げてそう叫んだ彼女の胸倉から手を離し、ゆっくりと口を開く。僕よりいくらか背の低い彼女は、ぎゅっと唇を噛み締めたまま僕を見つめた。

『だから僕も名前を脅したんだ』

幸せになるために他人を傷付けることと、他人を傷付けるために幸せになることは、どちらもきっと同じように罪深い。彼女は名前を傷付けるために幸せになろうとした。そしてまた僕も、幸せになりたいがために名前を傷付けた。
決して僕らの罪が消えることはないだろう。

「ねえ、今、幸せかい?」

自分を責めるようにして彼女に問い掛けたが、彼女がそれに答えることはなかった。

「僕は少なくとも君よりは幸せだ」
「ッ……」
「僕、もう帰るけど」
「…あた、しは………」

彼女はふらついた足取りで僕の前に立ち、そっと細い腕を伸ばしてくる。その冷たい手は僕の肩に触れ、僕の制服を力なく握り締めた。

「あたしは……君でも、良いんだよ」
「、」
「……ねえ、キスしようよ」
「タダシはもう良いのかい」
「だって、タダシを奪っても幸せにはなれなかった……なら君が、アタリなんでしょう?」
「!」

僕の頬に添えられた手を、僕はすぐに振り払うことができなかった。

『好きになれなくてごめんね』

あの言葉が、また僕の心を締め付ける。結局、僕も彼女と同じなんだ。欲しいものが手に入らなくて、何一つ上手くいかなくて、苦しくて悲しくて。
(だけど……)

「僕は違う」
「な、っ…!」

やっと動くようになった手で彼女を振り払った。乾いた音が響いて、僕は、ぎゅっと自分の手を握り締める。

「名前は、僕を好きじゃない」

そう自分に言い聞かせては、何度惨めになったことだろう。けれど、いくら僕が願ったところで名前の一番にはなれやしないのだ。彼女がタダシの一番になれないのと同じように。
僕はそんなことを考えながら、今度こそ彼女の前から姿を消した。



 彼女の手駒にとられて名前を忘れられれば、どれだけ幸せだっただろうか。


 20141218