koiNOtasatutai | ナノ
 その日の授業は全くもって耳に入らず、先生に当てられてもまともな解答すらできずに何回も怒られてしまった。これはもう、みっともないどころの話ではない。
放課後のウォータイムだけは無事にこなせたものの、心はもうズタズタだ。
ウォータイムを終えて帰宅していく生徒たちを虚ろな目で見つめながら、私は一人で教室に向かう。涙は、まだ、出てこない。

 教室に着くと真っ先に蹲り、私はまた子供のように泣きじゃくった。
(無理だ、もう、何もかもが元には戻らないんだ)
泣いても泣いても涙は止まらないし、喉も痛くて肺が苦しい。泣いたって良いことなんか無い。それでも、私は泣くことしかできなかった。

『カイトと、付き合ってるのか』
『カイトの所に行くのか?』
『もう、話しかけないでくれ』

距離が、空きすぎてしまったように思えた。私たちにできた溝を埋めることは困難で、不可能に近くて。こうなることなら、タダシに告白なんかするんじゃなかった。最初から、容易く失恋をしていれば良かったんだ。勇気を出してしまったから、タダシに想いを伝えて恋を実らせてしまったから、こんなことになったのかな。
(もう分かんないや)

私は自分の体を抱きしめるように蹲ったまま、涙を流す。もう涙が零れているのかいないのか分からなくなってしまいそうだった。そんな時、ガラリと控えめにドアが開く音がして、私は息を止める。

「…!!」

私の視線に先に立っていた人物は、綺麗に三つ編んだ青い髪を垂らして、腕を組んで、どこか冷めたような目をしていて。それがカイトだと分かった途端に、私はこれでもかというくらい素早く涙を拭った。こんな姿、カイトにだけは見られたくなかった。しかしそんな私の思いも虚しく、カイトは静かな声で言う。

「また泣いてるのかい」
「……ッ」

カイトはそれ以上何も言わずに、ただ黙ったまま私の元へと足を進めた。そして私の目の前で立ち止まると、そのままスッとしゃがみ込む。それはまるで、子供の目線に合わせる大人のようだった。
私が返事をせずに蹲っているのを見て呆れたのか分からないけれど、薄く溜め息を吐いたカイトは私の隣に腰を下ろしたのだ。

「…僕で良いなら、慰めるけど」
「!!」

信じられなかった。また、あの時みたいに酷いことを言われるのだろうと思ったから。しかし今私の隣にいるカイトは、優しく、けれど少し拗ねているような声でそう言った。私は、あんなに酷い態度を取ったのに。せっかく自分から距離を縮めてくれたカイトを付き離すのと同じことをしたというのに、それでもカイトは私の隣から離れることはなくて。
 私はまたカイトにみっともない涙を見せてしまった。

「っ、かい、と……」
「…何だい」

涙でぐしゃぐしゃになった顔を膝に埋めたまま、手探りでカイトの手を探す。それはすぐに見つかった。少し冷えている手が、ぎゅうと私の手を握り締める。どきどきと鼓動が速くなり心臓が音を立てた。カイトに聞こえてしまわないか心配だ。

「…カイトに、慰めてほしい、よ」
自分で言った言葉のくせに、吐き気がした。私は弱いばかりで、カイトに頼ってばかりで一人になるとこんなにも死にそうなくらい臆病になってしまう。
 誰かが隣にいてくれるのが、当たり前になっていた。だからタダシが私から離れて行ってしまった時も、本当はカイトのところに行ってしまいたいと思った。だけどそれだけは許せないという自分のプライドと戦って、結局こんな、中途半端なままあっちこっち彷徨って途方に暮れてしまったんだ。
私は心のどこかで、これを望んでいたのかもしれない。カイトが助けてくれるのを、望んでしまっていたのかもしれない。そう思えば思うほどに、カイトへの気持ちが大きくなっていくような気がした。

『…タダシと別れたからカイトとなんて、そういうの…よくないと思う』

全く持ってその通りだ。あの時の私の答えは間違っていないと、そう自分でも思っている。けれど今の私は少し違くて。タダシとの"恋"とカイトとの"恋"は、似ているようで正反対だ。カイトとの"恋"は、苦しくて切なくて、胸が張り裂けそうになってしまう。それなのに、この世はどうしてこうも、どうしようもないことばかりが起きてしまうのだろう。

「……君は、さぁ…」

カイトは呆れたように溜め息をつきながら、私の肩を掴み思いきり引き寄せた。

「!っ、わ、」
抵抗する隙すら与えられずに、そのまま抱きしめられて顔に熱が集まる。焦ったまま何もできずに固まっていると、カイトの籠ったような声が耳元で響いた。

「そういうの、無意識でやってるんだったら相当ひどいよ」
「え、え?」
「…何でもない」

カイトのしっかりした胸板に顔を埋めると、どきどきと微かに心臓の音がする。
(…あたた、かい)
今だけは、こうしていても許されるかな。だってこうしていると、ズタズタに傷付いた心が癒されるような気がするんだ。

「カイト、ごめんなさい」
「…なんで」
「いつも迷惑掛けてばっかりで」
「迷惑だって思ったことは一度もないけど」
「!」
「名前」
「か、カイ
「好きだ」



 私の中のカイトの存在が、少しずつ、変わっているような気がした。



 20140507