unubore | ナノ
 伊丹君は余程驚いたのか、目を丸くしたまましばらく何も言わなかった。
私もまた、何も言わずに伊丹君を見つめる。時間がゆっくりと進んでいくのを感じた。掴まれたままの腕が少しだけ痛んだから顔を微かに歪めれば伊丹君は焦ったようにスッと手を離す。張りつめていた空気が、少しだけ緩んだ気がした。

「……おま、え……」

掠れた伊丹君の声が沈黙を破る。私は行き場を無くした手で、そっと伊丹君の制服の裾を控えめに握った。

「………好き」

零すことなく伝わるように、もう一度ちゃんと伊丹君にそう言う。しかし、言葉にした途端に"好き"という気持ちがこれでもかというくらい溢れてきて、顔に熱が集まった。
伊丹君はそんな私を見て、未だに唖然とした顔のまま口を開く。

「…俺、は……散々お前を傷付けただろ」
「…うん」
「…最低だ、って…思った…だろ」
「……うん」
「…あんなに…酷ェことしたってのに、」
「………、うん」
「……それでもまだ、俺に関わるのかよ」
「だって、好きなんだもん」
「!」
「そんな理由じゃ、駄目…かな」

ぽつりぽつりと続いていた会話が、途切れた。
伊丹君はまた目を丸くして私を見る。その顔はだんだんと歪んで、伊丹君は嬉しいのか悔しいのか悲しいのか分からない顔で私を抱きしめた。

「っ、え、」
思わず漏れた声さえも伊丹君の匂いに包まれて消えていく。伊丹君のしっかりした体は私よりもすごく大人びていて、すごく大きくて、優しくて。いつの間に私はこんなにも伊丹君を好きになってしまったのだろう。いつの間に、ちゃんと異性を愛せる人になったのだろう。
 少しばかり震える手で伊丹君の背中に手を回す。

「伊丹…くん、」
「…何だよ」
「……ありがとう」
「…は?」
「確かに私は伊丹君のことが大嫌いだったし、酷いことも沢山されて、泣いて、迷って、どうしようもないくらい伊丹君を恨んだ。…それなのにこんな、好きになって…心の底から悔しいけど、でも…嬉しい、よ」
「!」
「……好きになってくれて、ありがとう」

そう言って強く抱き付けば、伊丹君は私を引き剥がしてから私の首にキスをした。
突然のことに少し吃驚して肩を上げると伊丹君はどこか嬉しそうに口角を上げて笑う。(…そう、だ)たまにこうして笑顔を見せてくれる伊丹君のことを、好きになったんだ。今までリンコしか見えなかったはずなのに、男の子なんて恋愛対象にならなかったのに、こうして笑顔を見せてくれた、優しい伊丹君だったから。


「…一応、約束は守ってやる」
「えっ?」
「お前まさか覚えてねえのかよ」

伊丹君は私が首を傾げたのを見て呆れた顔をした。
(約束……?)一体何のことだろう。伊丹君と約束なんてしただろうか。記憶を探ってみても答えには辿りつかない。すると痺れを切らしたであろう伊丹君が私の髪をくしゃくしゃとかき混ぜながら言った。

「もう、誰のことも傷付けねえよ」
「…!!」

私はバッと顔を上げて伊丹君を見つめる。こんな伊丹君は初めてだ。すごく心臓がどきどきして、嬉しさがこみ上げてきた。
「伊丹君…!」
今度は私から伊丹君の頬にキスをする。伊丹君は少し照れたように顔を逸らして、「調子乗ってんじゃねーよ、マセガキ」だなんて言った。私はそれさえも嬉しくて楽しくて、思わず溢れてきそうな涙を堪える。

「ただ、お前を泣かせるような奴は徹底的に叩き潰す」
「っ、え、」
「分かったか?まこちゃんよぉ」
「!! …名前……」
「お前、俺に名乗ったことなかっただろ」
「う、うん」
「ジェノック第六小隊のメカニック、日辻まこ。…これ結構、有名だぜ」
「! えっ?それってどういう…」

伊丹君の言った意味が分からずに首を傾げると、伊丹君は私にデコピンをした。

「いたっ」
「男の趣味は最悪でも、顔だけはマシってことだな」
「…!?なっ、男の趣味だって悪くないし…!」
「とにかく、だ」

反論しようとした私の口を塞ぐようにキスをされ、思わず顔が真っ赤になる。さっきから伊丹君は不意打ちばかりを仕掛けてくるから心臓がいつくあっても足りない。どきどきと高鳴る心臓を抑えながら、私は伊丹君を見つめた。

「自分が思ってる以上に周りに目付けられてるってこと、自覚しとけ」
「…!」
「俺以外の男に触らせたりしたらロストさせてやるからな」

そう言って薄く微笑んだ伊丹君はひどく格好良くて大人びていて、少しずつだけど伊丹君と"両想い"という実感が沸いてくる。

「っ、い、言われなくても、分かってるよ…!」

口が悪いところも、目付きが悪いところも、性格が捻くれてるところも、悪いところなんていくらでも上がるのに、良いところを上げようとしたらなかなか思いつかない。優しいけど酷いし、格好良いけどガラが悪いし、だけどそんな伊丹君のことが大好きだ。仮想国が違うからとか、敵同士だからとか、そんなの私たちには関係ない。

 これからもどんな擦れ違いをするか分からない。また喧嘩して、お互いに大嫌いになることもあると思う。でも私たちは、きっとまたこうして"両想い"になるのだろう。周りに支えられながら、背中を押されながら、必死にお互いを繋ぎとめるのだ。

「伊丹君こそ、私のこと好きになりすぎてウォータイムに支障が出ないようにしてよね」
「はッ、自惚れてんじゃねえよ。お前の方こそ、俺に夢中になりすぎてロストすんじゃねえぞ」
「伊丹君こそ自惚れてるじゃない」
「そんだけお前のこと好きだってことだ」
「っ、!」

伊丹君は不敵に笑って、言った。

「お前を守るのも、倒すのも全部、俺一人で十分だろ」

そんな上から目線なところも、伊丹君の悪いところだ。それなのに、私はこんなにも伊丹君に溺れて、自惚れて、これからもきっとそれが治ることはない。でもきっと私たちはそれで良いんだ。自惚れてばかりの恋で良い。

「じゃあ私を好きでいてくれるのも、伊丹君一人で十分だね」
「んなの、当たり前だろ」


 伊丹君はポケットからキャンディを取り出して私に渡した。
「やるよ」
「…ありがとう」
受け取ったキャンディを見つめていると、伊丹君と初めて話した日のことを思い出す。

『黙って受け取れチビ』

「…さっさと食えよチビ」

隣に座り込みそう言った伊丹君は、やっぱりあの時と変わらない。私はそれが何となく可笑しくて、思わず笑みを零した。
「なに笑ってんだよ」
「ううん、何でもない」
「…なあ」
「ん?」

私が返事をしてから伊丹君に目を向けると、伊丹君は今までで一番優しい笑顔を見せた。
「っ、」
あまりの笑顔に、私は息を止めて驚いてしまう。


「好きだぜ、まこ」


そんな声が耳に届いたと同時に、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響く。
そういえばあまりの幸せのせいで忘れていたけれど、授業を丸々サボってしまったんだった。確か猿田教官の授業だった気がする。(うわあ、ちょっと、まずいかも…)そう心の中では思いつつも、何故か立ち上がることができない。
今はまだ、伊丹君の隣にいたいとそう思った。

「あー、授業終わっちまったな」
「…うん、そうだね」
「……」
「……」
「……まだ、ここに居たいって思ってんだろ」
「…伊丹君こそ」

そう言って、私たちは笑い合った。
 二人きりの屋上に、また、生ぬるい風が吹く。隣には伊丹君がいて、一緒に笑い合うことができる。そんな幸せに身を寄せながら、私は、広く青い空を見上げた。


「もう何度も言ったけど、あと、もう一回だけ」
「…ああ」

大きく息を吸い込んで、伊丹君に笑い掛ける。



「大好きだよ、伊丹君」



自惚れ


 20140418 END