unubore | ナノ
 ばちん!

乾いたような大きな音が耳に響く。鼓膜が破れるなんてことはなかったが、どうしてか手の甲がじんじんと熱く痛んだ。ああそうか、しつこく追い掛けて伊丹君の手を掴もうとしたら思いきり手を振り払われたんだった。

「……痛い」

小さな声でそう言うと、伊丹君は「しらねーよ」とだけ冷たく返す。私はそんな伊丹君を見上げた。眉間の皺がとても怖いからやめてほしい。
 とうとう伊丹君が目的地にしていたであろう裏庭まで追いかけて来た私に、伊丹君は呆れたような苛立ったような何とも言えない表情を見せた。何ついて来てんだよ、と言わんばかりの鋭い視線が突き刺さる。薄暗い裏庭でそんな目をされたら怖さ倍増だ。私は少し怖気づきながらも伊丹君に二度目の質問をした。

「…伊丹君」
「んだよ」
「何で私のこと避けるの?」
「……」

また無言。伊丹君は私から目を逸らして本日四回目の舌打ちを零す。さすがの私もだんだん苛々してきて、また先ほどのように叩かれることを覚悟で伊丹君の腕を掴んだ。
ばちん。さっきよりも小さい音が鳴り響く。また叩かれた。伊丹君が私を睨んでいる。その目がとても悔しそうなのは何でだろう。

「あんなに構ってきたくせに、いきなり、こんな…」

(こんなのって、ないだろう)続きは心の中だけで呟いて、私は俯いた。

「…良かったんじゃねえの」
「、え?」
「俺に構われなくなって、良かったんじゃねえの、お前は」
「!」

(それは…)
確かにその通りだ。ごもっとも。だけど実際そうじゃないんだこれが。自分でも訳が分からないけど、私はとにかく伊丹君と話がしたい。そもそも伊丹君が私を避けているままじゃあのゲームはどうなるんだ。あの下らないゲームは。

「伊丹君ほんとに自分勝手」
「、」
「……最後にもう一回だけ、聞くけど」
「………」
「何で私のこと
「あァ俺は自分勝手だよ」
「…!」

突然伊丹君が言った言葉に私は目を丸くした。ハッと顔を上げて伊丹君を見つめると、伊丹君は目を歪ませながらこちらを見つめている。心臓が締め付けられるようだった。

「…もうゲームなんてヤメだ」
「! え…?」
「せいぜい一生お気楽で甘ったるい恋でもしてな」
「…な、なにそ
「なァ。同性愛者の日辻まこチャンよぉ」
「!!」

 ぷつん。私の中で何かが切れる音がした。
私は思わず伊丹君の体を強く押してその場に押し倒す。ぐいっと力まかせに胸倉を掴んで目の前にある顔を睨みつけた。

「…絶対、やめさせないから」
「……」
「自分が言い出したことくらい、最後までやりなさいよ!!」

喉が枯れるほどに怒鳴りつけて、私は肩を震わせる。伊丹君の目が大きく見開かれて、彼もまた私と同じように微かに肩を震わせた。次の瞬間、ぐるんと視界が回って、伊丹君の後ろにあったはずの地面が空に変わっていた。何が起こったか理解できずに何回か瞬きを繰り返したが、すぐに攻守交替させられたのだと気付く。伊丹君は私の前髪をぐしゃりと乱暴に掴み、叫んだ。

「じゃあここで脱がして犯してやろうか!?そうすりゃテメェだってこれ以上
「やればいいよ」
「!!っ、」

私の言葉に伊丹君の目が今までで一番大きく見開かれる。私はぎゅっと唇を噛み締めながら自分のワイシャツへと手を伸ばした。リボンを半ば無理矢理外して、ボタンに手を掛ける。一つ二つとボタンを外していくのを伊丹君はただ呆然と見つめていた。
四つ目のボタンを外した時、ひゅう、と冷たい空気が肌に触れて私は思わず身体を震わせる。寒い。寒いけど、やめるわけにはいかない。もはや意地の張り合いのようだった。羞恥で手が震えて上手く動かない。動け、動け私の手。羞恥や悔しさと戦いながら必死な思いでワイシャツを脱ごうと手を動かす。私のブラジャーが伊丹君の目に入ったであろう時だった。

「っ……」

堪え切れなくなった涙がぼろぼろと頬を伝って落ちていく。その瞬間、伊丹君が強く私を抱きしめた。

「もうやめろ…!」
「離して、っ」
「お前…自分が何してるか分かってんのかよ!!」
「分か、ってる……これで、伊丹君の気が済むなら…またいつもみたいに、しつこい伊丹君に戻るなら…ッ好きなだけ汚してよ…!」
「ふざけんな!!」
「ッ、う、」

伊丹君の怒鳴り声とほぼ同時に、私の唇に何かが当たる。それは少し冷たくて、柔らかい何か。私がそれの正体に気付いたのは、それからしばらくのことだった。

(伊丹、くん、)

だんだんと暗くなる空と、ほのかに湿った地面と、伊丹君の、唇。
 目の前にある伊丹君の顔が見えなくて、私はただただ真っ暗になった世界に飲み込まれていくことしかできずにいた。


 20140307