unubore | ナノ
 船が見えなくなるまで私は船着き場から離れられずにいた。
(来て、良かった)
ちゃんと最後まで仲間を見届けることができて本当に良かったし、何より気持ちがスッキリとしている。言いたいことは、ちゃんと伝えることができた。私はすっかり明るくなった朝の空気を大きく吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。すると、その時だった。


「ジェノックは本当に甘ったるい奴等ばっかりだな」
「…!」

急に後ろから不機嫌そうな声が聞こえて振り向けばそこにはポケットに手を突っ込んだままその場に立ち尽くす伊丹君の姿があった。私は驚いて目を見開く。(いつの間に後ろに……)
私が伊丹君を無視して寮に戻ろうと足を浮かせると、伊丹君は「おい」と低い声で私を止める。掌に嫌な汗が滲んだ。

「……伊丹君には関係ない」
「あいつをロストさせたのは俺だ」
「、………知ってる。もう聞いたよ」
「俺のこと、死ぬほど嫌いになっただろ。未熟なメカニックさんよォ」
「!…ッ、うるさい…」

早くこの場を去りたくて伊丹君から目を逸らしたと同時に、私の右腕が伊丹君に掴まれる。突然のことに肩が震えた。

「っな、」
「お前、あいつのこと好きなのかよ」
「え…?」

予想外の質問に呆気としつつ「彼は仲間だよ」と答えると、伊丹君は短く笑って言う。何がおかしいんだろう。この人、頭がおかしいんじゃないのか。

「あぁ、お前はあの女のことが好きなんだったな」
「!」
「あんな女のどこが良いんだか」
「うるさい!リンコのこと馬鹿にしないで。伊丹君は何も知らないくせに…!」

掴まれた腕は痛いし伊丹君の目的が何なのかも分からないし、だんだんと嫌になってきた私は伊丹君の腕を振り払おうと腕を捻る。しかしそれは無意味に近かった。伊丹君が私を睨み付けながら言う。

「次はお前んとこの小隊長をロストさせてやろうか」
「っ……やれるものならやってみなよ」
「! 随分と生意気な目するじゃねえか。てっきり弱いだけのクソ女かと思ってたぜ」
「クソ女でも何でも良い。これ以上仲間を傷つけるつもりなら、ジェノックは黙っちゃいない」

私がそう言って伊丹君を睨みつけると、伊丹君は楽しそうに笑って私の腕を引っ張った。いきなり引っ張られたことにより私は伊丹君の胸に倒れ込む形になってしまう。
しかしそれは、伊丹君が私の顎をすくうようにして顔を近づけてきたことにより防がれた。すると次の瞬間、

「――…ッ、…!?」

唇に生温かいものが当たって、そのまま熱い何かがベロリと私の唇を舐め上げたのだ。

 状況を理解するのにだいぶ掛かったものの、やっと全てを理解した私は何ともいえない表情で伊丹君を見つめる。どうして彼はこんなことばかりするのだろう。最初は私のことが嫌いだからだと思っていたが、だとしたらキスするなんておかしいに決まってる。じゃあ好きってこと?(いやいや、それは冗談キツいって)


「なぁ、賭けてみねェか」
「賭け…?」
「ああそうだ。お前が俺に惚れるか惚れねえか、賭けようぜ」
「!何、言って……」

あまりに馬鹿馬鹿しいその誘いに、私は思わず苦笑してしまう。私が伊丹君を好きになるなんて、ありえない。ありえるはずがない。こんな最低な人、私は大嫌いだ。

「もしお前が俺に惚れなかったら、土下座でも何でもしてやるよ」
「! ……謝罪なんかされても、何にもならない」
「だったらどうして欲しいんだよ」
「、」

伊丹君はまた私の顔に自分の顔をグッと近づけて、汚く笑う。そんな彼から目を逸らさずに、私は言った。

「もう二度と、誰かを傷つけたりしないって誓ってもらうから」
「……面白ェ。誓ってやろうじゃねえか。けどその代わり、」
「!」
「お前がもし俺に惚れたら、そのリンコって奴がこれでもかってくらい傷つく羽目になるぜ」
「っ、リンコにだけは手を出さないで!!」
「おっと、そりゃ認めらんねーな。俺はお前の提案を飲んだ。お前も俺の提案を飲まねェと不公平…だろ?」
「!!…っ……」

私は少し考えた後、半ばヤケクソになって叫んだ。

「分かった……やってやる!!」



私がここまで伊丹君に苛立ちを覚えてこれ程までに嫌っている時点で、もう勝敗はついているのだ。リンコは私が守ってみせる。私はそんなことを考えながら、「それじゃあ、ゲームスタートだ」と言って去って行く伊丹君の後ろ姿を睨み続けた。


 20140124