unubore | ナノ
 嫌いだ、大嫌いだ、伊丹君なんか。心も肌もプライドも傷付けられた。

『お前のそれ、ただ甘ったるいだけの恋なんじゃねぇの』

そんなことあるはずがないと反論してやりたかった。それなのに、私はまるで図星を突かれたように何も言えなくなってしまって。伊丹君のあの汚らしい笑顔がいつまでも瞼の裏にこびり付いている。私は未だに溢れ続ける涙を拭う余裕すらない。もう何もしたくない誰にも会いたくないということしか考えられず真っ白になった頭のまま寮に戻った。

寮に入って女子寮への入り口であるドアを開けようとすると、誰かの足音が聞こえて私は足を止める。(だれ、だろう)誰かは分からないが今は一人になりたい。誰とも話したくないし、目を合わせるのすら嫌だ。何より、こんなにだらしなく惨めな自分の顔を見られたくなかった。しかし、

「あれ、まこ?」

後ろから聞こえた声は、サクヤのものだった。サクヤは少し心配そうな声で言う。

「さっき、リンコが探してたよ。ウォータイムが終わったくらいからまこの行方が分からないって心配して、…………まこ?」
「っ、」

どうにかしてこの場から逃げたいと思い声を出そうとしても、喉につっかえて言葉が出てこない。サクヤはどうやら私の異変に気付いたらしく、ゆっくりと私に近づきながら「どうしたの?」と問いかけてきた。私は「大丈夫だよ」と伝えたいのに、それができぬまま涙を零した。

「もしかして、まだ具合良くなってないの?だったら無理せずに、」

私が耐えきれなくなってサクヤを見ると、心配そうな顔で私を見つめていたサクヤの目が驚いたように見開かれる。私の涙を見たサクヤは一瞬言葉を失ったようで、口をぱくぱくと動かしていた。だけどすぐに私に駆け寄ってきて、肩を揺さぶる。

「っまこ、大丈夫…!?どこか痛いの!?す、すぐにトメさんを呼んでくるから…!!」

慌ててトメさんを呼びに行こうとするサクヤの腕を掴んで止める。サクヤはひどく心配そうに眉間に皺を寄せていたけど、私はやっと涙を拭ってサクヤに無理な笑顔を見せた。

「だい、じょうぶ、だから」
「まこ…っ」
「ごめん、ね、心配…かけて、」
「心配ならいくらでもかけてよ!それよりまこ、具合が悪いなら何でもっと早く言わなかったんだ!!」
「……ご、ごめん…」

どうやらサクヤは私の涙が体調不調だと勘違いしたようだ。まるでお母さんみたいに私を叱って、私の代わりに女子寮へと続くドアを開けた。
「今日はもうゆっくり休みなよ。明日のウォータイムも、絶対に無理しちゃダメだからね。分かった?」
「…うん、分かった…ありがとうサクヤ」
「気にしないで良いよ。仲間なんだから」
「! ……うん。ありがとう」

私はまた無理に笑って、女子寮へと入った。
 リンコへの気持ちと、伊丹君への気持ちがハッキリさせられなくてまた涙が溢れそうになる。
私はずっとリンコだけが好きだった。優しくて可愛らしくて、何より私のメカニックの腕をリンコは誰よりも褒めてくれて、支えてくれた。リンコの隣を独り占めしたいと思うようになって、私は初めて自分の気持ちに気付いたのだ。ユノやキャサリンやキヨカたちも私にとっては大切な仲間だけど、リンコは、リンコだけは違う。
(リンコは……)
リンコは、他の女の子たちには無いものを持っていると思った。それが何なのか、どのようなものなのかは上手く説明ができないけれど。でも確かに、私はリンコを恋愛対象として見ている。この気持ちは本物だ。

「っ、……」

近くの壁を乱暴に叩いて、私はその場に蹲る。

 甘ったるいだけの恋なんて、言われたくなかった。
まるで現実を突き立てられたように胸が締め付けられて、また伊丹君の顔が瞼の裏に映る。
(伊丹君なんか…!!)
伊丹君は私が思っていたような優しい人ではないのだ。薄い笑顔を浮かべて私にキャンディをくれた伊丹君は、ただの猫かぶりだった。私は悔しくて悔しくて、記憶から伊丹君を消してしまおうと髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。

(きえろ、おねがい、消えてくれ)

それでも消えない伊丹君を、私はまた死ぬほど嫌った。

(伊丹君なんか、大嫌いだ、最低、だ)


 21040120