AIkurushii | ナノ
「森乃君?」

 コンコンと聞こえたノックと、聞き慣れた声。皆帆の声だ。
私はゆっくりと瞼を開けて、体を起こす。どうやらトイレから自室に戻ってすぐ寝てしまったらしい。時計の針はちょうど昼休憩の時間を指していたから、びっくりして自室のドアを開けた。
すると目の前にはユニフォーム姿の皆帆が立っていて、私は思わず目を見開く。

「み、皆帆」
「やあ。具合はどうだい?」
「…ああ、だいぶ…良くなったよ」

寝起きのせいで少しくらくらする頭を押さえながらそう返すと、皆帆はホッとしたように「そっか」とだけ言って笑った。
 ふと皆帆の頬についた土を見て、もしかして休憩に入って真っ先にここまで来てくれたのだろうか、とそんなことを思う。

「午後の練習まで時間もあるし、少しゆっくりして行っても良いかい?」
「えっ ああ、いいよ、もちろん」

私がドアを大きく開けて歓迎すると皆帆は「ありがとう」と言い私の部屋に足を踏み入れた。すると皆帆はデスクの前で足を止めて、ある物をただじっと見つめていた。私は静かにドアを閉めて皆帆の元へと向かう。

「、」

皆帆の視線を追って、私も固まった。
皆帆が見つめていたのは写真立てに飾られた両親の写真だった。

「…これは」

君の両親かい?、と皆帆が小さな声で言う。

「…うん、そうだよ」
「とても…優しそうな人だ」
「うん…ありがとう」
「森乃君は、お母さんに似たんだね」
「!」

そう言われて思わず皆帆を見つめる。すると皆帆もこちらを見て、しばらく目が合った。私は唖然と皆帆を見つめたまま、ぽつりと小さく口を開く。

「そんなこと、初めて言われた」

皆帆も少し驚いたように口を閉じていたけど、すぐに優しく笑って「そうなのかい」と返した。

「優しそうな口元も、ぱっちりした目も、すごくよく似てるよ」
「…なんか、そう言われると照れるかも」

そう言って苦笑すると皆帆も可笑しそうに笑う。

 こんな話をしていたら幼い頃のお母さんとの記憶が頭に浮かんで、不思議な気持ちになった。
(おかあ、さん、)
お母さんが死んだ時、お父さんが泣いていたのを思い出す。私は幼くてお母さんの死を受け入れることができない状態だったから、幼い頃にお母さんの死を悲しむという経験がなくて。だけど、心にぽっかりと開いた穴は未だに埋まることがなく残ったままだ。
 お母さんが死んでから、もう十何年も経った。家事のせいで絵を描く時間は減ったけれど、やれることは何でも自分でするようになったし、そういった意味では、不自由はあまり無い。だからお母さんを思って泣くことはほとんどなくて、何より、お父さんに私の涙は見せたくなかったから。泣くことが無かったというよりは、泣くことを我慢していた。

 ――それが今になって、こんな気持ちが溢れてくるなんて。

 お母さんが死んでから初めてこんなに強く感じた"喪失感"。ああそうか、お母さんは本当に死んでしまったんだ、と。(もう何回も、そう、実感してきたはずなのに)どうして今更。どうして皆帆の前で、泣きたくなってしまうのだろう。

「! …森乃君?大丈夫かい?」

私が俯いたことに気付いた皆帆が心配そうに私の肩を軽く揺さぶる。しかし私は返す言葉が見つからず、ただ「ごめん」とだけ口にして皆帆に見えないように唇を噛み締めた。

「……、」

皆帆がふと、両親の写真に目を向けるのが視界の端に映る。
少し沈黙が続いて、私がいよいよ涙を堪えるのに限界を感じた時だった。

「…森乃君、自分のことはマネージャーにやらせずいつも自分でやっているね」
「! え…?」

予想外の言葉に少し驚いていると、皆帆はまた続ける。

「それに、掃除も洗濯もすごく手慣れている。いつも皿洗いの手伝いをしているし、それに今まで絵が描けていなかったのは"家にいると忙しかったから"じゃないかな。つまり君は、本当は君がやらなくて良いはずの事を強制されて…いや、君がやらなければいけないから、やっている」

まるでだんだんと迫ってくるかのような皆帆の言葉に、抑えきれなくなった涙が溢れだす。それと同時に、皆帆は私の顎を持ち上げ視線を合わせて、言った。



「君は、父子家庭なんじゃないかな」






(何もかも、彼には分かってしまう)



 20131220
一部の台詞はこれから引っ張ってきました!