AIkurushii | ナノ
 皆がお風呂を済ませてそれぞれの自室に戻ると、合宿所は怖いくらいの静けさで覆われた。時刻は夜の10時。私はそんな静かすぎる廊下をひたすら歩き、ある場所へと向かっていた。


 辿り着いたのは、目的地である皆帆の部屋。
控えめにノックをすると中から「誰だい?」と皆帆の声がした。さっきよりも幾らか落ち着いているようだ。私は「遅くにごめん、俺だよ」と部屋の中にいる皆帆の届くように答える。

しばしの沈黙のあと、静かにドアが開いた。中から皆帆が出てきて、私は少しだけ緊張してしまう。
「何か用かい?」
皆帆は眠いせいかいつもより喋るペースがゆったりとしていた。

「少し…話があるんだ」
そんな私の言葉に皆帆は少し驚いたように私を見つめたけど、拒むこと無く部屋へと招き入れてくれた。私は自分の部屋とは違った雰囲気を醸し出す皆帆の部屋に足を踏み入れる。

「そこ、座っていいよ」

皆帆はそう言って私をベッドに座らせようとしたけど、(別に深い意味はないが)何となくそういうのを意識したくないから床に座った。そんな私を見て、皆帆はベッドに腰を掛ける。

「…話って何だい」
「あ、ああ。さっき…皆帆が怒ったのが、すごい気になって」
「、あれは…森乃君には関係のないことだよ」
「そう思えないんだよ」
「!」

私の言葉に皆帆君はこちらを見つめて固まった。

「…どうして?」
「っそ、それは…よく、分からない…分からないけど、でも俺は、そんな気がして…」
「つまり勘ってことかな?」
「…」
小さく頷けば皆帆は私から視線を逸らす。


「ねえ」

不意に皆帆の声がハッキリと耳に届いて、大袈裟に肩が上がる。「何?」と返せば皆帆は口元に手をやりながら私に言った。

「今夜は暑いね」
「…あ、ああ、そうだな…」
「それなのにどうして、君はジャージを着ているんだい?」
「、」

思わぬところを突かれて私はサッと皆帆から目を逸らした。
 そりゃあ、皆帆はいつ私が女であることに気付くか分からないからそんな皆帆の部屋に行くのに薄着は無防備だと考えたから。体つきを指摘されないように、あえてジャージを上に着てきたのだ。しかしまさかそれを指摘されるとは思ってもいなかった。

「…べつに、特に深い意味はないよ」
「そっか」
「ああ」
上手くはぐらかせば皆帆も納得してくれたようで。すこし沈黙が流れた後また皆帆が口を開いた。
「そういえば君は、よく絵を描いてるよね」
「!…何で知って…」

確か私が絵を描いている場面に出くわしたのは剣城だけのはずだ。そう思った私が皆帆に問いかけると皆帆は「何回か、君が絵を描いているのを見かけたことがあるからだよ」と答えた。

「…見てた、のか…」
「うん」
「……絵を描くの、好きなんだ」
「それが君の参加条件と関係してるのかい?」
「ああ」

何となく、皆帆には話そうという気持ちになった。
 別に参加条件は隠すことでもないし、でも自分から進んで誰かとそういう話をするというのはあまり気が進まなくて。だけど今、なんというか、すごく皆帆に話したい。

「…俺が小さい時にね、お父さんの仕事が…上手くいかなくなったんだ」
「、」
「俺の将来の夢は画家になることで、だけどそれにはお金が足りなくて…。画材とか、結構お金かかるからさ。もちろんお父さんも応援してくれてた。だけどそれとお金とは別だ。お父さんがどんなに俺を応援してくれても、その気持ちはお金には変わらない。うちはどんどん貧乏になるばかりだったよ」

 皆帆は何も言わず、ただ私の話を真剣に聞いてくれた。
それからも私は自分の参加条件が「専門学校への入学金と画材を仕入れるための資金」であることを全て話した。だけど、自分が女であることと父子家庭であることは言わなかった。いや、言わなかったというよりは、言えなかった。べつに話すのが嫌だとか怖いだとかそういうんじゃない。だけど、どうしてもその事実は口にできずにいた。
 しかしそれを話さなくても上手く話はまとまった。皆帆はしばらく黙っていたけど小さな声で「話してくれてありがとう」と私に言う。

私はそんな皆帆に笑顔で
「…つまんない話だけど、聞いてくれてありがとな」
と返した。


 そして改めて、私は本題に入ろうと皆帆を見つめる。

「あのさ」
私がそう切り出すと、皆帆も私と目を合わせた。
「何でさっき、怒ったんだ?」
「…それは……」

黙って皆帆の答えを待っていると、皆帆は少し悩んだ末に「ごめん」とだけ口にした。

「え…?」
「今は、一人で考えていたいんだ。だからその質問には答えられない」
「!……そ、そっか…」
「わざわざ部屋まで来てくれたのに、ごめんね」
「い、いや良いんだ。無理に話すのは嫌だろうし…」

慌てて皆帆を宥めると、私は時計が11時を回っているのに気付き「じゃあ俺そろそろ部屋戻るね」と皆帆に告げた。皆帆も「うん」と小さく頷く。

「それじゃあ…」

私は立ち上がってドアの方へと足を進める。しかしドアノブに手を掛けてドアを開けようとしたその時だった。

「!!」

 気付けば強い力で腕を掴まれて吃驚して振り向けばそのままドアに押し付けられる。
私を押した力があまりにも強かったようで、ドンという鈍い音と同時に背中に激痛が走った。

「ッい――!!」
「森乃、くん、」
「! み、なほ…?」

私をドアに押し付けた犯人は皆帆しかいなくて、いつの間に私の後ろに来たのだろうと疑問に思ったがそういえば私がドアノブを回す少しまえに後ろからギシリとベッドから立ち上がるような音がしたような気もする。そんなことを考えていると、皆帆はゆっくりとした動きで私をきつく抱きしめた。

「――!!」
まるで甘えるように、縋るように。
何かを伝えるかのようにして、ぎゅうっと私を抱きしめる皆帆。

 いつもなら男装がバレることを気にして人となるべく距離を置いているのに、今だけは「大丈夫だよ」と皆帆を抱きしめ返した。

「森乃く、森乃君……ゆうき君、」
「……み、みな、」

おかしい、と思った。どうして、と、何で、と。だけどそれでも、拒めなかったのはどうしてだろう。こんなにも皆帆を近くに感じて、離れたくないと思ったのはどうしてだろう。

(……何、で)

「皆帆、」

私はそっと皆帆の背中を撫でながら、小さな声で言った。

「さっき…食堂で、井吹が皆帆にさくらと俺の話題を振っただろ」

皆帆は小さく頷く。

「その時の皆帆の顔が、目が、すごく怖かったんだ。苛々してて、機嫌が悪いあの目。…俺は、あの目を知ってるの」

(そう、あれは…)

「俺のお父さんと、同じ目」
「!」
「お父さんはいつも疲れ切った顔で家に帰ってきて、俺がどうしたのって聞いたら、さっきの皆帆みたいな目で言うんだ。"何でも無い"って」

思い出したら辛くなってきて、私は皆帆に抱きしめられながら涙を堪える。

「怖いんだ……あの目を、思い出すと…」

それは大好きで大切なお父さんを、唯一"怖い"と感じる時。

「もうさ…あんな目、しないでよ…、」

(ひどく怖くて、たまらないんだ)

「……ごめん」
「! 皆帆…」
皆帆は私を抱きしめる力を弱めて、力無く言った。

「もう、しないよ」

皆帆の顔はよく見えなかったけど、どんな顔をしていたのかは分からないけど、それでも皆帆の優しさだけが伝わってくるだけで十分だった。
 すると皆帆はゆっくりと私から離れて、「長居させちゃったね」と私の背中を押して部屋から追い出す。私が廊下に出たと同時に「おやすみ」と皆帆の声を最後にドアが閉められた。

「…みな、ほ、」

ぽつりと皆帆の名前をこぼして、私はしばらくその場から動けないでいた。


(自分の中で、何かが変わってきているような感覚に襲われる)



 20130923