colorful | ナノ
※阿部視点


 練習が終わると花井は急いで帰りの支度をしていた。時計をちらちらと見つめる姿に疑問を持ち、どうしたのか聞いてみるとどうやらこの後すぐに用事が入っているため急いで家に帰らなくてはならないらしい。花井は俺を見た瞬間にパンッと顔の前で手を合わせた。

「阿部!頼みがあるんだ!」
「は?」

花井が言う頼みとは、どうやら花井は今すぐ帰らなくてはいけないから、部活終了後の主将の仕事を俺に代わりにやってほしい、とのことだ。
 部活終了後の主将仕事とは、主にマネージャーとの今日の反省というかそういうのを話し合ったり鍵を閉めたり、まあ簡単に言うとそういった仕事らしい。俺も副主将なため花井の仕事にはいつも目をやっていたが、俺は今から名前と帰る約束があるし、それに名前にいち早く言いたいことがある。
しかし副主将という面もあり、結局、断れなかった。


「篠岡、ちょっと良いか?」
日誌を片手に篠岡に声をかけると、篠岡は俺を見た途端に少し気まずそうな笑顔を浮かべた。(まあ、そりゃ、そうだよなあ…)
 篠岡に告白された日のことを不意に思いだしてしまい、必死に記憶から消そうと頭を振った。

「今日、花井がなんか用事あるらしくて。代わりに俺が仕事やるから」
「あ、うん。分かった、じゃあ監督にも言っておくね」
「ああ。頼む」
短い会話が終わると、俺を待つ名前の姿が目に入った。名前は出入り口の近くで行儀良く立って待っていた。そんな姿を見た途端に、ああ早く仕事を済ませないと、と思い俺は小走りでベンチへ向かう。その途端、どういうわけか隣にいた篠岡が藤代に呼びとめられた。

「ねえ篠岡さん、ちょっと良い?」
「え?あ、うん。いいよ」

……二人の会話はよく聞き取れなかったが、藤代が横目で俺を見た。篠岡はそれに気付いていなかったが、藤代は俺を見て意味ありげに笑う。それがどうにも不可解で俺は首を傾げたけど藤代はすぐに篠岡を連れてグラウンドを出ていってしまった。

取り残された俺は傾げていた首を戻し、早く仕事を終わらせようと再びベンチへと走った。



 やっとのことで仕事が終わり名前のもとに行く。
「待たせて悪い、んじゃ帰るか」
名前はいつもみたいに笑ってはいなかった。どこか焦ったような、無理な笑顔。
「う、うん…」
いつもなら「大丈夫だよ、早く帰ろう!」なんて優しい台詞を言う名前が、今日はどこかおかしい。俺と目が合うと、名前はすぐに視線をずらした。そんな名前の手を俺はいつも以上に優しく握って歩きだす。まあ、学校を出ればいつも通りに戻るだろう。そう思いつつ、足を進めると名前が口を開いた。

「た、隆也君…」
「ん?」
弱弱しくて小さな声。名前のこの声を、俺は知っていた。名前がこんな声を出すのは、自信がなくて、不安になっている証拠。それを分かっているはずなのに、俺は上手く名前を心配することができずに、そのまま耳を傾けた。

「練習、お疲れさま」

また、そうやって弱弱しく笑う。

「…ありがとな」
できるだけ名前の顔を見ずに、それだけ返した。すると名前は少しだけ安心したように顔を赤くしてみせる。俺はそれを横目で見つめて、すぐに前を向いて歩き出した。
名前は、何も言わずにただ俺の隣を歩いていた。学校を出た時、ふいに握っている名前の手が怖くなって、手を離した。
 名前はいつだって俺を真っ直ぐに見てくれて、俺を好きになってくれた。そんな名前だからこそ、俺にとっての「名前の不安」は「俺自身の不安」に値する。こいつの考えていることがよく分からなくて、読み取れなくて俺まで怖くなってしまった。すると名前は不思議そうに俺を見つめる。それに気付いた瞬間、体が勝手に動いた。

いつもより強引に名前の肩を掴み、引き寄せる。名前は驚いた顔で抵抗しようとしたが、それよりも先に腰に手を回して名前の動きを封じてやった。
「っ、んう、」
「名前、」
優しい声で、俺の大好きな名前を呼んだ。すると名前は案の定顔を真っ赤にして、もう限界が近いのだと俺に訴えかける。いつもなら俺はここで名前から離れていた。それは、名前を汚したくないから。己の欲を名前に押しつけるのだけは、したくなかったから。
だけど今は違くて、どう説明したら良いのか分からない貪欲でドス黒い感情が俺をとりまいて離れない。

しばらくキスが続くと、名前が酸素を求めるようにして薄く口をひらいた。それを狙って俺は名前の口内に舌をねじ込む。
名前は驚いたのか俺の胸を強く押して抵抗したけど、そんなのもう何の制御にもならない。俺は名前を離すものかと口内をかき回す。

「はぁっ、ん、や、やめ、っ」
苦しそうで色気のある名前の声。やばい、理性が壊れた、と思った。
しかし踏ん張ってみれば意外と理性は壊れないもので。ゆっくりと唇を離せば、名前は荒くなった呼吸を整えて涙目になっていた。そんな名前に自分の気持ちを訴えかけるように見つめて、口にする。

「……好きだ、」
「!」

名前の目が、見開かれた。

「わ、私も、好き」

それは、いつもと何かが違って、おかしかった。


(いつもと違う。今までの嬉しそうな顔が、今日は悲しそう)


 20130701