colorful | ナノ
「先輩、名前って言うんですか」
「え?」

 それは野球部の練習が終わり、見学をしていた私達も帰りの支度をしていた時だった。水を飲みに行くと言ってどこかへ行ってしまった理杏ちゃんを待っていたら、ふいに一年部員の子が話しかけてきた。少し長めの髪が印象的で、綺麗な目をした子。私が彼に視線をやると、彼はにっこりと笑って楽しそうに言った。

「名前先輩って阿部先輩の彼女なんでしょ」
「、」
普通に頷こうとしたのだが、先ほどの隆也君との約束を思い出して口を紡ぐ。私と隆也君のことは後輩には秘密にする、そう言ったのは私なんだからちゃんと守らないと…

「な、なんでそう思うの…?」

そう聞き返してみたものの、彼は意地悪く笑って「さあどうしてでしょうかね」だなんて返してくる。何を考えてるかよく分からない子だなと思い見つめていると彼が続けた。

「阿部先輩って優しいんですか?」
「え…?」
「ていうか名前先輩って、ブスですね」
「!?」

(い、いきなり何を…!)
私が地味にショックを受けていると彼が楽しそうに笑った。お腹を抱えながら笑うものだからこちらの気分はあまり良くなくて、相手は年下なのにムッとしてしまう。しばらく笑っていた彼は落ち着いてきたのか少し涙の滲んだ目を擦り、私を見て言った。

「あの」
「な、なに、」
「俺の女になりません?」
「……はい?」

この子はさっきから何を言ってるんだろう。いよいよ理解ができなくなってきた私に追い打ちをかけるように彼は言い放つ。
「だって先輩達、全然お似合いじゃないですよ。なんか不釣り合いっていうか。あ、もうキスとかしたんですか?」
「そ、そんなこと…!」
「ああやっぱり本当に付き合ってるんですね」
「!!」

やってしまった。これは俗に言う、"カマを掛けられた"というやつだろう。
私は隆也君との約束を破ってしまった罪悪感で少し視線を落とせば、冷や汗みたいなものが滲んできた。目の前の彼をあまりよく見れなくて、気分はぐんぐん下がっていく。

「阿部先輩じゃ名前先輩のこと幸せにできないと思いますよ。あの人に恋愛とか無理そうだし」
「かっ勝手なこと言わないで!隆也君は、」
「だから」
「――、!?」

ぐい。強引に腕を引っ張られて、気付けば目の前に彼の顔があった。少し顔を前に出せば唇がくっついてしまいそうな距離に私は思わず呼吸を止める。にやにやと笑う彼の顔を直視できずに目を閉じれば腕を掴む力が強まった。痛みに顔を歪めれば楽しそうな声が聞こえる。

「俺が名前先輩のこと貰ってあげますよ」
「っや、やだ…!」
「…目開けてください」
「やだ」
「じゃあこのままキスしますよ、良いんですか?あっちには阿部先輩と他の先輩たちもいるのに」
「っ離して…」
「あーその顔は可愛いですね。近くで見たら意外とブスじゃないし」
「ぶ、ブスって…年上に対して、」
「ブスだって思ったのは貴女が阿部先輩の彼女だからです」
「…え…?」

彼の言っている意味がよく分からずに目を開けると、彼が少し不機嫌そうな顔をしていた。思わず言葉を失うと彼が乾いた笑いを零す。

「やっぱ名前先輩、ブスですね」
「なっ…!」
「俺と浮気して下さい」
「、へ」

私が驚きのあまり間抜けな声をこぼすと、後ろから誰かの手が伸びてきて彼の腕を強く掴み私から引き離した。

「いって、」
「ちょっとアンタ何してんのよ、名前ちゃんが困ってるでしょ」

その手の主は理杏ちゃんだった。理杏ちゃんの怒った目付きに彼が目を細める。だけど言い返しはせずにパッと私から手を離して後ずさった。
「名前先輩ってモテるんですね」
「、え?」

ふいにそう言った彼の言葉に唖然と聞き返せば答えは返ってこなかった。理杏ちゃんが彼を強く睨むと彼は苦笑いをして私に言う。

「…名前先輩、今日はもう俺帰りますけど、ちゃんと答え考えて下さいね」
「だ、だからそれは…」
「俺、一年五組の美坂って言います。明日、名前先輩のクラスに迎えに行きますから」
「!」

(美坂…?)

「ち、ちょっと待って、」
「それじゃあまた明日」

それだけ残して彼はグラウンドを出て行ってしまう。私と理杏ちゃんは顔を見合わせて、私が先に視線を逸らした。
理杏ちゃんは不思議そうに私を見てから「あいつと何話してたの?」と聞いてきたけど「何でもないよ」と返した。なんとなくそれが一番良いと思ったから。理杏ちゃんはそれ以上追及はしてこなかったけど、納得のいっていない顔をしていた。私はそんな理杏ちゃんの顔を見て見ぬフリをして笑いかける。

「そういえば、水道込んでたの?随分遅かったけど…」
「ああ。ちょっとね、少しだけ込んでて時間かかっちゃった」
「そっか」

 理杏ちゃんの言葉に納得して視線を逸らせば、今までどこへ行っていたのかグラウンドに入って来る千代ちゃんの姿が目に入った。私がそれを不思議に思い千代ちゃんに駆け寄ろうとしたけれど隣にいた理杏ちゃんに気を使って、千代ちゃんの所へ行くのはやめた。

「あ、それじゃああたしそろそろ帰るね」
「うん、また明日」
「じゃあね名前ちゃん」
「ばいばい」

グラウンドを出ていく理杏ちゃんを見送りながら隆也君を探すと、どういうわけか千代ちゃんに話しかけている隆也君の姿を見つけた。
どきりと心臓が嫌な音を立てる。
(な、なんで…)

きっと部活のことで話しているんだろう。それは分かっているはずなのに、どうも不安になってしまう。それから少し経つと会話を終えた二人は別れ、隆也君が私に気付き近づいてきた。

「、!」
「待たせて悪い、んじゃ帰るか」
「う、うん…」

心臓は未だに嫌な音を立てていて、私は少し視線をずらして答える。
隆也君は私の手を優しく握り、そのままグラウンドの出口へと向かった。突然のことに心臓が嫌な音を止めてドキドキと動き出す。
「た、隆也君…」
「ん?」
「練習、お疲れさま」
「…ありがとな」

短い会話が終わると私の顔には熱が溜まって自分でもわかるくらい熱くなっていた。
隆也君はそれに気付いているのか気づいていないのか分からないけれど、あまり私の顔を見ようとせずに校門を出る。すると、少し歩いたところで私の手を握っていた手がスッと離れていった。
何かと思い隆也君を見れば、急に肩を掴まれて引き寄せられる。反射的に抵抗すれば腰に腕をまわされてそのままキスをされた。

「っ、んう、」
「名前、」

その優しい声で名前を呼ばれると、いつも私はそれだけで限界になってしまって、そんな私を見た隆也君はそれ以上は何もせずに手を離す。そう、今まではずっとそうだった。隆也君は私の気持ちを優先してくれて、決して自分の欲を押しつけたりなどはしなかった。それなのに何故か今日は私が限界になっても隆也君は離れてくれなくて、心臓は今にも破裂しそうになる。

しばらく続いていたキスが苦しくて酸素を求めるように口を開けば、その隙間から舌がねじ込まれて口内に侵入してきた。驚いて隆也君の胸を押すけれどビクともしない。いつもと違う隆也君が、どこか怖かった。

「はぁっ、ん、や、やめ、っ」
必死に発した声は、隆也君の舌のせいで上手く呂律が回らなかった。
しばらくしてやっと唇が離れたかと思いきや、隆也君は私に訴えかけるように見つめてくる。

「……好きだ、」
「!」

最近はあまり聞けていなかった言葉。

「わ、私も、好き」

必死にそう返したけれど、私は、



(今までみたいに、嬉しくない。)



 20130411