sekirara | ナノ
 放課後、私は先生に雑用を頼まれて図書室まで教材を運んでいた。

「っはぁ…やっと着いた」

教室から図書室まではだいぶ距離があるから、正直こんな雑用を女子にやらせるのは酷いと思う。しかし引き受けてしまった私も私なため、これ以上文句は言わないことにした。私は教材を持ち直し、片手で図書室のドアを開ける。
(……あれ?)
ふとスリッパが入っている棚を見ると、一つだけスリッパが足りなかった。どうやら中に誰かいるのだろう。私は「誰だろう?」と首を傾げて、図書室へと入る。

「…ッ!?」

図書室に入ってから少し進むと、本棚の前に立ち小説を読んでいる男子生徒が目に入った。しかしその男子生徒がクラピカだと分かった瞬間、私は教材を持っていることすら忘れてそのまま図書室から走って逃げようとしたのだ。すると運悪く、私が逃げようとした時に立った物音にクラピカが気付いてしまう。
(まずい…!)
しんと静まり返った図書室に、クラピカの声が響く。

「名前…!」

クラピカの声に反応して足が止まる。次の瞬間、クラピカが私の腕を捕えた。
 持っていた教材は全て床に落ち、私は恐る恐るクラピカを見上げる。その瞳がやけに悲しそうで、私は逃げることができなくなってしまった。

「頼むから、逃げないでくれ……」

クラピカの声は、震えていた。
(なん、でっ…)
私はどこまでも自分が甘いことを実感してしまう。


 しばらく沈黙が続き、クラピカが私を見つめた。

「…く、クラピカ……」
「…こうして図書室で話すのは、あの日以来だな」
「…うん」
「この前は、いきなり悪かった」
「……うん」
「名前、」

掴まれた腕が小さく震えた。(…違う、)クラピカの手が、震えているんだ。
 もう、クラピカの顔を見たくなかった。クラピカはこれ以上私に関わってはいけないのに。私に関わった人は、みんな辛い思いをする。キルア君も、クロロも、そうだった。みんな、辛そうで悲しそうな顔をしていた。
(私は…最低、なんだ。それなのに、)
 それなのにどうして、貴方が付けた首輪はこんなにも強く私の首を絞め付けるのだろう。



「…救い、たい」
「、」
「もうお前を絶対に突き離したりしない。お前から絶対に離れたりしない。だから、私に救わせてくれ」

クラピカの声がだんだんと小さくなる。クラピカの顔は、あの時と似てるようで違った。クラピカは今までずっと、私を突き離したことを後悔して、ずっと謝ろうとしてくれてたんだ。それなのに私は、クラピカを忘れることだけを考えていた。
(その金髪も、優しい笑顔も、匂いも、全部…)
心から大好きで、一緒にいると幸せだった。貴方が私にたくさんの幸せをくれた。売春をやめるきっかけを作ってくれた。だけどそれは、

「…無理だよ。できないよ、」

結局は、貴方にとっての幸せには繋がらなかったのだ。
少し冷たく返した私に、クラピカはまた悲しそうな顔をする。でもこうしないと、クラピカが引きさがらないことくらい私は知っていた。

(救えない。私は…もう誰にも、救えない)

クラピカは私が思っていることを察したのか、口を固く結び、唇を噛み締める。

「ごめんね…クラピカ」




 少し長引いた沈黙が、クラピカによって破られる。

「…ありがとう」
「……え…?」
「お前はいつも、自分じゃなくて他人の幸せばかり考えて、他人を苦しませようとしない奴だったな」
「!…違う、私は…っ…!!」

私が反論しようと顔を上げると、昔みたいに優しく笑うクラピカの笑顔がそこにあった。

「お前は昔と比べて、少しだけ変わった」

もう中学の図書室とは全く違う図書室なのに、まるで私たちの周りだけ、時間が巻き戻されたような感覚に襲われる。

「クラピカ…」
「少しだけ、子供っぽくなったな」
「!」

 それは決して、悪い意味ではないことくらいすぐに分かった。
私が少しだけ間を開けてから「なにそれ」と可笑しそうに笑うとクラピカも笑って
「無理に背伸びをしようとしない、今のお前の方が私は好きだ」
そう言った。

 私は、クラピカといる時は何となく背伸びをしていたのかもしれない。
いつも分厚い本を読んでいるクラピカが、自分と同い年なのに自分よりも大人に見えたから。だから私もそれに追いつきたくて、並んで歩きたくて、好きでもない分厚い本を読み続けた。
クラピカを忘れようとしていた時でも、なぜか私は分厚い本を読むことをやめられなかったのだ。

(本当は、心のどこかで貴方を追いかけていたかったから)


「……クラピカも、変わった」
「、私も…か?」
「うん…クラピカも少しだけ、子供っぽくなったね」
「!」

(もう私は、貴方に追いつくことができたかな?)



「名前、」

クラピカが優しく私の手を握り、言う。

「これで最後にする。本当に、すまなかった」

もう、その手は震えていなかった。
 私はクラピカの手を握り返し、笑って言う。

「私を救おうとしてくれて、ありがとう」
「…好きだからだ」
「、え?」
「好きな奴には、笑っていてほしい。たとえどんなに救いようのない奴だったとしてもな」
「!………、――ありがとう、クラピカ」




 私は、失ってなどいなかった。
気付いていないだけで、私はちゃんと、こうしてクラピカと繋がっていたのだ。クラピカはずっと、私を好きでいてくれたのだ。それが嬉しくて、だけど悔しくて。クラピカと出会ってから、私は何度泣いただろう。数えきれない涙が、また流れた。


「…私はお前を幸せにできないんだな」
「……私も、貴方を幸せにできない」

(ただ、それでも、)

「今度は…また、友達として」

(この手を、離さないでいてほしい)


 クラピカは笑顔のまま、黙って頷いてくれた。



(窓の外から私たちを照らす夕焼けがひどく綺麗で、私たちは笑顔を交わした)


 20131231