sekirara | ナノ
「!」

廊下を歩いていると、少し前から歩いてくるクロロを見つけた。
私が驚いて足を止めるとクロロも私に気付いたようで、足を止める。

「名前」


 逃げ出したいという気持ちは、もうなかった。あの日言われたクロロの言葉が頭に響く。

「俺のこと真剣に考えてくれないか」

ただ、彼の気持ちが嘘かもしれないのに。そうやってまた私を昔のように誘っているだけかもしれないのに。私はまた乗せられる。

「…もう、逃げないんだな」

クロロが少し驚いたような顔でそう言った。
私は黙ってクロロを見つめる。しばらく沈黙が続いたあと、クロロはとんでもないことを言い出した。

「…あいつが、俺のこと殴りにきたよ」
「え…?」

"あいつ"が誰のことかなんて、言われなくても分かる。
(キルア君、が…?)
クロロの頬が腫れていることには、すぐに気が付いた。しかしそれがキルア君によるものだとは思わなかった。私は目を丸くしてクロロを見つめる。

「な、何で…!」

驚きのあまり上手く喋れずに、けれど少しばかり大きな声でクロロにそう問いかけるとクロロは腫れた頬に手を添えて、薄く笑う。悪意のある笑みではなかった。

「お前のことを、守りたかったんだろうな」
「!!」

その時の気持ちを言葉にするなら、"衝撃"という言葉が一番合っていると思う。キルア君が、私を守るためにクロロを殴った。暴力は良くないと思う、だけど、少なくともキルア君の気持ちが嬉しくて涙が溢れそうになる。
(私、は、)
私は、キルア君に迷惑を掛けてばかりだ。キルア君に隠してばかりで、それでもキルア君は私を気にかけてくれて。少々口は悪いし態度も悪いけれど、それでも、キルア君は私のことを想っていてくれたのだ。

「っ……」
「…それと、告白の返事は、期待してなかったから」
「! え、」

今度はまた別の衝撃が私を襲う。クロロは呆れたように笑って、言った。

「俺がしたことは許されない。お前を引きずりこんで、壊して、いまさら何て謝ったらいいのか自分でも分からないさ。そんな俺がお前と一緒に、なんて。それがありえないことなのはお前は一番よく分かってるだろ?」
「…そ、れは……」

 否定できなかった。
クロロは悔しそうに笑って、また言う。

「もっと別の形で出会えてたら良かったのにな」

その言葉に、私はハッとクロロを見つめる。真っ黒な瞳と、目が合った。もう、私がクロロから目を逸らすことはない。ただじっと、唖然と、何も言えずに見つめているとクロロは心から悔しそうに続ける。

「そうしたら、お前が汚れることなんてなかった」
「!」

(それ、は、違う…!)
もう何が嘘でも、どれが本当でも良い。ただ、目の前で今にも泣きそうな顔をしている男の言葉を、嘘だとは思えなかった。

「わ、私だけじゃない…!クロロも、っ」

(クロロも、汚れることなんてなかったはずなのに、)
そう言おうとした私の言葉を、クロロは優しく遮る。

「俺は、最初から汚れてた」
「!! …ッ、」

 あの日、私たちが初めて会った日のクロロの声が脳に響く。


「お嬢さん、ちょっと良いですか?」


 苦しくて、涙が溢れた。
もうクロロの顔は涙で見えなくなってしまって、また私は、一人、失った。


「ずっとお前のこと、好きだったよ、本気で」







("いつ"に戻れば、私たちはこれからも笑い合えたのだろう?)


 20131220