sekirara | ナノ
※キルア視点


 これでもかというくらい急いで廊下を走った。
昨日の小テストで赤点を取った上に普段からの授業態度の悪さが重なり、まさか今日あんなにいきなり先生に呼び出されるとは思っておらず、先生の説教が終わった時にはすでに時計は四時を指していて。さすがに名前は帰ってしまっただろうか。「待ってろ」と自分から言い付けておいて本当に情けない。もし名前がまだ待っていたら、まず何て謝ろう。そんなことを考えながらひたすら走った。

 やっと名前の教室に着くと、俺は目を見開いてその場に立ちつくす。

「名前……?」

そこにあったのは、教室の前で蹲っている名前の姿。
俺は状況が理解できずに恐る恐る名前に近づいた。すると、近づくにつれて名前が泣いているのに気付く。
 名前の体はまるで廊下に崩れ落ちたようだった。木製の床には零れた涙の跡がある。どうしてこいつは一人で泣いてるんだ。わけが分からなくて、そっと名前の肩に手を置いた。

「おい、名前」
「、っ!」

パシン!弾けるような音と、左頬を襲う鋭い痛み。名前に頬を叩かれた。
俺はいきなりのことに声も出ず、「何すんだよ」と言わんばかりに名前を睨むようにして見つめる。しかし俺の目に映った名前の顔は、ひどく怯えていて、そしていつもと何か違う雰囲気を感じた。それが何かは分からないけど、今目の前にいるこいつは、俺が知ってる名前じゃない。

「…お前、なんで泣いて、」
「触らないで」
「!」

あまりに震えた声で冷たく言い放たれたその言葉に俺は唖然とした。
(こんなの、違ぇよ)
俺を見つめて両手に拳を作る名前は、まるで餌を前にして鎖に繋がれた野良猫のよう。いや、それよりかは、崩壊寸前の自分の理性と戦っているように見えた。見てるこっちが痛いくらいに唇に歯を立てて、不安定な呼吸を繰り返す。
(こんな、こんなの、名前じゃない)

「っ名前、」
俺は思いきり名前の腕を掴んだ。そして名前を落ち着かせようと背中に手を伸ばす。しかしそれは叶わなかった。
「やめて!!」
名前が痛々しい声で叫ぶ。次の瞬間、名前が俺の胸倉を掴んでそのまま床に押し倒した。俺は自分の視界に映った名前とその後ろにある天井に混乱しつつ名前を見つめる。

「お、お前っ、何やってんだよ…!!」

俺がそう言っても、名前はそんなの気にも留めずにただ震えて俺と目を合わす。しかしその目からは俺の知らない"恐怖"を感じて、思わず口を結んでしまった。だけど名前はぼろぼろになって泣きながら、掠れた声で叫ぶように言葉を零した。

「っね、キルアく…ッせ、くす、しよ…?」
「…は……?」

上手く聞き取れなかった。聞き取れなかったけど、でも何となく、分かってしまった。
名前が何と言ったのか。名前から感じる嫌な感じは何だったのか。ああそういうことか、と。そう勘づいてしまう察しの良い自分を殺したくなった。
 俺が冷や汗を流して名前を見つめると、名前はまた聞くのも辛いほどに震えた声で俺の胸に顔をうずめる。

「せ、っくす、して…」
「!!」

絶望感というか、危機感というか、それに加え男ならではの興奮を感じて、頭がおかしくなってしまいそうだ。泣き止まずに俺に悲願する名前に、ひどく心が痛む。
 俺は思わず名前の頭を強めに撫でた。ぐしゃぐしゃと髪をかきまぜながら、名前を宥めた。すると名前は声にならない声を漏らして泣きながら、確かに、ハッキリと俺に言う。


「っ――たす、けて」


「!!」
俺は目を見開いた。それは、名前が始めて俺に求めた"助け"。
泣きじゃくりながら必死に「助けて」と繰り返す名前を、もはや責める気になんてなれなかった。俺はどうしたらこいつを救えるか。まずはこいつの過去を、本当のこいつを知りたい。そう願って、名前を抱きしめた。名前はもう拒もうとはしなかった。


(俺が、守りたい)

不意に気付く。俺は、名前が好きだ。

 俺が「大丈夫」と優しく言うと、名前は落ち着いてきたようで、少しずつだけど過去にあったことやクロロとクラピカとの関係を教えてくれた。
最初はもちろん吃驚したし、俺には考えられない人生の中でこいつは生きてきたのかと絶句した。だけど気持ち悪いとか、引くとかそういうのは全くなくて。ただひとつ思うのは、嫉妬だ。こいつが今まで色んな男と身体を重ねてきたこと、そしてその男の中にクロロもいるということ。その全てに嫉妬した。俺はクロロが嫌いだ。名前をこんなに傷付けて、名前の人生を壊したのはクラピカじゃない。他の誰でもない、クロロだ。


(絶対にあいつを、許さない)


 20130903