sekirara | ナノ
「―――クラ、ピカ……」

 私の声は、風の音にかき消された。
ただただ目を見開いて彼を見る。目の前にいるのは、もう会うはずのない彼で。昔と、なにひとつ変わっていない。その金色の髪も、背中にまわされた温かい掌も、全部。

「もう二度と、会えないと思っていた…」
今にも消えてしまいそうな程に酷く震えた声。気付けば前よりも、少しだけ声が低くなったかもしれない。私は思わずクラピカの背中に手を回しそうになって、ハッとした。

「っはなし、て…!」
思いきりクラピカの胸を押す。すると簡単に離れていったクラピカを見つめて、乱れた呼吸を整えた。クラピカの悲しそうな瞳が、弱弱しく床を見つめる。
 しばらくクラピカは何も言わなかった。ただ言葉を喉の奥に押しこめるように顔を歪める。そんなクラピカが目の前にいることを、私は未だに信じられずにいた。

しかしクラピカが落ち着いたようにゆっくりと口を開き、先ほどよりも幾らかハッキリとした声で言う。

「…ずっと…謝りたかった」
「、」
「お前の話も聞かずに、お前の手を離したこと。私が弱かったばかりに…お前を、傷付けたこと、全部謝りたかったんだ」
「違うよ」
咄嗟に漏れた私の言葉にクラピカは少し驚いたような顔をした。

「クラピカが悪いとかそんなんじゃなくて、そういうの、違う」
(そう、悪いのは全部、)
「謝ってほしいとか思ってない。クラピカは普通で、わ、わたし…私が、普通じゃないから…っ」
("自分"なんだ)
「違うの全部、そうじゃなくて……っ、なん、で……」
「、」
「何で……会いに、きたの……?」
「っ…!!」

 その時、クラピカがすごく悲しそうな顔をした。
私はもう何が何だか分からなくて、混乱していて、上手く喋れないし何て言ったら良いのかも分からず日本語がぐちゃぐちゃなのが自分でもわかる。それでも聞きたくて、知りたくて。どうしてここにいるの?とか、どうして私の居場所がわかったの?、とか。でもそんなの全部、上手く伝わらなくて。クラピカが一歩私に近づいた瞬間、私は逃げるようにクラピカから三歩遠ざかった。

「この前廊下で…見たんだ。掲示板に貼ってある全校生徒の名簿を」
「名簿…?」
きっとクラピカが言ってるのは廊下の掲示板に貼ってある名簿のことだろう。全校生徒の名前と委員会などの簡単な情報が書かれている紙のことだ。クラピカは焦ったように自分の髪をたくし上げ、小さな声で続ける。
「そこに、お前の名前が書いてあって……まさかとは思ったが、人違いだとは思えなかった…。私も色々あって、こっちに引っ越してきたんだ。だからこんな離れた場所にお前がいるわけないと思って…信じられずにいた」
語尾がだんだんと小さくなって最後の方は上手く聞き取れなかったけれど、次の瞬間、クラピカが突然私の腕を掴み抱き寄せる。私は突然のことに抵抗できず、腰に手を回されてしまい逃げられなくなってしまった。ただ唖然とクラピカを見つめると、酷く歪んだクラピカの顔が目の前にあって、罪悪感と恐怖でいっぱいになる。

「私がお前を見離してから、校内でお前を見かけなくなった。」
「…それ、は…」
「どうも気になって担任に聞いたらお前が不登校だと知らされて…私は、
「もう…いいよ、もういい、クラピカ、」
クラピカの話を聞くのが辛くて、その声を遮った。それに対し不満そうに私を見つめたクラピカから逃げるように、またクラピカの胸を押す。しかし今度は離れてはくれなかった。その胸を押せば押すほど、腰に回った手の力が強くなる。

(何で、今更)
私が耐えきれず涙を零すと、クラピカの両手が私の両頬を包み込むようにして目線を合わせた。そして、

「私がお前の中学校生活を壊した」

だから責任を取りたい、と。クラピカはそう言った。

「…違う、違うよ」
震えた声を必死に振り絞って、クラピカの手に自分の手を重ねた。そしてそっとクラピカの手を下ろさせる。
「クラピカに壊されたんじゃない…最初から、ぜんぶ、中学校生活だけじゃ、なくて…っ心も、身体も、ぜんぶ、最初から壊れてた…!」
「、」
「あんなにっ…あんなに、壊れるなんて…思ってなかった、し、それに…っ、クラピカのこと、すき、にっ…ッう、あぁあ、っひ、ぐ…う、」

(好きに、なるなんて、)

声すら発せられないほどに泣いた私がずるずると力無く床に崩れ落ちるのを見たクラピカが、そっと私から距離を置いた。

(こんなに苦しむなんて、思ってなくて、)

痛々しく声を枯らして泣きじゃくる私に、クラピカが言う。

「泣かせて、悪かった…

また、落ち着いたら話がしたい」

それだけ言い残してクラピカは去って行った。
私はしばらく床と睨めっこをして、遠ざかって行く足音にただただ涙を流し続けた。

(もう忘れたいと何度願ったか、分からない。それなのにクラピカは、)

私の涙で汚れた床が、私を笑っているような気がして、怖い。
これが貴女の犯した罪だよ、と。誰が言ったわけでもないその言葉が私を責める。何度も何度も色んな男と身体を重ね、ある人をやっと忘れられたかと思いきや今度はまた新しい男に恋をして、こんなザマだ。自分でも、本当に救いようがないと思う。責任なんて、取ってもらう資格ない。もう失望して私を嫌ってくれたほうが、どんなに良かったか。

(クラピカの優しさが、まるで首輪のように私を苦しめる)


 私はしばらくその場に蹲って泣いていた。


 20130816