sekirara | ナノ
 ああ、そういえばクラピカに出会ってから身体を売ることもなくなったな、と不意に気付いた。
今日も教科書やらノートやらを鞄に詰め込んで教室を出る。今日はいつもより早めに図書室に行けそうだ。時計をちらりと確認し、小走りで図書室へと続く廊下を進んだ。

 図書室の扉が見えてくると、扉のすぐそばに一人の女子生徒が立っているのが見えたから思わず私は足を止める。
その女子生徒は図書室の中をちらちらと見つめ、何やら心配そうに足踏みをしていた。その様子があまりにも不自然だったから、なんだか図書室に入りにくくてつい柱の裏に身をひそめてしまう。
しばらくすると、ガラッと控えめな音と共に泣きじゃくった女子生徒の声が聞こえた。何事かと思い柱の裏からバレないように覗いてみると、そこには図書室から出てきたであろう女子生徒を抱きしめながら宥めている女子生徒の姿があった。私はドキリとし柱の裏にまた隠れる。何が起きたのかよく分からなかったけれど、何となく察しはついた。すると二人の女子生徒は何かを話しながらこちらに向かってくる。私は息をひそめながらその会話に耳を傾けた。

「それにしても、クラピカ君って好きな子いたんだね」
「…うん……」
「元気出して?もっと良い人みつけなよ」
「うん…」

その会話に私は耳を疑った。(ク、ラピカ…?)
 つまり、泣いている女子生徒は先ほど図書室でクラピカに告白して振られたということだろう。だからさっきからあの女子生徒は図書室の中を心配そうに見守ってたんだ。ああ、そういうことか。私は何だか、安心したような気がした。だけど、

(好きな人、いるんだ……)

クラピカには好きな人がいる。その事実に、私は悔しさからブルブルと震えた手で鞄を握りしめた。

(そう、そうだよ)
その事実は、あまりにも苦しくて、
(こんな汚れた私の気持ちなんか、届かない)
せっかく、真っ直ぐにあなたを好きになれたのに

「っ、……」

涙をこらえながら、私は図書室の扉を開けた。
クラピカはいつものように受け付けの椅子に座っていた。だけど声をかけるような気分じゃなくて、落ち着くまで本でも読もうと思い棚から分厚くて重い本を取る。この本も、クラピカに勧められた本だ。もう途中まで読んだけれど、何が面白いのか分からない。目は疲れるし読んでも読んでも終わらないし。だけど、これを読んでいるとクラピカに近づける気がした。
ぱらりとページをめくって、必死に文章を頭に叩き込む。どういうストーリーなのか分からないしそもそもストーリーなんてあるのだろうか。そんなことを思いつつ読み進めていると、ぽんと頭に誰かの手が乗った。

「来てたのか」
「!」

その手の犯人はクラピカで、私は思わず息をのむ。

「クラピカ…」
「どうした?随分と浮かない顔をしてるぞ」

そう言われて思わず俯く。(クラピカだって、浮かない顔してるじゃん…)
クラピカはそれ以上詮索はせずに「その本…」と私が読んでいる本を指差した。

「読んでくれてるのか」
「…面白く、ないけどね」
「はは。そうか」
そう言って苦笑するクラピカをちらりと見れば、好きだという気持ちが溢れてくる。

クラピカの好きな人は誰なんだろう、とか。そんな馬鹿馬鹿しいことを考えてしまって嫌になる。(そんなの、知ったところで傷つくだけなのに)
だけどそれでも気になって、少しでもクラピカを知りたくて立ちあがろうとした時だった。

ヴー……ヴー…

「っ、あ」
「どうした?」
「ごめん、電話…」

急に胸ポケットの携帯が震えて吃驚しながら携帯を開く。しかしそこに表示された番号は非通知だった。誰かと思い通話ボタンを押して携帯を耳にそえる。すると聞こえてきた声に、私は青ざめた。

『もしもし』
「ッ――!?」

その声は、あの日の彼のものだった。
確かに覚えているその落ち着いたトーンの声。心地よい低音。あの日の全てが私の脳に蘇って、身体が震える。

(この声を聞くと、)

「な、なんで私の電話番号……」

(きっと私は、また彼を)

『さあ、何でだろうな』

(求めてしまうから)

彼のその声と同時に、私は震えた手で電話を切った。そんな私を見てクラピカは心配そうに訪ねてくる。

「だ、大丈夫か…!?」
「…ごめん、今日は帰る」
そう言って逃げるように立ちあがった私の腕を、クラピカは強く掴んだ。

「っ、待て…!」

控えめに振り向くと、クラピカの必死な顔が目に入る。その顔を見て、苦しくなった。
(何で……)

「離してよ…」
「今の電話…誰なんだ?」
「…クラピカには関係ないから、」
「関係ある…っ!」

その言葉に涙が溢れそうになる。不安と期待。
私は震える声で言った。
「じゃあ…っ私が…!私が、救いようのないビッチで汚れきったクズ女だとしても、まだそんなこと言える?関係あるなんて言えるの…!?」

 一度汚れた身体は、もう二度と綺麗にはならない。
失った処女も戻らない。可能性は低いけれど、もしかしたら彼との行為で妊娠だってしてるかもしれない。そんな私を、きっとクラピカは受け入れられないだろう。受け入れる優しい心を彼が持っているとしても、きっと私が壊れてしまう。
まだディスプレイに残された彼の電話番号が。やっと落ち着いてきた私の欲求を一気に溢れさせた。倍増させた。

(忘れるなんて、最初から無理な話で)

「っそれ、は……それは、本当の話か…?」

(きっと忘れても、脳のどこかにこびり付いたままで)

「…嘘なんて、言わないよ」


 ――少しだけ間をつくり、クラピカが私から離れて行った。

クラピカはすごくすごく悲しそうで悔しそうな顔をして、「私には、救えない」と小さな声で言う。それに反射して、私は今にも消えてしまいそうに掠れた声で「貴方なら本気で好きになれると思った」と返した。気付けばもう掴まれていない腕が力なく震えて、涙が溢れる。


 幸せも欲求も、彼がいなくなったことで全部過去形になった。


(もう二度と誰かを求めたりしないと誓う)



 20130815
過去編やっと終わったので次からまた本編?に戻ります。