sekirara | ナノ
 興味本意と淡い期待から彼と体を重ねて数日が経った頃、私は無意識に駅のホームで彼を探すようになってしまった。
それはあの日彼が私にしたことが、期待以上のことだったから。快楽と欲求に覚えて乱れたあの記憶が、ずっと頭の中をぐるぐるしていた。それまで本当につまらなくて苛々するような日々を送っていた反動。私は、あの行為に溺れてしまった。
 結局彼は私に言った通り三万円を私に渡した。気持ちいい思いをさせてもらい、その上お金までもらえるなんて。こんな世界はドラマや漫画の中でしか見た事がなかったし、実際に自分が経験するなんて思ってもみなかった。だから何だか新鮮で。優越感を感じた。

 今日も帰りの駅のホームで彼を探しては、見つからなくて。今日もまた諦めて帰ろうとした時、ふいにサラリーマンとぶつかってしまい声を漏らせば、「大丈夫ですか?」と心配そうに尋ねられた。

「あ…大丈夫、です」
「良かった」

本当にすみませんでしたと言い去って行こうとするサラリーマンの腕を、私は反射的に掴んだ。
 気付けば口角がつりあがって、まるで自分ではないみたいな笑顔を浮かべる。



「――三万円で、どうですか」

 もう止まらない。"誰でもいい"という考えが私を支配してくだけだった。



 彼に出会ったあの日から、私は何人もの男と身体を重ねた。もう何日もあの日の彼とは会えていなくて、だけど他の男とでも十分に満足できた。ただ己の欲求に素直になってお金ばかりが財布に溢れる自分が怖くなった日もある。それでも私は、このつまらない日々に開いた心の穴をこの行為で埋めていたのだ。

毎日のように性行為をしているとやはり腰や身体が痛くなることも少なくはなかった。どうせ無理して学校に行く理由もないし、早退や欠席を続けていて担任に怒られたこともある。ついには担任の怒りも爆発して、こっぴどく怒られた上に図書委員の仕事を手伝わされる羽目になってしまったのだ。

「はあ…」
今日も腰が少し痛んだ。ここ最近は激しい性行為なんてしてなくて、ただナチュラルなものを続けていただけなのにこのザマだ。たぶん、そうとう身体も疲れてきてるんだと思う。

(お金もたくさんもらえたし、しばらくはやめとこう)
と、そんなことを考えていたら図書委員の上級生らしき人に声を掛けられた。

「ああ、その本は私が読むから棚には戻さなくていい」
「え?」
急に言われたその言葉に戸惑い、手に持っていた本を見つめてからその上級生を見る。
「図書委員でもないのに手伝わせてすまない。そこに積んである本を棚に戻してくれれば、もう仕事は終わるから先に帰っててくれ」
「あ……い、いえ、どうせなんで最後まで手伝いますよ」
「そうか。ありがとう」

その優しい笑顔になんだか照れくさくなってしまって、少し顔を隠しながらまた本を手に取る。さっきから難しい本ばかりだ。まあイマドキの中学生にはこういう本も必要なのだろうけれど。(こんな本、借りる人の神経が分かんないなぁ…)

「本が嫌いなのか?」
「えっ?」

分厚い本の表紙を見つめながら考えごとをしているとそんな事を聞かれて戸惑った。
「あ、いや…嫌いっていうか、なんか難しくてよく分かんないなぁって思って…」
「読んでみると意外に面白いものだよ」
「そうなんですか…?」
「ああ」
そう答えてフッと笑うと、面白おかしそうな顔でその人は言った。

「お前も、なかなか面白いな」
「な、なんでですか?」
「上級生でもない相手に敬語を使うなんて、と思って」
「え?」
「お前も私と同じ一年生だろう?」
「え…あ、」

よく見ると彼の制服に付けられたクラス章には、一年と記されていた。それに気付き私は恥ずかしさで何も言えなくなってしまう。
「…さっき先生から聞いたが、図書委員の手伝いをしている理由も普段の早退と欠席が多いせいじゃないか。そんなだから、同級生の顔も覚えられないのだよ」
「うっ…」
まるでどこか説教臭い口調でそう言ってくる彼に何も言い返せずに俯けば、「冗談だ」と笑いながら頭に手を乗せられた。恥ずかしさと、よく分からない感情に顔が赤くなるのが自分でも分かる。

「明日もここに来たらどうだ?」
「図書室に…?」
「ああ。本でも読めば、退屈な日常も少しは変わると思うぞ」
そう言って優しく微笑んだ。私はその笑顔に魅かれてしまい、気付けば仕事も終わっていて。帰り際に図書室を出て行く私の背中に向かって彼が「名前、教えてくれないか?」と聞いてきたものだから笑顔で答えた。

「苗字名前だよ」



 それから私は、毎日図書室に通った。彼はクラピカと言うらしく、クラピカはいつだって図書室で私を待っていてくれたのだ。
私を図書室で見かけるたびにクラピカは声をかけてくれて、決まってこう言う。
「どうだ?少しは退屈じゃあなくなっただろう」と。
その問いかけに私はいつも「少しだけね」と答えていたけれど、本当は退屈なんて全く感じなくなっていた。

図書委員であるクラピカは、貸出カードなどの整理をする受け付けに座っていつも難しそうな本を読んでいた。そんな彼を見て、私はふと問いかける。

「ねえ、何で難しい本ばかり読んでるの?」

するとクラピカは優しく笑って、

「上手くは言えないが、普通の本には無い面白さがあるんだ」

そう言った。

私はいつからか、クラピカのことが好きなのだと自覚した。
毎日欠かさず図書室に通って、クラピカが読んだ本は私もなるべく読むようにした。
クラピカに少しでも近づきたくて。今まで、こんな気持ちになったことなんてなかったから。
 気付けば、あの日駅のホームで出会った彼のことなんて忘れて、身体を売ることも無くなった。


(ずっとこのまま、あなたの隣で、なんて)



 20130720
ひゃー!過去編かなり長いですね…。
たぶん次の話で過去編は終わる、と思います。