sekirara | ナノ
 それは、私が中学二年生になった夏のこと。
毎日のように暑い日が続いて、常に苛々している日が多かった。友達はそれなりにいたけど、付き合うのが面倒な時があって自分なりの対応をしていたらほとんどの子は離れていった。教室では一人で携帯をいじって、登下校も常に一人。べつにいじめられてるわけじゃないし、今はこれでも良いかと思った私はそんな生活に慣れてしまっていた。
 ある日の駅のホームで、私は定期券を落としてしまったため一時間近く駅の隅々まで定期を探してさまよっていたのだ。気付けば時間が過ぎて行くのに、一向に定期券は見つからない。もう諦めて帰ろうと思ったその時、後ろから柔らかくて綺麗な声が聞こえた。

「お嬢さん、ちょっと良いですか?」
「、え?」
心地のいい低音とその台詞に驚いて振り向けば、そこには同じ制服に身を包んだ男の人が立っていた。(先輩、かな…)
黒髪で整った顔をしたその人が差し出した手には私の定期券が握られていて、私は思わずびっくりした顔でその人を見つめる。にこりと微笑んで、彼はそのまま私の手に定期券を握らせた。

「これ落としたの、アンタだろ?」
さっきとは違う口調。どうやらさっきの台詞はわざとのようだ。
私は握らされた定期券を見てもう一度確認する。(うん、私のだ)
「…そう、です」
「誰のか分からなかったから駅員に届けようと思ったんだが、どうにもアンタが何か探してるみたいだったんで、アンタが探してるのはこれだなと思ったんだ」
「あ、ありがとうございます…」

お礼を言うと、彼は優しく笑った。その笑顔に少しだけ胸が高鳴る。
しかし次の瞬間、彼は私の顔の前に指を三本立てた右手を差し出して、黒い笑みを見せた。
「コレで、どう?」
「……え…?」
最初はその意味がよく分からなくて、首を傾げる。するとそれに気付いたのか彼は薄くため息をついて、「三万円って意味」とだけ呟いた。そこで私はハッとする。
「お、お金…払うんですか?」
「ああ」
サアッと血の気が引いていった。要するに、拾ってやったお礼で三万円よこせ、って意味だろう。焦って一歩下がると、彼はまた口を開いた。
「俺がね」
「、えっ?」
なんで彼が私にお金を払うんだろう。そう思っていると彼はまたため息を吐いて、呆れて笑った。
「…アンタ、なんにも知らないのか?」
「だ、だから貴方さっきから何言って…」
「援助交際。…意味わかる?」
「……えん、じょ……?」

 ――知ってる。

小さく頷けば、彼は控えめに笑う。
「俺はさっきからその話をしてたんだけど」
「!?」
「その制服。俺と同じ中学だろ?そういうの興味あるよな?」
「さ、三万円…」
「ほしい?」
私も小さく頷いた瞬間、彼は嬉しそうに私の腕を掴んでそのまま障害者用のトイレへと歩き出した。
はじめて会った彼の後ろ姿を見ると、どこか安心する。これから自分が何をされて、どうなってしまうのかなんて分からないけど、確かな期待がそこにはあった。
ちらりと目に入った時計の短い針が6を指していて、長い針が指す数字は彼に引っ張られたせいで見えなかった。

 トイレの鍵がかけられて、私はそのまま最低な世界へと足を踏み入れた。


(この時私が好奇心すら無視して彼を振り払っていれば、あんなことにはならなかったのに)

 20130704