aisiteHERO | ナノ
「ゆらー!」

 元気の良い声に名前を呼ばれて足を止めれば、そこには笑顔の鳴子くんが立っていた。

「あ、」
「ゆらも購買行くんか?」
「うん、そうだよ」
「ほんならワイもついてくわ、今日はパンの気分やしな!」

鳴子くんはそう言いながら私の隣を歩き、今日は焼きそばパンとメロンパンが食べたいだの何だの楽しそうに話してくれる。そんな鳴子くんの横顔を見つめながら、私はあの日のことを思い出した。

「なあ」
「今、何時か教えてくれへん?」



(……今は、十二時過ぎ)
私は心の中でまたあの日の鳴子くんの質問に答える。そういえばあの時の鳴子くんの笑顔を、好きになったんだっけ。

 一目惚れは、残酷だ。少なくとも私にとっては、残酷なものだった。
私は薄く息を吐きながら、未だにマシンガントークを続けている鳴子くんに目をやる。真っ赤で派手なその髪は、鳴子くんにとてもよく似合っていて格好良い。初めて声を掛けられた時、そのフレンドリーな振る舞いと少し幼い笑顔に、そしてこの赤毛に、全部持って行かれたんだ。
高校に入って初めて好きになったのは、鳴子くんだった。

「そんでな!今日のワイのイチオシは
「鳴子くん」
「?……何や?」

私が声を掛けると鳴子くんはぽかんと口を開けて私を見る。そんな鳴子くんに私は笑顔を浮かべたまま、言った。

「ありがとう」

すると鳴子くんは一瞬驚いたように目を丸くしたけど、すぐに笑って
「ワイの方こそ!」
とそう返す。きっと私の言っている意味は分かっていないんだろうな。
(…でも、)
私はその赤毛から目を逸らし、また笑う。気付けばすごくお腹が空いて、購買へと向かう足取りが少し軽いものになった。
(好きになったことを後悔したのは、取り消そう)
今が幸せなのは、今までのことがあったから。だったらそれは、後悔するよりも感謝しなくちゃいなけない、と思う。私は息を吸い込んで、また一歩足を踏み込んだ。いつもと何も変わらない廊下の空気が、いつもより良いものに感じた。

「なあゆら」
購買まであと少しになったところで、鳴子くんが急に口を開く。
「ん?」
「スカシと何かあったんか?」
「えっ、何で?」
あまりに突然の言葉に驚いてそう聞き返すと、鳴子くんは不思議そうな顔で続けた。

「スカシの奴、今日の朝練でボトル落としよったんや」
「そうなの?」
「おん。アイツ滅多にそないなミスせえへんから、何かあったんかな思て」
「!……そう、なんだ」
「まあただの偶然かもしれへんけど!」

そう言うと鳴子くんはカッカッカ!と楽しそうに笑って、また足を進める。そんな鳴子くんの背中を見つめたまま、私は胸がドキドキして苦しくなるのを感じた。
(……考えてくれてた、の、かな)
そんな馬鹿みたいな自惚れが頭をよぎって、頬が熱くなる。今泉くんは、本当に不器用だ。そして照れ屋で、でも格好良くて。それを一番知っているのが、いつか私になれば良いのに。そんなことを考えた。
もっともっと、今泉くんのことを知りたい。もっと仲良くなって、色んな思い出を重ねて、いつか今泉くんにとっての一番になりたい。図々しい願いばかりが頭に浮かんでは罪悪感に消されていく。今泉くんと付き合ってから、そんなことばかりだ。
(私も、相当馬鹿だなぁ)

「ゆらー?はよせんとパン売り切れてまうで!」
「っあ、うん!」

鳴子くんの声に我に返り、慌ててその背中を追う。やっと追い付くと鳴子くんが言った。
「せや、さっき言い損ねてもうたんやけど」
「?」
「ワイのイチオシは、メロンパンや」
その時の笑顔があの日の笑顔に重なって、私は思わず言葉を無くす。それでも、ぎゅっと両手で拳を作り、笑顔で返した。


「私も、メロンパン買おうと思ってた」



 貴方を好きになったこと、貴方を考えるだけで幸せで苦してどうしようもなかった日々。ただの一目惚れだったのかもしれないし、初めから叶うことなんてなかったのかもしれない。それでも私は、こうしてここにいる。貴方とまた言葉を交わすことができる。
全部、全部私の宝物だ。


 20140804