aisiteHERO | ナノ
「本田、これ職員室に持って行ってくれないか?」

 疑問形で声を掛けてきたくせに、担任は半ば無理矢理私の両手の上にクラスメイトたちのノートを乗せながら笑顔で「よろしくな」と言って去って行った。
(強引……)
そう思いながら仕方なく職員室へと足を進める。今泉くんと話さなくなって五日目。心に穴が開くなんて感覚はよく分からないけれど、少なからず、物足りないと思う日々だ。

 階段を降りてまた廊下を進む。静かな廊下を一人で歩いていると、余計なことを思い出してしまった。あの日、夢の中で今泉くんが言った言葉。
(……"大丈夫"…)
全くもって根拠のない言葉なのに、今泉くんが言うなら、本当に大丈夫なような気がする。やっぱり、好きだからなんだろうか。


「…今泉くん……」

無意識に、ぽつりと今泉くんの名前を口にする。それからハッとして周りに誰もいないかキョロキョロと確認して、深い溜め息を吐き出した。これは思っていたよりも重症だ。自分でも気付かないうちに、自覚しないうちにこんなにも好きになってしまった。 会いたい。また、優しい声で"大丈夫"と言ってほしい。どんなに些細なことでも良いから、今泉くんの声が聞きたかった。同じクラスで、隣の席で、少し勇気を出せば話しかけられたはずなのにそれができなくて。自分のちっぽけさに呆れてしまう。

(…職員室、早く行かなきゃ)
担任に頼まれていたのを思い出して少し急ぎ足で廊下を進んでいく。また一つ階段を降りようと足を浮かせた時、積み重なったノートがバランスを崩してしまった。人のノートを落とすまいと慌てて手を伸ばせば、今度は足が滑ってそのまま下に落ちそうになる。

「ッ、ぁ――……!」

(やばい!)
ノートはばさばさと音を立てて階段から下の廊下に掛けて散らばってしまった。そんな光景を視界の端に見ながら、自分も下に落ちるのだと確信する。その瞬間ぎゅっと目を瞑った。これ、ここから落ちたらタダじゃ済まない気がする。そう思った時、

「……、…!!」

誰かの声が聞こえた気がして、私はうっすらと目を開けた。すると誰かがすごい速さで私の腕を掴み、そのまま引き寄せて抱き締める。突然のことにびっくりして離れようとしたものの、相手は男子生徒らしくなかなか離れてくれない。一体誰がこんなことを、そう思い顔を上げると、私は、これでもかというくらい目を丸くして体の力を抜いた。



「…――いま、いずみ…くん……?」


 力一杯に私を抱き締めていたのは、私が一番会いたいと思っていた人物だった。
どうして今泉くんが、ここにいるんだろう。どうしてそんなに、辛そうな顔をしているんだろう。ぐちゃぐちゃになった感情を整理できぬまま今泉くんを見つめていると、か細くて今にも消えてしまいそうな声が耳に届いた。

「…んで、お前は…」
「っ、え」
「落ちてたらどうするつもりだったんだよ!」

眉間に皺を寄せてそう怒鳴った今泉くんに、私はハッと意識を戻す。今泉くんは冷や汗までかいて、私を睨みつけていた。そんな今泉くんに思わず「ごめん…」と零すと、安心したのか、それとも恐怖からか、一気に涙が溢れ出す。

「……っ…間に合って、良かった」
今泉くんは安心したようにそう言って、私の髪を少し乱暴にかき混ぜた。そして、静かな声で
「本当に、すまない」
そう言う。

「何で…」
私が掠れた声で問い返すと今泉くんは気まずそうに視線をずらして「この前の、放課後のことだよ」と返してきた。

「あ…あれは、……」

私も俯いて必死に言葉を探す。(あれは、私が…)私がいけないんだ。私が悪い。そう伝えたいのに言葉が見つからなかった。そんな私を見て今泉くんはまた頭を下げる。もう、今泉くんに謝って欲しくない。

「ち、違う…私も、その…っ…最低なんて言って、ごめんなさい」
「……お前は、悪くないだろ」
「でも、」
「俺が傷付けたんだ。お前が謝る必要なんてない」

まるで、私を突き離すかのような声だった。それがあまりにも辛くて、悲しくて、私はまた涙を流す。今泉くんはそれに気付いたのか気付いていないのかどちらかは分からないが、ゆっくりと立ち上がってその場から立ち去ろうとした。

(…――待って、)

手を伸ばそうとしても、力が入らずにただ今泉くんとの距離が広がっていく。

(待って、お願い、待って、)

今泉くんの背中を見るのが辛くて、指先が震えた。私はそれをぎゅっと握り締めて、目一杯に声を絞り出す。
(私はきっと、ずっと前から――)



「今泉くんが、好き」


 もう、後悔はしたくない。



 20140727