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「ゆら!」

 先輩の名前先輩との最後の部活を終え、下校するため靴を履き替えていると後ろからそう声を掛けられた。急に誰かの手が肩に乗ったから吃驚して振り返るとそこにはあの日と変わらない笑顔で笑う、久しぶりの彼の姿。

「鳴子…くん」
「久しぶりやな!」
「う、うん、久しぶり」

私はぎこちない笑顔で鳴子くんに挨拶を返した。すると鳴子くんは何かを思い出したようにポンと手を叩いて私に顔を近付ける。

「ゆら、こないだ風邪引いて保健室行っとったやろ?もう治ったんか?」
「あ、もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「気にせんといてな!それより治ったんなら良かったわ!」
「う、ん…」

ぎゅう、と胸が締め付けられるような気持ちだ。消しきれない"焦り"に似た感情が心臓を痛め付ける。鳴子くんから声を掛けてくれて、こんなに明るく笑ってくれているのに。
(でも、だって…鳴子くんにはもう、)


「ゆら?どないしたん?」
「っあ、えっと、その…」

 私なんかと話してないで、彼女のところに、あの子のところに行けば良いのに。私なんか心配しないで、あの子と笑っていれば良いのに。どうして、私なんか構うんだろう。
鳴子くんが心配してくれているのに私はちゃんと鳴子くんの目を見て話せなかった。

「わ…私なんかいいから、その、彼女のところ……行ってあげて」

勇気を振り絞って、もう半ばやけくそに口に出した言葉は少し棘のあるものになってしまう。(あ、ああ、もう)驚いたように目を見開く鳴子くん。答えは言われなくたって分かってるんだ、きっと鳴子くんは照れたように笑って
「せやな、ほなそろそろ行くわ」
って。そう言うと思った。だけど。

「え?」
「…え?」

私の想像とはまるで違う。不思議そうに首を傾げて私を見つめる鳴子くんに息が止まった。ひゅうひゅうと煽るような風が頬を掠る。

「ゆら…何言うとるん?」
「え、だって鳴子くん、」
「ワイ彼女おらんで」


――……え?


「っ彼女…いない、の?」
「カッカッカ!ワイに彼女なんかおるわけないやろ、ほんまにオモロイこと言うんやなぁゆらは」
「で、でもこの前」
「この前?」
「あ………、ううん」

あまりに衝撃の大きい事実に私は呆然と立ち尽くしたまま鳴子くんから目を逸らした。
「…なんでもないよ」

 とりあえず、考えてみる。頭を整理してみる。つまり鳴子くんには彼女はいないらしい。考えられることは一つだけだ。
(断ったん、だ…あの子の、告白…)
だとしたら私は。
(最悪、だ)

「私は…鳴子くんの彼女にはなれない」

今までずっと私を応援してくれていた今泉くんに対してあの日言った言葉は、何よりも失礼なものだったのだと自覚する。最低なのは、今泉くんじゃなくて私だ。私が勝手な勘違いで今泉くんを突き離そうとしたんだ。

「っと、もうこんな時間や!ほなゆら、またゆっくり声掛けるさかい!」
「あ、う、うん。またね」

ぶんぶんと手を振る鳴子くんにひらりと手を振り返し、深く、息を吐く。

「っ…ぁ……」

吐き出した息と一緒に、心臓が出てきてしまいそうだった。
(――…くん、)
息苦しさに耐えるようにして目を閉じれば、瞼の裏にぼんやりと映る黒い髪。まるで目が合う人全てを睨み付けるような、冷めた目付き。でも本当は、

(…今泉、くん、今泉くん、)

知ってるんだ。優しい顔も、安心感のある声も、大きな手も、本当は今泉くんが温かくて陽だまりみたいな人だって。皆が知らない今泉くんを、私は知っている。

「…今泉くんはね、ゆらのことがきっとすごく大切で、好きなのよ」



「う、っぁ……」


「忘れられない人がいるの?」

 違う。忘れられない人なんか、もうとっくのとうに消えてしまっていて。ただぐるぐると頭の中を巡っていたこの気持ちは、恋なんかじゃなくて。ずるずると鳴子くんへの気持ちを引きずって、私は、自分を正当化させようとしていた。本当はもう、とっくのとうに、忘れてしまっていたんだ。


「好きなんでしょ?今泉くんのこと」



「っ…き…好き、好き…今泉くん…っ」


 好きになってしまったあの人に会いたい気持ちで胸がいっぱいになり、大粒の涙がぼたぼたと地面を濡らした。誰かに会いたくて泣くなんて、初めてだった。


 20140724