aisiteHERO | ナノ
 担任に言われて気付いたのだが、今日は私が日直だったらしい。
朝やるはずだった仕事は担任がやってくれたらしいので感謝だ。とりあえず放課後までにやっておけという言葉付きで渡された日誌を書きながら、私は溜め息をついた。放課後まで、担任は確かにそう言っていたと思う。しかし何ということに、もう放課後なのだ。
幸い今日は部活がないから良いとして、この日誌を書き終えたら次は黒板の掃除が待っている。黒板消しや黒板の溝も綺麗にして教室の鍵を閉め担任の所へこの日誌を届けてやっと日直の仕事は終わりとなる。とにかく今は無駄なことを考えずに日誌に専念しようとした時だった。


「本田、帰らないのか?」

 ふと上から聞こえた声に少し吃驚して顔を上げると、そこにはもう帰る支度をし鞄を持った今泉くんが立っていた。今泉くんはこれから部活だろうか。

「うん。今日、私日直だから」
「…そうか」

今日は早く帰れる予定でいたから楽器屋にでも行こうと思っていたのに少し残念だ。そんなことを思いながら、止めていた手をまた動かす。今泉くんはしばらく日誌を書く私を見つめていた。何やら言いたげな顔でこちらをじっと見つめるものだからこちらも少しやりにくくて、どうしたの?とでも声をかけようと思った時今泉くんが唐突に黒板消しを手に取り言う。

「あ、」
「手伝ってやるよ」

何とも上から目線なその言葉に驚きつつも私は今泉くんの手から黒板消しを奪おうと手を伸ばした。
「え、いいよ、だって今泉くん部活あるんだし」
そう言うと今泉くんは無表情のまま「今日は休みだ」と返してきたため、今回はお言葉に甘えようと思う。

「じゃあ、お願いしていいかな」

いつもいつも思うのだけど、今泉くんが周りからクールだとか怖いだとか話しかけづらいと言われているのをよく耳にするのはきっと、今泉くんが不器用だからだと思う。不器用というよりは"笑顔がない"の方が合っているのかもしれないが。でも本当は今泉くんはとても優しくて、人情深くて、気遣いのできる良い人なんだ。皆は、それをあまりよく知らない。それに比べれば私は、今泉くんの友達として上手くやっていけてるだろうか。こんなにも優しい今泉くんに迷惑を掛けていないか、困らせていないか、面倒だと思われていないか、たまに不安に思ってしまう。




「やっと終わった…!」

 椅子に腰かけたまま背中を伸ばし、吐き出すようにそう言う私を見て今泉くんもお疲れ様と言うように笑った。
私は鞄を背負って書き終えた日誌を手に持つ。あとは教室の鍵を閉めて、この日誌を担任の所へ持っていくだけだ。

「今泉くん、本当にありがとね。手伝ってくれて助かったよ」
「ああ、俺も暇だったからな」

今泉くんは相変わらずの表情でそう言う。そんな今泉くんに心から感謝して、私は椅子から立ち上がろうと腰を上げた。とその瞬間、踏み込んだはずの足が何かに滑ってぐらりとバランスを崩してしまう。重力に逆らうことなく床に倒れ込みそうになった私を見て、今泉くんがガタンと椅子から立ち上がった。

「本田!」

初めて、今泉くんが大きな声を出した。
そんなわりとどうでも良いことを考えているうちに、私の視界は大きく揺れる。しかし何故か体のどこにも痛みや衝撃はなく、それどころか、何かに包まれているような感触に私はぎゅっと瞑っていた目を開けた。


「…――、え、」


 背中に回された大きな手。何か温かいものに顔を抑えつけられて視界は真っ暗だ。ぴりぴりと静寂が耳に刺さる中、私は状況を確認するためだらんと下ろしていた手をゆっくりと上げた。どうしてか、手が震える。熱い息のような何かが、髪にふわりとかかったような気がした。
 これは、もしかして、もしかすると、

「い、まいずみ、くん」

恐る恐る、声を振り絞った。ドキドキと心臓が音を立てて鼓動を加速させていく。
 私よりもずっと高い場所にある肩に触れて、確信した。今泉くんに思いきり抱き締められているということを。



 20140719