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(今泉視点)


 自分でも正直、驚いていた。
俺が本田と親しくなりよく話すようになったことも、本田が鳴子に本気で恋をしているということも、そんな状況に違和感のような何かを覚えている自分も。

 俺が保健室に入り本田に声を掛けた時、返事がなかったから俺は勝手にカーテンを開けて中に入ってしまったのだ。控えめに肩を揺らして声を掛けてみたが本田は起きる気配がなく、しかしぐっすり寝ているというには少し息苦しそうな顔をしていた。
「本田」
聞こえるわけもないだろうが、一応名前を呼んでみる。案の定返事はない。
 微かな寝息を立てながら眠る本田の眉間には皺が寄っていた。それはあまりにも辛そうな表情で、これじゃあせっかくの整った顔が台無しだ。こうして本田を見てみると、睫毛が長いことや肌が綺麗なことに気付かされる。そんな馬鹿馬鹿しいことを考えているうちに、本田が薄く口を開いた。

「…っ……」
開かれた口から、蚊の鳴くような声が出てくる。しかし何を言っているのか聞きとれずによく耳を澄ませてみると、本田はハッキリとこう言ったのだ。

「鳴子くん」
「、」

本田が鳴子の名前を呼んだのと同時に、本田の目から透明な雫が零れた。それは白い頬を濡らし、重力に逆らうことなく滑り落ちていく。俺は、目を見開いて本田を見つめた。
 感じたのは、本田と俺の間にある、薄い壁のような"何か"。

「……本田…」

その長い黒髪を、撫でたいと思った。涙にぬれた白い頬も、無防備な額も。本田に触れたいと、初めてそう願った。しかし俺は本田に手を伸ばすことができず、ぎゅっと力任せに拳を作る。
 どうしてこんなにも自分が本田のことを気にかけているのか、分からない。本田と初めて話した時は、さして特別な感情など抱かなかったし、ただ単に不思議な奴だと思った。想像していたよりは話しやすく分かりやすい奴だとも思ったが、それ以上の感情は全く浮かぶことはなくて。強いて言えば、ただの"席が隣のクラスメイト"というようなものだろう。それなのに。

 本田が魘されているような声を漏らした時、俺は咄嗟にベッドから離れカーテンの外に出た。するとすぐに本田は目を覚ましたのだろう、ベッドが軋む音が聞こえて俺は改めて本田に声を掛ける。

「大丈夫か、本田」

我ながら苦しい芝居だと思った。しかし本田はそれに気付くことなく、対応してくれる。(鈍感、というか…)コイツのこういうところがたまに心配になったりするんだ。
カーテンを開けて良いか聞いてみると少し間を置いてから「うん、いいよ」と返事が返ってきた。俺はそれを合図にカーテンを開ける。目を開けて俺を見つめている本田は、明らかに顔色が悪いし涙の跡も消えていない。

「お前さ」
「な、なに?」
「鳴子と何かあったのか?」
「…!!」

本田の目が大きく見開かれて、かなり動揺しているようだ。本当に分かりやすい。気まずそうに俯き黙り込んでしまった本田を見つめながら、俺は本田の言葉を待つ。するとその小さな口から発せられた言葉に、俺は思っていたよりもダメージを受けることになる。


「もう、応援してくれなくていいよ」

そのたった一言で、俺は本田に付き離されたような気分になった。
唇を噛み締めながら今にも泣きそうな顔をしている本田を見て、俺は思わず眉間に皺を寄せてしまう。別に俺を責めるわけでもないその言葉は、何故か俺の胸に抉るような傷を負わせた。

「大丈夫、もう大丈夫だから、今泉くんは教室に戻ってて」
大丈夫なわけがない。俺は本田を見つめたまま、眉間の皺をより深くする。
「何か、あったんだろ」
自分なりに優しくそう言った。すると本田は俺からフイと目を逸らして、また泣きそうな顔をする。どうしてそんな顔をするんだ。笑っていた方がコイツはもっと良く見えるのに。

「私は…鳴子くんの彼女にはなれない」

ひどく悲しそうで、悔しそうな声。目に涙を溜めながら小さな手で布団を握り締める本田が、あまりに痛々しく見えた。俺はそんな本田を慰めてやることすらできずに、必死に返す言葉を探す。

自分がどうしてここまで本田に関わろうとするのか。本田の口から鳴子の名前が出てきた時に感じる違和感のようなものは何なのか。本当に分からないことだらけだ。少しだけ、本田のことが分かってきたような気がしていたのに。

「もう一時間だけ休んどけ」

結局、それしか言葉が見つからずに俺は保健室を後にする。
最後に見た本田の顔が、いつまで経っても忘れられなかった。


 20140510