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▼ 7




テストの出来はそこそこで、帰宅を果たすと家には誰にもいなかった。
親父はひと眠りしたらまた出社すると言っていた。夕飯時間までには帰る予定だとも言っていたが、どうなるかは分からない。
ひとまず昨日黄瀬に伝言されたとおりの夕飯メニューに必要な食材は買ってきた。

キッチンに向かい、食材を冷蔵庫に仕舞いながら。今朝親父に宣戦布告した内容を思いだし、妙に気恥ずかしい気持ちがいまさらながら込み上げてきた。
あの後親父は「そうかよ」と言って、それきりだった。それきり、黄瀬のことは一切話題に出さなかった。

自分の一人息子が、男を好きだと宣言して。何とも思わない親はいないだろう。
まして相手は自分の部下だ。もっと、騒ぐと予想していたのだが。
冗談だと思われている可能性もなくもない。それならばそれで構わない。親父に何と思われようとも。オレが反応を恐れる対象は、ただ一人。

黄瀬が、答えてくれるのならば他はどうだっていい。



次に黄瀬がうちへ来たのは、それから翌週末。オレのテスト答案返却期間が終了した日のことだった。

「お疲れサンっス。結果はどーだった?」
「まあ、そこそこ。赤点はねぇぞ」
「マジっスか?えらーい。頑張ったっスね、大我クン!」

これといって事前連絡もなく親父は黄瀬を連れて来た。いつもよりは少し早い時刻の帰宅。オレはすでにメシもシャワーも済ませていた。
なぜ今日黄瀬を連れてきたのか。それは何となく言われずとも予想できた。
「そっちこそ、お疲れ。カタついたんだろ?」
「ん?ああ、お父さんから聞いた?ギリギリ納期に間に合ったっス。お陰さんで!」
「…オレは何もしてねーぞ」
「お父さんのことフォローしててくれたじゃないっスか。家のこと全部してくれてるって、オレちゃんと聞いてんスよ?」
「んなのは前からだし。べつに…」

親父のためにしてやったことなどは一つもない。家事のことにしても。ほとんど一人暮らしに近い状態で、自ずとやらされてきたことだ。
それがこうして黄瀬に褒められるのは非常にこそばゆい。だが、まあ、悪い気はしない。

親父がシャワーを浴びに行っている間、オレと黄瀬はいつかのようにキッチンで夕飯の支度をする。黄瀬と親父が買ってきた刺身を切り刻む黄瀬の包丁使いは相変わらず危うい。刺身と一緒に自分の指まで切り落としそうな不安感から、思わず危ねぇと言って黄瀬の腕を掴む。黄瀬は少し驚いて、こっちを見て。フシギそうに首を傾げる、その幼い仕草にちょっとやられた。
「何スか?いま危なかった?」
「…包丁貸せよ、オレが切る」
「マジっスか。これダメ?ちゃんとバラバラにはなってるっスよ?サイズだって揃えてるしー…」
「見てて危なっかしいんだよ、手つきが。いいか、黄瀬。お前、まず添え手がおかしい。刺身掴むんじゃなくて、乗せるんだよ、こう」
「あ、これって噂の猫の手?ニャー!…なんつって」
「…何それ」
「へ?違うんスか?」
「いや、猫の手で合ってっけど、…バカじゃねーの?お前」

すぐ隣で両手を丸めて、頭の横でクイクイ手首を曲げつつ鳴き声を演じる28歳の男を見て、他にどう言えばいいか分からなかった。…カワイイなんて、思っても言えるはずがない。
いまいちなオレの反応に黄瀬はやや不服そうに唇を尖らせ、だが大人しくオレの包丁捌きを横から見ている。
「やっぱ上手っスね、大我クンは」
「…普通だよ」
「こーんなデカい手してて、よくも器用に猫の手出来るっスねー」
「手のデカさは関係ねぇって」
「…オレよりも手ぇデカくない?ちょっと貸してみ」
「うわっ、邪魔すんなよ!」
「ケチー。いいじゃん、手くらい握らせてくれたってー」
「に、にぎ…っ、らせねぇよ!」
サイズを測る、ならまだしも、握る、などと言い換えられれば。たちまちオレは動揺し、黄瀬の不信感を煽ってしまう。
「…何スか?その反応。何かおかしくない?」
「……おかしくねーよ」
「大我クンって他人に触られるのキライなタイプ?パンツ脱がそうとしたときも尋常じゃない怒りっぷりだったし。てっきり、思春期特有の潔癖な拒絶かと思ってたんスけど」
「…誰だって怒るだろ、急にパンツ脱がされそうになったら」
「そーかなー」
「じゃあ何だよ、お前はオレにパンツ脱がされても、」
包丁を握ったまま黄瀬を見て、後悔する。この会話内容についても、目にした黄瀬の無防備な横顔についても、この意外に近かった距離感についてもだ。
視線に気付いた黄瀬が目を動かす。交わる直前にばっと逸らす。動悸を逸らせながら。
「…何スか?いま、すげぇ勢いで目ぇ逸らさなかった?」
「…逸らしてねぇし、元から見てねぇ」
「うっそ、何でそんな分かりやすいウソつくんスかぁ?絶対見てたっスよ!」
「見てねぇよ!」
「ウソツキはドロボーのハジマリっスよー。大我くーん?」
「うっせ!!顔近付けんな!」
ぐいっと身を寄せてきた黄瀬に内心慌てながら距離を遠ざけようとしたところ。聞こえた声は、この場にいなかった第三者のもので。

「…オイ、何イチャついてんだ。さっさとメシ食わしてくれよ」

落ち着いた冷静な親父の声に、オレは我に返って気まずくなった。




「大我、お前黄瀬くんのパンツを脱がしてぇのか」
「ブッ!!な、何言ってんだテメェ…ッ!」
親父と交代で浴室に向かった黄瀬を見送り、中断していた調理の手を再開させた途端。ドアに寄り掛かってこっちを見てる親父がとんでもないことを言い出した。
先ほどの会話が聞こえていたのかもしれない。親父は目を細め、ニヤニヤしながら続ける。
「照れんなよ。ホレた相手のパンツくれぇ、誰だって脱がしたいと思うだろ」
「あ、相手が誰だか分かって言ってんだろうな…?!」
「ああ、オレの部下だ。丸一年掛けて口説き倒して漸く引き抜きに成功した、大事な大事な社員だよ」
「……」
嫌な言い方をする。これでは、黄瀬には手を出すなと遠回しに言われているようなもんだ。
だが親父の意図は、違ったらしい。

「…お前と黄瀬くん見てたらよ、お前の母ちゃんのこと思いだしたわ」
「……は?」
「やっぱ似てんのかねー、黄瀬くんは。お前、どんだけ覚えてる?自分の母親のこと」
「そりゃ…」
「とびきり美人ってワケじゃなかったが、愛嬌のある顔してた。裏表のない性格で、誰からも好かれてた。人懐こくてよく笑って、時々めんどくせぇくらいにじゃれてくるときもあったし、いくつになっても無邪気で大人気なくて、よくケンカもしたっけな」
「…おい、親父」
つらつらとおふくろの話をしながら歩み寄って来た親父は、最後にポンとオレの肩に右手を置き、顔を寄せて囁いた。
「今夜はお前に黄瀬くん貸してやる。しくじんなよ、大我」
「…ッ!」

そう言った親父は離れる際に、オレの手の中に何かを滑りこませ。
すっとオレに背を向け、キッチンを後にする。

残されたオレは自分の手のひらに納められたコンドームの袋を茫然と見下ろすしかなかった。



「あれ?火神サンは?」
「…出掛けた」
「へ?!うそ、オレ何も聞いてねぇっス!え、帰ってくるっスよね?」
「さぁな。…たぶん、来ねぇ」
「マジっスか…。相当酒買い込んでたっスよ?!オレも久々に浴びる様に飲めるって思ってたのにー…」
「一人で飲めばいいだろ」
「そんな寂しいマネ出来ないっスよ…」

シャワーを浴びて戻ってきた黄瀬が親父の不在を知り落胆することなど目に見えていた。
実際の反応を見てまったく動じないというわけにはいかないが、努めて平静を装い、作った酒のつまみをどうするか尋ねる。食うと黄瀬は答えた。
「あーあ。せめて大我クンがあと4つ年食ってたらなー」
「…付き合ってやってもいいけど」
「やっさしー!…でも、ダメっス。お酒ははたちになってからっスよ」
「オレは飲まねぇよ。酌するくらいなら、しょっちゅう親父にやらされてたし。そんでいいなら」
「……マジ優しいんスね。じゃ、お付き合いしてもらっちゃおっかな」
オレの申し出に、ころりと機嫌を直した黄瀬がにこにこしながらビール缶を持ち出す。その後に続くオレは心臓が破裂しそうな気分だった。
そんなオレに気付かない黄瀬は、余計な爆弾を落としていく。

「言っとくけどオレ酔っ払うとスゴいんで。覚悟しといたほうがいいっスよ?」




しくじるなと言われても。何を、どう、進めればいいのか。
いやそれは分かっている。ビール缶片手にべらべらと仕事のことや自分の学生時代の思い出話なんかを喋り倒している黄瀬の顔をちらちらと盗み見していれば。親父がオレに示唆した行為は、現在オレの胸中にくすぶっている欲求と重なっていた。
オレよりも色の白い肌が、アルコールによってほのかに染まっている。フロ上がりでさっぱりとした黄瀬は堅苦しいスーツも身につけていない。代わりに着ているのは例によってオレが着古したシャツとハーフパンツだ。
その下に履いているパンツは以前泊まりに来た時に洗濯を引き受けたものだから、柄も形もよく知っている。瞬きするフリして目を閉じれば容易にイメージ出来る。今着ているハーパンをずらし、引き締まった腰のラインにあのパンツの柄が見え隠れする、その光景を。オレの頭の中で黄瀬はオレの身体の下にいる。

「…っち、大我っち!」
「はっ?!な、何だ?!」
「…何スか、ぼーっとしちゃって。オレの話聞いてた?」
「…ああ、聞いてた。…で、何だよその、っち、ってのは」
「んー。あー。何か学生時代の話とかしてたら昔のクセが出て来ちゃったっスね。オレ、昔ね、気に入った人とか尊敬してる人のこと、他と区別するために苗字に「っち」ってつけて呼んでたんス。大我っちは火神サンとカブるから名前呼びっスけど」
「…ふざけた呼び方だな、やめろよ」

親父とカブる、と言われたことにカチンと来て、強い口調で拒絶する。黄瀬は気にした様子もなく、にんまりと笑って絡んで来た。
「いーじゃん、なんかクン付けだと他人行儀な気がするし。愛称ってやつっスよ、愛称」
「他人だろ、オレとお前は」
「寂しいコト言うー。オレと大我クンの仲じゃないっスか。そろそろ心開けよ」
「……」
酔っ払っているのは目に見えて分かる。それにしても、こいつは酒に弱い部類なのだろうか。空いている缶は1つだけだ。
真っ赤になりながらまた缶を煽る。喉仏が振動するのを見ていると、黄瀬の目線がこっちを捕らえた。
「…なんて、呼ばれたい?」
「は?…べ、べつに、今まで通りで…」
「大我クン?」
「……いや」
「ちゃん付けのがいい?それとも可愛いあだ名つけて欲しい?呼び捨てのが親近感沸く?」
「……」
ぐしゃりと、黄瀬の手の中でアルミ缶が音を立てた。二本目がカラになったようだ。続けて新たなビール缶を手にし、タブに指を引っ掛けながら。
「アンタはオレのこと、しょっぱなっから呼び捨てだったよね。年下のくせに、生意気でー…」
「は?」
「…火神サンの息子サンだから大目に見てあげてたけど、…そろそろ、限界かも」
「な、なんだよ、お前怒って…」
「ないよ。逆。逆にさ、オレ、……火神っち」

いったん手元に落とされた目線が再びオレの顔へ戻ってくる。視線が交わり、息を止める。逸らすことは出来なかった。
火神と。本来は別の人間を指す呼び名を、黄瀬は口にする。黄瀬いわく、他と区別するための敬称らしきものをつけ。真っ直ぐに、オレの目を見据えながら。
「…どーしよ、割と、酔っ払ってきた」
見れば分かるようなことを申告し、クスクス笑って。
「いますごく、火神っちが火神サンよりもいい男に見えちゃってる」

いたずらに、地雷を踏んで見せてきた。










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