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▼ 6




自分で申告していた通り、黄瀬は決して教えるのが上手くはなかった。
それどころか分からない問題について尋ねれば、オレと同じような渋面を作って考え込む始末。家庭教師としては使い物にならないと言ってもいい。
だけど黄瀬は質問の回答を有耶無耶にすることはなかった。自分で分からないことがあれば教科書をじっくり眺めたり、携帯を使って調べたりして正解を探し出す。そして得意げにオレに報告する。黄瀬に調べさせた内容は、すんなりとオレの脳に滑りこんで知識として刻まれた。

年上の家庭教師に勉強を教わっているというよりも、自分と同レベルの学力を持った同級生と同じ問題を解いているような感覚で進められたテスト前夜。独りで黙々と暗記事項を漬け込むよりは、よっぽど有意義な時間が過ごせたと思う。


日付が変わる直前に休憩を挟み、黄瀬を部屋に残して飲み物を取りに行く。
親父はまだ帰っていない。忙しいってのはマジなようで、そんな時に黄瀬を強引に引っ張りこんだことについていまさら罪悪感が込み上げてきた。
親父や黄瀬が会社でどんな仕事をしているのかオレには測り知れない。分かるのは、親父にとって黄瀬は必要不可欠な重要人物ってことくらいなものだ。
それなのに黄瀬をオレの元へ送り出してくれた。親父にどんな意図があってそうしたのかは不明だが、感謝はしている。黄瀬がオレの部屋にいることで、精神的な安定は得られるしテスト勉強は捗る。そして何よりも。

これが黄瀬本人の決断であってもなくても、黄瀬が、親父よりもオレを優先した事実が純粋に、嬉しい。


ガキみたいに浮かれた気分で部屋に戻ったオレは、そこでこの浮ついた感情をぶっ壊す光景を目撃することになる。
「…黄瀬?」
教科書や問題集が所狭しと広げられたテーブルに顔を突っ伏している黄瀬を見て、若干血の気が引いた。
名前を呼ぶとすぐに黄瀬はがばっと顔を上げ、こっちを向いてへらりと笑った。
「あー、やべ。ちょっと寝てたっス」
「…眠かったのか?」
「ん?…いや、べつにおねむの時間ってわけじゃないっスよ?…最近疲れてっからね。ちょっとこう、一人になったらウトウトきちゃって。でも平気っス、まだ寝なくても」
「……」
へらへら笑いながら大丈夫だと言う黄瀬の顔色は、あまり良好とは言えない。疲れている。そりゃ、毎晩家に帰る余裕もないくらいに働いていれば、当然だ。
親父に悪いと思っていたが、黄瀬本人にも同じ気持ちを抱く。オレの都合に付き合わせて、休める時間を奪ったこと。申し訳なく思いながら、オレは黄瀬の前にウーロン茶で満たされたグラスを置いた。
「…今日は、こんくらいでいーよ」
「へ?でもまだ途中…」
「充分だ。別に、そんないい点取れなくても赤点さえ免れれば進級出来っし。今日はもう、休めよ」
「大我クン…」
正直に言えば、勉強のことを抜きにしてもまだ黄瀬といる時間を終わらせたくはなかった。せっかく連れ込むことに成功したのだ。眠りたくはない。
だがそんな我侭に黄瀬を付き合わせるわけにはいかない。黄瀬はオレと違って、授業やテスト中に机に突っ伏して寝ることなんて出来ない社会人なのだから。

黄瀬の下敷きになっていた教科書や問題集を持ち上げ閉じる。その動作を眺めながら、ぽつりと黄瀬が呟いた。
「…寝なくて平気、っつってんじゃん」
「平気じゃねーだろ」
「平気っスよ。こんなの、馴れてるし。前の会社ん時は三日くらい徹夜で働いて…」
「仕事は仕事だろ。今日はオレが頼んでお前に来て貰ったんだ。仕事時間じゃねぇんだから、無理して起きてる必要は…」
「無理なんかしてねぇっス!」
唐突に声を荒らげた黄瀬に驚きつつ顔を見る。オレを睨む険しい表情は、初めて見るものだ。
「黄瀬?」
「…変な気は使わないで欲しいんスけど。ここに来たのはアンタに呼ばれたからだし、アンタに徹夜でテスト勉強させる気もねぇっス。でも、寝るか寝ないかはオレが決めることっしょ?」
「は?何だよそれ…」
「オレ、火神サンに頼まれたんスよ。どうせ勉強教えるならいい点取らせてくれって。だから、オレの都合でお終いにするわけにはいかないんス。…頼むよ、大我クン。続けさせてくれ」
「……」

ここに来て、親父の依頼が黄瀬の口から出てくるとは思ってもみなかった。こんなに疲弊したツラしてるくせに、どうして無茶なことを言い出すのか。それは、決してオレのためではないのだと。そう言われた気がして、気が立つ。
「…勝手なこと言ってんじゃねーよ。オレは、そんな疲れたツラしてるお前に夜更かし付き合わせる気はねーよ」
「疲れてねーよ」
「疲れてるっつっただろ、さっき、自分で。…いいから、下行けよ。ここ片付けたら毛布持ってってやるから」
「行かない。寝ない」
「黄瀬…」
頑なに就寝を拒む黄瀬が、そこではっとしてように目を見開き。それから顔を俯かせて、うーと唸った。
「…何だよ」
「…いや、ごめん。…なんか今、オレすっごい駄々っ子みたいな感じだったっスね…」
「……」
「…なんだろ。おっかしいな…。オレ、普段こんなじゃないのに。…ごめん、大我クン。さっきの、忘れて。…寝るわ」
急に自己完結したようなことを言い出し、黄瀬は腰を上げた。すかさずオレは黄瀬の腕を掴んで、部屋から出て行くのを防いでしまう。
「…何スか?」
「いや…、…やっぱ、…いいよ」
「は?」
「…オレ、別に無理やりお前を寝かしつけるつもりもねぇし。そんなに親父のことが気になんなら、このまま勉強続けたっていーよ。お前が、」

黄瀬が。
自分の身に鞭を打ってでも、親父と約束したことを叶えたいと言うのなら、オレは。

「…ちょっと、待ってよ…」
「あ?」
「…さっきから、何なんスか、アンタは。…大人からかうのも、いい加減にしてくんないっスかね?」
「な、なんだよそれ…、オレはべつに…」
「火神サンに頼まれたっつーのは、嘘っス。あの人そんなこと一言も言ってなかった。オレが寝たくないのは、もっとアンタと一緒にいたいと思ったからっス」

振り回される実感があった。
きつくオレを見据えて、早口で捲くし立てる黄瀬の。目尻がほのかに染まっている理由を、邪推してしまう。
「黄瀬…」
「でも、今はちょっと、もうやめにしたいって思ってる」
「は…?」
「だって、オレ、これ以上アンタと二人でいたらさ、」
目線を逸らし、黄瀬は言う。
「…アンタが、オレよりひと周りも年下の高校生ってこと、忘れてアンタに甘えちゃいそうだし」

ぱっとオレの手を振りきった黄瀬が、そそくさと部屋から出ていく。
その背中を茫然と見送り、数分後。黄瀬の発言が頭蓋に残響し、自分の首から上がみるみるうちに熱を帯びて行くのが分かった。


年の差を。気にしているのは、オレだけじゃないってことが今ので分かった。
それを気にしているってことはつまり、黄瀬もオレを意識していると言っても自惚れではないだろう。
もしかしたら、だから、なのかもしれない。
黄瀬が、必要以上にオレを未成年扱いするような発言を重ねるのは。
オレが一回りも年下の未成年であることを自身に言い聞かせるためにあいつは。

「……マジかよ?」

まるで相手にされないはずの年齢差が。今になって、急激に縮んだような気がした。

少なくとも、こっちのほうは。
もうとっくに、黄瀬をひと周り年上の男だなんて思えなくなっていて。

はっきりと、自覚する。
オレは、黄瀬を振り向かせたい。

いくつ年が離れていようとも、黄瀬の気がオレの親父に向いてたとしても、構わずに。
行けるような気がしてる。それは、世間知らずの特権だ。

決めた。



ろくに眠れない夜を過ごし、朝になり。リビングへ足を向けると、そこには親父の姿があった。
「おう、大我。おはよ」
「…はよ。いつ帰ったんだ?」
「さっきだよ、さっき。はー疲れた。大我、メシ作ってくれ」
「いいけど。…黄瀬は?」
あるべき姿がないことを親父に問えば、自分と入れ違いに出社したのだと言う。
「こんな時間に…?」
「黄瀬くんには悪いけど、マジで人手足りてねぇんだわ。オレの仕事任せられんのも黄瀬くんくらいしかいねぇからな」
「は?お前、あいつに仕事押し付けたのか?」
「人聞きワリィな。大半は片付けてきたよ。あとは雑務処理だけなんだけど、セキュリティの問題があっから黄瀬くんに頼んだんだよ。ちょっとはオレにも寝る時間くれよ」
「…ふぅん」
どうやら昨日黄瀬が早い帰宅を許された反動は、親父の仕事量にかなり影響したらしい。ぐったりした様子でソファーに寄り掛かっている親父はマジで疲れきっている。
「…悪かったな、黄瀬のこと」
「あ?…ああ。構わねぇよ。黄瀬くんはそろそろ休ませてやんねぇとって思ってたし。お前が誘ってくれて助かったよ。…オレが言っても聞きやしねぇからな、あの子は。家に帰っても誰もいねぇから、会社にいたほうがいいっつって」
「…だろうな」

誘ったところで、黄瀬が充分に休めたかどうかは不明だ。遅い時間まで勉強に付き合わせてしまったし、あの後もよく眠れたかどうかは確認していない。
それでも、親父曰く。今朝見た黄瀬の顔色は悪くはなかったそうだ。

それなら良かったとキッチンへ向かおうとした背中に、親父の余計な一言が飛んでくる。
「なあ大我、お前さ、黄瀬くんにホレてんだろ?」
顔を見なくても、奴がニヤけているのが分かる声だ。まったく、カンの鋭い親父だと心底思いながら。
挑発的にも取れるその声に、視線を返すことなくオレは言い放った。

「あーホレてる。ワリィかよ」

少なくとも、オレは。
親父よりも黄瀬を気遣い、大事にしてやる自信がある。










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