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▼ 5




テスト期間中の放課後、黄瀬の姿を街中で見かけたのは偶然だった。

「あれ?大我クンじゃん。何スか?いま学校の時間じゃねーの?」
「いまテスト中だから早ぇんだよ。…お前こそ何だよ、仕事は?」
「オレはお使い中っス。取引先に書類届けに行った帰り」
「は?それって秘書の仕事なのかよ?」
「んーん。本当は営業サンがやることなんスけど、担当者が風邪でダウンしちゃって。久々に客先訪問すんのも気分転換になっていいっスね。羽伸ばせたわー」
「サボってんじゃねーぞ?」
「お父さんには内緒っスよ?」

黄瀬と遭遇した場所は駅前のファーストフード店であり。携帯片手にポテトを貪り食ってる黄瀬は、外回り営業担当者の特権と現在の自分の状況について早々に認めた。
例の連泊から、半月ほど経っている。あれから黄瀬は一度も家へは来なかった。親父の帰りも毎晩遅いから、仕事が忙しいのだと思っていたのだが、本当にそうらしい。
「実は家に帰るヒマもないくらいにてんやわんやなんスよ、今。これじゃあ前の会社と同じだって、昨日火神サンにブチ撒けたとこっス。したら外回り頼まれたんで、ひょっとしたら気ぃ使われたのかも」
「…あいつはそんな気の効く男じゃねーぞ?つーか、親父は毎晩帰って来てっけど」
「そりゃ、待ってる家族がいる人はちゃんと家に帰らなきゃ。オレは独り身なんで関係ねーっス」
「ふぅん。…会社って、シャワーとか使えんの?」
「うん、仮眠室とかもあるし。結構快適っスよ」
「…あっそ」
社員が家に帰れないほど頑張ってんのに、社長の親父が毎日帰宅していることが不服に思えて頬杖をつく。するとオレの横顔を見て何かを悟ったのか、黄瀬はクスクスと笑い出した。
「…んだよ」
「んーん。…実は、家に帰れない状況は火神サンも気に掛けてくれてたんスよね。終電間に合わないなら、火神サンち泊まってもいいって何回か言われてんスけど」
「…すりゃいいじゃん」
「んー…。…それ、便利は便利なんスけどねぇ。…でも、悪いじゃん?あんま甘えっぱなしってのも」
「…甘えじゃねーよ、それは。親切を受けるっつーんだ」
「あは、またお父さんと同じこと言うんスね。…でも、いいんスよ、ホント。便利だからって火神家に通い過ぎるとオレ、自分の家が分からなくなっちゃうから」
「…お前、何に遠慮してんだよ?」
笑いながら冗談か本気か区別のつき辛いことを言う黄瀬に、顔をしかめて問い掛ける。すると黄瀬の顔からすっと笑みが消えた。
「遠慮?…そんなんじゃないっスよ、オレ」
「してんだろ。…親父もオレもいいっつってんだから、来ればいいだろ」
「……んー…」
「…来たくねぇ理由があんのかよ?」

何となくその理由に心当たりはある。
自分の家が分からなくなるから。それは、自宅に帰りたくなくなるからという意味合いであり。
上司に対する思慕を抱えているであろう黄瀬が誘いに乗れない事情は、簡単に推測つく。

だが敢えて尋ねてみれば、予想とは異なる回答が黄瀬の口から飛び出てきた。

「…どっちかってーと、甘えちゃうのは火神サンじゃなくて、大我クンに、だと思うんスよ」
「……は?」
「…メシとか、ウマいじゃん。こないだ泊まらせて貰った二日間、すげぇ快適で。あれ知っちゃったら、もう一人暮らしに戻るのとか辛くなるなーって、考えちゃって」
「…んだよ、それ。オレのせいかよ」
「せいってわけじゃなくて。…しかもさ、オレ、恩をアダで返すようなマネしてんじゃん?大我クンのパンツ脱がそうとしたり」
「…そりゃ、親父が…」
「あの時オレちょっと楽しんじゃってる自分に気付いてたんスよ。…大我クンの反応が、カワイくてさぁ」
「……」
「しかもいまテスト期間なんスよね?ますます、邪魔出来ない大事な時期じゃん。だから…、…大我クン?」

予想を裏切る回答を得て、オレは言葉を失う。掌で顔面を覆い俯くと、怪訝そうな声で黄瀬がオレの名を呼びかけて来た。
「…え、あれ?怒った…?」
「…怒ってねぇよ。からかわれてんのは分かってたし」
「……ゴメン。マジで」
「だから怒ってねぇって。…それより、…お前、大卒なんだよな?」
「へ?ああ、まぁ」
「てことは、高校出てんだろ?」
「一応ストレートで卒業してるっスけど…、それが何か?」
「今夜、勉強教えに来いよ」
悪いと思ってるなら、と後から付け足す。すぐに答えは返って来ない。手を外し、顔を上げる。黄瀬の眼が丸くなっていた。
「…嫌ならいいけど」
「い、嫌じゃない、っスけど…。あ、でも、オレあんま頭良くないし、人にモノ教えたことなんてないっスよ?」
「経験はしてんだからオレよりは分かるだろ」
「う、うん、そりゃ…。たぶん、っスけど。…でも、いんスか?帰り、だいぶ遅くなるよ?」
「いーよ。どうせ一夜漬けで詰め込むつもりだったし」
「能率悪いっスねー。…分かったっス、大我クンさえよければ」
「頼むよ、黄瀬センセー」
「うはっ!先生とか言われたの人生初っス!…なんかちょっといい気になってきた」
「調子乗ってんじゃねーぞ?」
「乗せちゃってんのはどこの誰っスか?…分かった。仕事終わったら今夜は行く。大我クンはそれまで仮眠取っててよ」
「ああ。…待ってる」
浮かれた様子で笑う黄瀬が、瞬時に顔を強張らせる。その反応に内心ビクっとしながら伺うと、あろうことか黄瀬は頬を軽く染めながらオレから視線を逸らした。
「な、なんだよ…」
「いや、…あー、何か、…ヘンな感じっス」
「何が?」
「…待ってるなんて言われたの、何年ぶりだろ」

徐々にオレは黄瀬のツボを心得てきたような気がする。
そう言えばこいつは一人でメシを食うのも苦手ってくらいの寂しがり屋で。大人の癖に、しょうがない奴だ。
黄瀬の照れがこっちにも伝わってきて、妙な気分になりながら。オレたちは店を出て一旦の別れを果たした。



黄瀬と別れて家路に着く道すがら、早くもオレは後悔していた。
家に来いと誘ったときは生じなかった葛藤が。黄瀬が視界から消えた瞬間、まざまざと溢れてくる。
あまりにもすんなりと提案してしまったが、よくよく考えれば本人が遠慮しているのに強引に呼び出すなど、何というガキくさいマネをしてしまったのか。結果的に承諾は貰えたが、あれだって、ガキの我侭と思われて受け入れられたのかもしれない。

勉強を教えてくれ、などと。
いかにも学生らしい頼み事をしてしまったのは。

「…クソ、」

はっきり言って、めちゃくちゃテンションが上がった。
黄瀬が遠慮している相手が、親父ではなくオレだったことが。
あいつがオレを意識していたことが。たまらなく。嬉しくなって、強引な手段に打って出た。
認めたくはないが、それ以外に黄瀬を誘った理由が思い当たらない。

そんなテンションで家に帰っても、当然仮眠など取れるはずもなかった。




予想よりも早く黄瀬は家にやって来た。
聞くところによれば、親父の妙なはからいがあったらしい。
「連日残業しまくりだから今日はもう上がっていいって」
「親父は?」
「まだ仕事があるらしっス。…むちゃくちゃ帰りづらかったんスけど、大我クンに伝言しろって頼まれちゃって」
「伝言?」
「夕飯はカレーがいいって」
「…もう作っちまった。無駄な伝言だったな」
「っスよねぇ、オレも遅いっつったんスけどぉ…。まあ、明日はリクエスト聞いてあげてよ。お父さん、毎晩頑張ってるからさ」

苦笑しながら親父を庇う黄瀬に内心複雑な心境になりつつ、脱いだスーツを受け取って壁に掛ける。ネクタイも取っちまえば、と言ったのには他意はない。ないけど、それじゃあお言葉に甘えて、とネクタイを解いてボタンを外し、襟元を寛げた黄瀬に妙な色気を感じてオレの動きが止まったのは、黄瀬にはバレていないといい。


食事を済ませ、黄瀬にシャワーを促す。着替えがないと言うからオレのを貸してやることにした。サイズはちょうど良かった。
オレの服を着てオレの部屋に現れた黄瀬は、どこか複雑そうな面持ちで。
「やっぱり大我クンに頼っちゃってんね。この服とか」
「は?」
「…火神サンのだとサイズ合わなかっただろうし。…そんでさ、オレ、ここ来るときに大我クンは自分から服貸すって言ってくれんだろうなーって思ってた。だから、パンツ以外の着替えも買わずに直行しちゃったんスよね」
べつに言わなければ気付かれないようなことをわざわざ口にし、ダメだなオレ、とため息をつく黄瀬を見て。ダメなのはこっちのほうだと、心底思う。
新品のシャツもなくはなかった。それでも敢えて黄瀬に用意したのは、何度か自分で着ているシャツで。
洗ってはいるものの、黄瀬がオレのシャツを着ている。この状況にえらく満足している自分の幼稚さは隠すことにして。
「そんなこと気にしてんじゃねーよ。安月給のサラリーマンが泊まりの度に新しい服買ってたらサイフきつくなんだろ。大人ならそこんとこ考えて、無駄使いしてねーで貯蓄しとけ」
「……はい。有難く、ご好意受け取らせていただくっス」
もっともなことを言うオレに恐縮したように頷いたあと、黄瀬は少し俯いて。それからぷっと吹き出した。
「なんだよ?」
「…いや、…ほんっとオレ、ダメ過ぎる。高校生に貯蓄しろって言われちゃった」
「は?あ、いや、べつに説教したわけじゃねーぞ?」
「分かってるっスよ。でもオレが無駄遣いし過ぎなのは自覚あるっス。…ほんと、大我クンはしっかり者っスね。今ね、またオレ」

そこで黄瀬ははっとした表情で言葉を止める。
なんだ、と促しても、それ以上は続けることなく。
「んーん。…ま、オレのサイフ事情はどーでもいんスよ。勉強しよ、大我クン。あ、言っとくけど徹夜はさせねっスよ。…せっかくの成長期にそんなもったいないこと、絶対にさせてやんねっスから」

どこか、自身を戒めるような表情を浮かべて黄瀬はそんなことを言う。
なぜか、オレはこの黄瀬の発言に違和感を覚えた。

成長期だのなんだのという言葉を黄瀬が強調して使うのに。
不自然さを覚えたのは、今夜が初めてだった。









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