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「…もういっスよ、オレも悪乗りし過ぎたし。ほら、血も止まった…、あ、まだか」
「……」

この上なく最悪な気分で、ソファーに横たわらせた黄瀬の顔面に視線を送る。振り上げた膝は、見事に黄瀬の顔の中心に入ってしまったらしい。黄瀬の鼻から垂れた血は、黄瀬の服やフローリングを赤く染め。
オレはその血を拭った床に正座し、何も言えずに頭を垂れる。

たしかにさっきのは黄瀬の悪ふざけが過ぎた。親父に何を吹き込まれたか知らないが、よりによってパンツを脱がそうとするとは。驚いたどころじゃない。マジで心臓止まるかと思ったんだ。
それでつい、足が出てしまった。自分でも信じられないくらい機敏な防衛反応だった。だが結果的にオレは自分の行動を激しく後悔している。

何も、蹴ることはなかった。それも、顔面を。出血するほど強く。
この顔を傷つけるなんて、絶対にしたくはなかったのに。

「…悪かった」
「だから、もういいって。鼻血くらい大したことないっスよ。女の子の顔でもあるまいし?傷が残ったってオレの場合は…」
「冗談じゃねーよ!お前のツラに傷なんかついた日には…っ」
「責任取ってくれる?」
「せ…っ?!…あ、あぁ、そりゃ…」
「…ダメっスよ、そんな甘いこと言ってたら。そのうち怖い事務所所属の当たり屋にケツの毛まで毟り取られるハメになるっスよ?世の中は大我クンが考えてるよりもずっと恐ろしいんスからねー」
「……お前なぁ」
こっちが誠意を込めて謝ってるのに、黄瀬は飄々と笑ってそんなことを言う。ふざけんじゃねぇよ、こっちは本気で心配してやってんのに。
この様子ならマジで平気かもな。そう思おうとしても、黄瀬の鼻に当てられたタオルが血を吸っているのを見るとやはり落ち込む。オレがやってしまった傷だと思えば特に。
「…そんなに気にされちゃうと、こっちも困っちゃうんスけど。大丈夫っスよ、お父さんに言いつけたりしないし。…もう忘れていっスよ」
「忘れるとか…」
「じゃないと、やっぱ言いつけちゃうよ。アンタの息子サンにキズモノにされたーとか言って。慰謝料としてアンタの会社オレにくれとか言っちゃうよ」
「…やめてくれ。マジでやりかねねぇ」
「やるわけないじゃないっスか。たかだか秘書の顔に傷ついたくらいで。それが女の子ならまだしも。火神サンだってそこまでぶっ飛んだ人じゃないっスよ」
苦笑を浮かべながら黄瀬は鼻のタオルを外す。ようやく血は止まったらしい。
「ほら、キレイなもんっしょ?」
「……」
顔をこちらに向け、笑みを見せ。なんてこともないと、黄瀬は言い切る。
たしかに外傷は見られない。骨が折れなくて本当に良かったと思う。この高く筋の通った鼻が妙な形に歪んでしまったら、オレは後悔してもしきれない。

もしもそうなったら、オレは本当に何でもする。
親父の会社を寄越せと言うのなら。死ぬ気で勉強して親父から会社を受け継ぎ、まるごと黄瀬に捧げてやる。親父がごねるなら同じ会社を設立してやってもいい。親父の会社以上に業績を上げ、黄瀬が欲しいと思うレベルのものを。

そんな風に思い詰めるくらいには、黄瀬の顔には価値がある、と思ってしまう。

「…あの、大我クン?」
「え?」
「…じっと見過ぎっスよ。そんなに見詰められちゃうと、さすがに照れるっス」
「あ…、…っ、ワリィ」

指摘を受け、慌てて視線を逸らす。すると黄瀬はクスリと笑い。
「そんなに気にするなら、責任取らせてやってもいいっスよ」
「…どんな?」
「そうっスね。そんじゃ、…忘れた頃にオレに抜き打ちで電話ちょうだい」
「…電話?」
「うん。番号教えるから。…そーだな、ここんちの家電からかけてよ」
「…かけて、どーすんの?」
「うーん、そうだな…。それじゃあ、」

あらゆることを、後悔する。
そんな条件を、黄瀬はオレに提示した。

「オレのこと、涼太って、名前で呼んで。そんだけで切っていいや」


どうして黄瀬がこんな望みを口にしたのか、その理由はすぐに分かった。
いつか、親父の会社の社員から家に電話がかかってきたとき。応答したオレの声を聞いたその社員は、オレが名乗るまでオレを親父と間違えて会社の用事を口にしていた。

オレの声が親父のそれと瓜二つだと言うことを、黄瀬が気付いていないなんてことはないだろう。



その夜オレは、試合前でもないのに一睡も出来なかった。
同じ屋根の下にいる、家族以外の人間が。オレの思考に居付いたまま、離れようとしてくれない。

黄瀬がこの家に泊まるのは、今夜が最後だ。
この二日間黄瀬といて、気付いたことが二つある。

一つはオレが、黄瀬涼太と言う年上の男をかなり特別な視点で意識していること。
意識を、している。それも結構、まずい感じの。
黄瀬にしてみたら当然のガキ扱いにムカついて、わざと避けたりなんかして。じゃれつかれて動揺しまくり、傷まで負わせてさらに動揺してしまい。テンパって、大事な顔をキズモノにした責任は何が何でも取らなければならないと、年上の男に対しては逆に失礼に当たるくらいの気負いを感じた。
そしてもう一つ気付いたこと。その理由はオレが黄瀬を特別視していることに気付かされたきっかけの一つでもある。

黄瀬が、オレの親父をどんな目で見ているかということだ。

ただの上司に対する尊敬や思慕の感情。それ以上のものを黄瀬が持っていることは、もはや明白な事実だ。そうでなければ、親父と同じ声を持つオレに、電話で自分の名前を囁けなどと願いはしない。どうしてそんなことをして欲しいのか。理由を聞かなかったのは、分かりきった結果を得るのが怖かったからだ。

黄瀬は、オレの親父に対して特別な意識を持っており。
奇しくもオレは、黄瀬が親父に抱く感情と等しいものを黄瀬に感じ。
黄瀬が親父を褒めるとムカつく。オレを褒めるような口ぶりで遠回しに称えている人物が見えてくるたび、オレは醜い嫉妬を覚えた。
これは、そう言う話だ。
世にも最悪な三角関係は。たった二日で、完成していた。



「で?黄瀬くんと何かあった?」
「……何もねぇよ」
「何だよ、情けねーな。あんないい男差し向けてやったのに手ほどきの一つも受けてねぇのか」
「手ほどきって何だよ…」
「色々あんだろ、ベッドへの誘い方とか」
「…よその男に彼女取られたばっかの奴にそんなこと聞けっかよ」

その夜遅く、出張から帰宅した親父はさっそくオレに絡んで来た。若干酒も入っているようで、かなり迷惑だ。肩に回ってきた腕を掴んで振り払うと、親父はヘラヘラ笑いながら言う。
「なんだよ、黄瀬くんいまフリーなのか?」
「…は?知らねぇの?」
「知るかよ。そんな話しねーし。…へー、あの容姿でも女寝取られたりすんのか。可哀想になぁ」
「仕事が忙しくて構ってやれなかったんだと」
「へー。そんじゃ、今が狙いどきじゃん」
「……」
ハッキリ言って、こいつとこんな話はしたくない。黄瀬の気持ちを知ってしまった今は特に。腑抜けた横顔に一発ブチ込んでやりたいくらいには苛立っている。
だがそれをこいつに悟られるわけにはいかない。オレの感情も、黄瀬のそれも。
なぜならば。

「…なあ、親父。…なんで、あいつスカウトしたんだよ」
「は?なんでってなんだよ。優秀な人材は喉から手が出るほどに欲しいに決まってんだろ」
「…本当にそれだけか?」
「何が聞きてぇの。…ああ、分かった。そんじゃ、こういうことにしてやる。お前の母ちゃんに似てっから誘った」

下手をすれば、黄瀬の想いが成就する可能性もなくはない。
だから、こいつにだけは隠し通さなければならないことがある。

べつに、黄瀬がオレのもんにならなくてもかまわない。
ただ、この男だけには。オレの目の黒いうちは、黄瀬に手を出させまいと決意した。










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