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▼ 4




自分の判断を誤りだと感じたことはない。
帝光中バスケ部に、必要なものは勝利だけだった。
他校の追随を許さぬ圧倒的な強さを。個人能力の高さを。飽くなき向上心と生来の才能を備えたプレイヤーを配置し、各自研鑚を積ませることでより勝率を高めていく。

そのために、チームに不要な存在は切り捨てるべきだと判断した。

疑う余地もなく正しい道を選んできた。
それは、今も同様であり。

唇を噛み、赤司は自己に言い聞かせる。
自分は何一つ間違ってはいない。順風満帆なこの人生を歩むためには、不要な感情など潰すしかない。



良く晴れた日曜日だった。
雲一つない青天を仰ぎ、父の代理として付添い人を引き受けた叔父に当たる人物と共に、赤司は会場に定められた料亭へ足を踏み入れる。
この料亭は父の馴染みの店であり、赤司自身も幼い頃から父や家人とよく通ってきた。プライベートで来ることも、仕事で使用することもあり。女将とは古い付き合いになる。

通された室は美しく整備された中庭がよく見える広い和室だった。
そこにはすでに相手の女性の姿があり。赤司は彼女に向け、成人してから身に付けた愛想笑いを浮かべる。女性は、人形めいた美しい顔を綻ばせる。二人は似通った表情をしていた。


清楚で可憐な令嬢との見合いは滞りなく開始され、無難な質問の応酬が交わされる。
その時点で赤司は先の未来を見通した。おそらく自分は、この女性を伴侶とするのだろう。

仕草も佇まいも洗練された、何一つ欠点のない女性だ。年齢は赤司よりも一つか二つ上だった気がする。付添い人の言葉に対し、鈴の鳴るような笑い声を上げる彼女を見詰め、赤司は彼女との結婚生活を予測立てる。
何も、問題はないだろう。互いが互いの役割を承知している。彼女は赤司の仕事に対して一切口を出すことなく、ただ貞淑に赤司の帰宅を待ち、赤司が就寝してから床へ入り。翌朝は赤司が目覚めるよりも先に身を整え、赤司の着替えや食事を援け、出勤する赤司を見送る。
時に彼女は議員の妻として表に立つこともあるだろう。たおやかに有権者へ笑みを振り撒き、夫の活動を援助する。同僚の妻たちとも良好な関係を作り上げ、常に夫を立て、控えめに振舞いながら。
お仕着せの人形のような人生を、まっとうするのだろう。


「征十郎さんは、子供はお好きですか?」
その質問は女性の付添い人、おそらく父親だろう。彼から与えられ、赤司は笑みを作りながら答える。
「ええ、好きです」
「それは良かった。娘も子供好きなものでね、将来的には二人か三人、出産したいと」
「…少子化が進む世の中ですからね。僕も、可能な限り育児には積極的に協力したいと考えています」
「素敵な志ですわ」
「……」
柔らかな笑みを浮かべ、赤司の発言を賞賛する女性の表情に、赤司はおもばゆさを感じた。自身の口から漏れた発言が、何処までも空々しく赤司の耳には聞こえる。

自身の子のことなど考えたことはあまりない。
ゆくゆくは、と思うことはあったが、実感を伴わない発言がこうも空虚に思えるのはなぜだろう。
正直に言えば子供が好きなのか嫌いなのか、それすらも良く分からない。以前、灰崎の勤める施設に赴いた際は、接し方に不安を感じたくらいだ。表面的な笑顔の作り方をイメージし、温和な雰囲気を装い。そして。

灰崎の、児童に対する接し方を見た時にそのイメージはがらりと崩れた。
彼は自然体で子供たちと会話し、赤司を紹介した。過去の灰崎からは想起し得ない穏やかな表情を見て。あの時、赤司は自分が作り笑顔を浮かべていることなどまったく意識せずに、彼と同様に床に膝をついて子供たちの話に真摯に耳を傾けた。
あの場では、作り物の表情は必要がなかった。かたわらに灰崎の姿があり、灰崎を慕う子供たちはみな純粋で愛らしく。
中には灰崎と将来結婚をしたいと言い出す少女までそこにいたのだ。彼がいかに優秀な保育士であるかは、子供たちの様子を見れば一目瞭然だった。子供たちは灰崎の存在に、安心感を得ていた。

そして、自分も。


再会した灰崎は、赤司に対し嫌悪感を露にしていた。
どこまでも自分の記憶と感情に素直になり。取り繕うこともなく、堂々と彼は口にした。赤司に対して腹を立てていると。そして彼は赤司の歩む人生を「つまらない」と言い切ってみせた。
そんな彼の前で、赤司は他人には見せることのない姿を開け放つ。この縁談に際し、真に思う感情を。「嫌だ」と。「結婚などしたくない」と。あれほど素直で飾り立てのない言葉で感情を表せたのは、後にも先にも。

(なあ、赤司。結婚なんかするな)

誰の眼にも順風満帆と映るこの人生を、否定した男がいた。
彼はいとも容易く、赤司の望む言葉を発した。
(お前は、オレに片想いしてんだろ)
幸福とは縁遠い状況を赤司に押し付け。抑制し続けた欲望を引き出すような誘惑を行い。酷薄な態度を取りながらも、赤司に一つの覚悟を決めさせた。

結果的に赤司は父の説得に応じ、灰崎は赤司の判断を否定することなく突き放した。
突き放す、という表現は正しくないかもしれない。決断を下したのは赤司自身であり、切り捨てられたのは灰崎の方だ。だが灰崎は、最後に赤司へキスをした。
必要のない、無駄な接触を。与えられた赤司は、幾度もそれを思い返しては苦痛に眉を歪めて来た。
あれは、灰崎にとっての復讐だったのかもしれない。嫌がらせにも等しい行為を赤司に与え、最後の決別を果たした。


そう思いこめば、随分と楽になれるような気がした。


赤司が灰崎と共に過ごした日々は短い。中学時代から今も連絡を取り合う仲の友人はいるし、高校時代のチームメイトとも完全に疎遠にはなっていない。僅か一年程度の付き合いだった。
それでも、赤司ははかる。
あのキスの理由を。
赤司に、「酷いこと」をした「酷い男」の本心を。


「征十郎くん」

思考が過去へ飛んだままの自分を現在に引き戻す声を聞き、赤司は顔を上げる。
見合い相手の父親は柔和な笑みを浮かべ、赤司に尋ねた。
「決断を急かすつもりはないのだけど、君さえ良ければ、この場で娘との交際の可否を下して貰えないかな」
「……そう、ですね…」

一度の見合いで全てが決するわけではない。だが赤司の場合は事情が異なる。ここで首を縦に振れば、おそらくは。安泰な未来が確定することだろう。
何不自由なく、永劫に。正しい道は定められる。

これを、選べば。

「…不肖の身ではありますが、是非とも、」


決断を、口にする。
その半ばで、赤司は唐突に発声を区切った。

廊下側から聞こえた騒がしい足音。何事かと目を見開きそちらへ顔を向け。ピシャリと派手な音を立てて襖が開かれたとき。赤司は、まぼろしを目撃する。



染めた髪を後ろに撫でつけた正装姿の長身の男は、ひどく不機嫌そうな表情でその場に現れた。
その場の誰もが言葉を失い、男の顔を凝視する。突然現れたこの無作法者はいったい何なのか。驚愕と困惑の入り混じる視線を受け止めながら、男は赤司の顔を見つけ出し、いっそう強くそちらを睨み付けた。

赤司はこの男が何者なのか、知っていた。
名前を出そうと唇を震わせる。うまく声にならない。頭では理解しているのに。行動が制御されるほどの衝撃を受け、その自身の状態にさらに困惑を引きたてられた。

「…灰崎」

やっとのことで赤司の唇からその名が零れる。
すると男は、ずかずかと室内へ足を踏みいれ、赤司の目の前まで進み。正座する赤司の頭上から、低い声を発した。

「約束どおり、「ヒデェ事」しに来てやったぜ、赤司」
「……お前、は…」
「立てよ」

不遜な言葉と顎先の角度で赤司の行動を指示し、そして口端を上げる。

「マヌケなツラしてんじゃねーよ、セージューロー。お前、オレがどういう奴か知ってんだろ?…オレはお前と違って、欲しいモンをガマンすんのが死ぬほど嫌ぇなんだよ」
「…え?」
「それが他人のモンであってもだ。コレと決めたら、どんな手使ってでも奪い取る。…大人になって丸くなったかと思ったかよ?バァーカ」

フォーマルな衣服に整った髪型。顔立ちも、学生時代よりは大分成長しているはずの男は、赤司に対して不躾な発言を言い放ち。
「なあ、赤司」
何故だか、赤司は瞬きもせずに灰崎の声に聞き入る。
「オレ、やっぱお前のことスゲームカつく奴だって思うわ。だから、テメェに安泰な人生は送らせねぇ。…来いよ、赤司」

差し伸べられた大きな掌を眺め、赤司は息を詰める。
何故、なのだろうか。この男は、すでに自分から遠ざかったはずなのに。どうして今、ここにいて。

自分の願いを、叶えてくれようとしているのか。



「征十郎、どうした。その男はお前の知り合いなのか?」
「……」
自分の付き添い人である叔父が怪訝そうな声を赤司の背に投げかける。赤司はそれに答えずに。ただ真っ直ぐ前を見て。
目の前の。救いの手を、凝視して。

「…すいません。僕は…、…貴方たちを、裏切ります」

禁じられた封を開き。静かに望みを宣言した。

「オレはまだ、結婚なんてしたくはない」



腰を上げ、片膝をつき。伸ばした手先を、そこに乗せる。
ぐい、と強い力で引き上げられ。それはまるで、地球上の物体が地球中心部に引き寄せられる自然現象のように、すんなりと。想像し得なかった道が、開けていく。

「待て、征十郎!説明を…」
「想う相手がここにいます」

全てを失っても構わない。道の先が、なくともいい。
見通せない。だがそれは暗闇ではなく、まばゆい光の未来である。

自然な笑みがやわらかく、赤司の顔に発生する。
その表情を見て、灰崎は戸惑いながら視線を外し。奪った掌を強く掴み、明るい世界へと連れ出した。





灰崎の車は、料亭からやや離れた場所に停まっていた。
促され、助手席に乗り込み。シートベルトを装着しながら運転席に乗り込んだ灰崎の横顔を確認し、赤司は問う。
「どうしてこの場所が分かったんだ」
「…どうだっていいだろ、んなことは」
「よくないな。何処から個人情報が漏れたのか把握しておく必要がある。答えろ、灰崎」
「…お前んちが何処にあるかは知ってた。だから、朝から張ったんだよ」
「…尾行、したということか?」
「あーそーだ。そんで、お前んとこの事務所の関係者っつって店に上がりこんだ。…スーツなんか着たの、就活以来だぜ」

キーを挿入し、エンジンを稼動させ、サイドブレーキを下げた灰崎は赤司へ視線を向けることなく彼の望みに答える。原始的な手段が用いられていたことに、赤司は瞠目し、首を傾げた。
「回りくどいことをしたな。直接場所を聞けば良かっただろう」
「邪魔しに来るって分かってて場所教えんのかよ?」
「…それもそうだな。…お前は本当に、大変なことをしてくれた」
「その割には嬉しそーですけどねー。…素直じゃねぇな、政治家って奴は」
「…議員バッジは返上せざるを得ないだろう。僕は政党にとって必要な縁談を断り、そして父を裏切りここにいる。父の敷いたレールを踏み外した僕は、あの人の信頼を失った。もう、戻ることは出来ない道だ」
「ふーん、そんじゃお前、今日から無職ってこと?」
「そういうことになるね」
「大変じゃん。再就職は厳しいぜ?オエライさんたちがテキトーなことばっかやってっから世の中は不景気続きだ」
元政治家に向け、灰崎は手厳しい意見を述べる。それを聞いた赤司は薄く笑い。
「しばらくは就職をするつもりはないよ。食い繋ぐ手段ならいくらでもある。…お前が薄給であろうとも、構わない」
「…ちょっと待てよ、何それ。オレの給料アテにしてんのかよ?」
「アテにはしていないよ。ただ、財を成すには元手が要る。お前の通帳と印鑑は僕が預かろう」
「……マジで待て。何でそういう話になってんだよ」
エスカレートする要求に灰崎はハンドルを握り締めながら片頬を引き攣らせる。
「オレはお前の人生を引き受けるなんて一言も言ってねーし、サイフ握られる覚えはないんだけど」
「それは困るな。僕は一文無しだ」
「テメェで選んだことだろ。責任持てよ」
「…そうだ。これは、自ら選択した道だ。誰にも邪魔をさせるわけにはいかない」

赤信号でブレーキを踏む。
力強く断言した赤司の横顔をちらりと眺め見れば、そこには晴れやかな笑みが浮かんでいた。
幼い頃から精神に絡みついた鎖を自ら断ち切り。自由を得た赤司に、迷いはない。

「それが灰崎、お前であってもだ」
「…分かってたけど、やっぱお前ってメンドクセーし、なんかムカつくわ」
「他者の手から強奪するほどに欲しいモノだと言われた気がするのだけど」
「あーそーだな。でもまぁ、オレの特技は奪うだけじゃねーから。そのネジ曲がった性格、オレ好みに調教してやるよ」

信号の色が変わり、灰崎はアクセルを踏み込む。
赤司同様、灰崎の道も定まった。そのはじまりを、赤司に示す。

「とりあえず、オレんちに居座るつもりならメシくれぇ作れるようになれ」
「いいよ。それは僕の希望にも適う」
「…なに、お前料理好きなの?」
「高校の調理実習以来包丁を握ったこともない。だが研鑽は積む。お前の食嗜好に沿った料理を提供しよう」
「…何企んでんだよ」
「好意を寄せた相手を陥落する手段のうち、簡素で確実な方法はそれだと聞く。灰崎、現在の僕の目標は、この恋の成就だ。一方通行で終わらせるつもりは、ないよ」

強い信念のもと下された赤司の決断に、灰崎は呆れたように息を吐く。
自分がここまでして、ここまで言い、なぜこの男はその目標がすでに達成されていることに気付かないのかと。

だが灰崎は赤司の鈍感さを指摘することもなく、愛の告白に酷似した宣戦布告を受け止めた。

「上等だ。オレの人生賭けて、お前の将来グチャグチャにしてやるよ」


傍で聞く者には永遠を誓うプロポーズとも取れるその言葉は。
目標攻略に向けての手順を考案する赤司の意識には、まだそれと判定されない。












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