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▼ 3




頼りない表情で自分を見上げる赤司に、灰崎は内心穏やかではなかった。
天に二物も三物も与えられたような男が、いま。縋れるものは一つしかないといった眼差しを自分に向けている。
この状況が面映く。けれど不快ではないことは灰崎も自覚している。

「…あのさあ、赤司」
「お前は、本当に勝手なことばかり言う」
「あ?いや、お前が言えって…」
「実らせるつもりもない想いを自覚させろとは言っていない。灰崎、中学の頃ときどきお前についての噂を聞いたことがある。あの頃は今一つ理解出来なかったが、お前は噂通り、…「酷い男」だ」
「…言うねぇ、赤司クン」

先ほどまでの頼りない表情は次第に掻き消されて行き。はっきりと打ち出された自分の評価に、灰崎は頬を引き攣らせる。
だが、言葉に反して赤司の表情は穏やかなものだった。僅かに笑みが浮いている。何か、吹っ切れたようなその様子を伺い。

「で、どーすんの。親父の言うとおりの人生進む?それとも、オレへの純愛貫き通す?」
「…過去に一度だけ、父に抵抗したことがある。高校の進路を決した際だ。…あれが、最初で最後の試みだと思っていたけれど。…意思を、伝えてみるよ」
「…ああ、そーしろ。いつまでもテメェの玩具じゃねぇってくらい言ってやれ」
「万が一、失敗したら、」
「…オレは責任取らねぇぞ」
赤司が言い切る前に、灰崎は断言する。それを受け、赤司は軽く肩を竦めて見せた。
「それは残念だな。お前なら、父に面と向かって意見する度量があると思ったけど。見込み違いか」
「冗談言うなよ。お前が適わねぇ相手にオレが立ち向かえるワケがねーだろ。…そもそも、お前みてぇな重たい奴、オレには面倒見きれねぇし。…ま、助けて欲しいなら地面に頭擦りつけてお願いしてみろよ。そしたら、相手の女にちょっかい出して破談に持ち込むくれぇはしてやるよ」
「僕には何もしてくれないのか」
「されてぇの?」
酷いこと、と、揶揄する口調で灰崎は続ける。それに対し赤司はふっと目を細め。
「父に僕の意思が受け入れられなかった場合に限ってだけどね」


まだ、手に入れたかったものがあったかもしれない。
以前赤司は灰崎に、過去の自分についてそう述べた。
赤司はそれを撤回する。あったかもしれない、ではなく、あった、のだと。
そしてそれは、成人し、社会に出た今も。胸中で燻り続けていた望みは、灰崎との再会によって明るみになった。

手に入れたいものがある。
それは、自分の。自身で隠し通した欲望すらも見通し、引き出す。
エゴイスティックな理解者を。この手に得たいと、初めて願った。



果たして、赤司の願望は叶ったのだろうか。
次に赤司が灰崎の元へ姿を見せたのは、僅か三日後のこと。折りしもその日、灰崎は夜勤明けであり。自宅の玄関前にしゃがみこむ黒いスーツを着用した青年の姿を、夢でも見ているかのような気分で凝視することになった。

「…オイ。何してんだよ、御曹司」
「…おかえり。…留守のようだから、ここで待たせて貰った。職場に足を運ぼうかとも思ったのだけど、以前お前には勤務中に邪魔をするなと叱られていたからね」
「連絡くらいしろよ!…いつから待ってた?」
「先ほど到着したところだ。それに、僕はお前の連絡先を知らない」

しゃがんだ姿勢のまま、赤司の視線が上がる。上目遣いの強気な眼差しを受け、灰崎は額を押さえてため息をついた。
赤司の行動は筋が通っている。確かに以前灰崎の職場へ連絡した際、灰崎は迷惑がった。そして、赤司個人の連絡先を知る灰崎からは一度も赤司に連絡をしていない。反論する言葉もなく、「正解だ」と呟いた灰崎は、やや脱力した様子で赤司の隣にしゃがみこんだ。

「…で?またオレんちに上がり込むつもりか?」
「いや、すぐに帰るよ。…報告をしたかっただけだからね」
「報告?」
「先日の、縁談についてだ。努力の甲斐も空しく、日取りが決定してしまった。今月末の日曜日だ」
「……は?」

事務的な報告をする赤司の横顔を見て、灰崎は目を見開く。あまりにも淡白な口調だ。その内容が一気に理解出来ないのは仕方がない。
「努力って…、お前、何かしたのかよ?本当に嫌だっつったの?」
「さすがに嫌だとは言えないよ。子供じゃないんだ。…せめて、もう少し時間が欲しいと願い出た。…想う相手がいる、とも」
そこで赤司は横目に灰崎を映す。視線を受け、瞬間的に灰崎の鼓動が跳ねる。想う相手とは、間違いなく。灰崎のことだろう。
「そこまで言ったのかよ…」
「嘘ではないからね。さすがに、お前のような男だとは言えなかったけれど」
「まあそりゃ正しいけど。…で、なんで?お前がそこまで言ったってのに…」
「オレの意思など、最初からないに等しかったんだ」

再び灰崎から視線を外し、独白じみた小さな声で赤司は言う。
「身を固める決意が備わっていなくとも、他に好意を寄せる女性がいたとしても。オレが一緒になる相手は、…それこそ、出生時から決まっていた」
「は?…い、許婚…ってやつ?」
「そうらしい。初耳だったけれどね。彼女の家は曽祖父の代から莫大な資産を作り上げ、古くから赤司の家と繋がりを持っていた。…僕が所属する政党へもかなりの額の政治献金をしている。彼女と結ばれることは、父にとっても所属政党にとっても、…僕個人にとっても、利益のみが発生する正しい道だ」
「……」
「だから、…灰崎、すまない。…僕は、正しい人生を歩むことにするよ」


道理にかなった婚約なのだと、説明され理解した。
ならば、赤司に拒絶する術はない。
定められたことならば。感情や欲望などは、不要な物として殺すべきだ。
欲しい物が、目の前にあったとしても。

「…謝られても困んだけど。なんか、オレがフラれたみてぇじゃん」
赤司の報告を受け、灰崎は吐き捨てるように呟く。
「ま、お前がそれでいんなら、いんじゃねーの?つーか、たぶん、親父の言うとおりの道行ったほうがお前はイイ思い出来るよ。…死ぬまでずっと、な」
「……」
「…ただ、…こっちも振り回されっぱなしじゃ腑に落ちねぇから。約束だけは、守らせて貰うぜ」
「え?…!」

低く、押し殺した声の宣言。それから、赤司の後頭部を強引に掴み、支えた掌の感触に。
目を見開いた赤司が何かを言う間もなく、灰崎は赤司の唇に自身のそれを重ねた。

触れて、離れる。それは瞬き一つの合間に行われた。
「…灰崎、」
「何そのツラ?ひょっとして、ファーストキス?」
「……」
「どっちでもいーけど。なあ、赤司。…今度は、忘れんな」
不必要なほど強く灰崎を凝視する赤司から視線を外し、灰崎は言う。
「お前は二回もオレを捨てて、つまんねぇ人生選んだんだ。…次は、絶対にねぇからな」
「……」
「二度とオレの前にその人形みてぇな辛気くせぇツラ見せんな。仕事で来るなら、馴れ馴れしく話し掛けんな。そんでもって、」

顎を上げ、空を仰ぎ。
ため息混じりに、灰崎は断絶の言葉を告げる。

「金輪際、オレのアタマ引っ掻き回すような言動すんなよ」


もしも赤司がもう少し強欲であったなら。
この灰崎の発言が、自分に向けられた最大限の感情表現であることに気がつけたかもしれない。



何度目かの決別を果たし、彼らはそれぞれの生活を送り行く。
赤司の日々は相変わらず多忙を極めていた。体調管理には気遣っていたはずだが、ここ最近は睡眠時間もまともに取れていない事実を思い、辟易とする。
反面、忙殺される日々があって良かったと考えることもある。余計なことを、考えずに済むからだ。

深夜、ベッドに横になり。入眠するまでの間にふと思いだすことがある。
指先を唇に押し当てて。記憶に刻まれた感触を、再現しようと試みる。
忘れるなと、灰崎は言った。忘れられるはずがないだろう、と赤司は姿ない相手へ返答する。
この上なく「酷いこと」をされた過去を。どうしても、触れる事の出来なかった相手との最後の接触を。
思い返すほどに苦しくなり、泣いてしまいたい衝動に駆られた。けれど。

頭痛という体調不良を起こすほど泣くことは、今の赤司には許される行為ではなかった。



一方、灰崎の元にはとある珍客が訪れることとなる。

「灰崎さーん、お客さんですけどー」
「あ?客だ?…聞いてねーけど」
「灰崎さんご指名です。…赤司さんじゃないですよ?」
「……あいつなら絶対に予約入れてから来るだろ。…ったく、誰だよ」

勤務時間の休憩から戻った直後に予定外の来客を知らされて、灰崎は不機嫌そうに職員室へ足を運ぶ。後輩の職員から赤司の名前を出された時はギクリとしたが、分かっている。赤司という男は予定外の行為を行うようなことはない。
それでも、もしかしたら。抱いた感情が期待なのか不安なのかは掴めないが、複雑な気分で職員室のドアを開けた灰崎の視界に入って来たのは、赤司の方がまだマシだったと思える相手だった。


「ひさしぶりっスねー、ショーゴくん。マジで保育士サンやってんだー?」
「…あー。オマエみてぇなチャラチャラしたアイドル野郎とは違って、コッチはマジメに働いてんだよ。何しに来たよ、リョータ」

心底気分が悪くなる。それ以外に形容しようがない相手とは、中学時代から浅からぬ因縁があった。
同じ年齢のくせに、大学生のような身なりをした黄瀬が現在どんな職業にいるか。友達でなくとも、テレビを見る人間ならば大抵が知っている。黄瀬は大学在籍中に本格的に芸能界入りを果たし、今やモデル兼タレントとしての立場をそこで確立していた。

「ヤだなーショーゴくん。テレビ見てないんスかー?オレ、ドラマ出演決定したんスよ」
「…ドラマぁ?なんだそりゃ。今度は俳優ごっこか?」
「ごっこじゃなくて、ガチ俳優。何でもやらされんスよね、あそこら辺は」
「へぇ。で?」
「…ドラマの内容がホームドラマって奴で。子供の扱いを保育士サンに教えて貰おうかなって思ってて、そしたら都合よくショーゴくんの名前が出てきたんスよねぇ」
「どっから聞いたんだよ」
「桃っちの情報網は今も健在なんスよ。っても、今は元同級生のその後とかそういうのくらいしか把握してないみたいっスけど。…青峰っちが飛んじゃったからね」

懐かしむように目を細める黄瀬が言う相手は、灰崎にとっても馴染み深い名前だった。
高校卒業後、海外からのスカウトを受けて日本を離れた元チームメイト。それは関係を絶った灰崎でもテレビの報道や何かで度々耳にしている、周知の事実だ。
「ダイキの奴、まーだバスケやってんのか」
「まーだやってるみたいっスよ。桃っち情報によると、中高時代よりイキイキしてるってさ」
「…そうかよ」
「ショーゴくんも同じなんじゃないっスか?いま楽しいっしょ。バスケからキレイさっぱり足洗えて。お陰で、」
そこで黄瀬は片目を瞑り、灰崎を煽るような表情で言った。
「赤司っちとも完全にサヨナラ出来たことだし?」

瞬間的に灰崎の表情が凍りついたことを黄瀬は感じ取る。
だがそれを意外と思うでもなく。むしろ当然のように、黄瀬は笑った。

「中学の頃はあんまよく知らなかったんスけど、興味もなかったし。…でもさー、後から黒子っちとかに昔話聞かせて貰ったら、アレー?って思って。ショーゴクン、ホントはバスケ好きだったっしょ」
「…適当なこと吹き込まれて信じてんじゃねーよ。誰が」
「赤司っちが辞めろって言わなかったら続けてたんじゃねーの?オレにレギュラー奪われるまでは」
「……」
「ま、時間の問題だったと思うけど。…赤司っちは優しいっスよね。敗北感をアンタに味合わせないようにわざと先走って警告してくれたんだから。…オレはちょっと、ムカっとしたけど」

笑みを消し、黄瀬は灰崎の顔を見据える。
過去の記憶と寸分違いない強気な眼差しを受け、灰崎は苛立ちを覚えた。

「だってそーだろ?ほっといたってオレは実力でアンタからレギュラー獲れた。なのに赤司っちが余計なことしたせいで、オレは辞めた部員の補充みたいな感じでレギュラー入りして。赤司っちのせいでオレずっと」
「…ふざけたことぬかしてんじゃねーぞ?テメェなんかにオレが…」
「高一の冬の大会忘れた?あれが結果っスよ」
「……」
「ブランクがあったとか、チームメイトの質が違ったとか、そういう言い訳してもいいっスけど。しねぇの?」
「…昔のことだろ」
「まーね。…ま、オレとアンタの因縁はこの際どーでもいんスけど。今日は保育士のテクニック見せてもらいに来ただけだし。あ、でも一個昔話ついでに言ってもいっスか?昔オレが赤司っちに言われてイラっとしたこと」
「…なんだよ」
「『あの時灰崎がオレの提言に抵抗し、意地でも部に残っていたなら、今のチームはなかった。そしてオレも、もう少しバスケを好きでいられたかもしれない』ってさ」


仕事ぶりを見せろと喚く黄瀬を女性職員に引き渡し、一人職員室のソファーに腰を下ろした灰崎は重いため息をつきながら天井を仰いだ。
黄瀬という男は自分にとって疫病神に近い存在なのかも知れない。中学の頃から、今日に至るまでずっと。そう思わざるを得ないのは、過去に赤司が口にしたと言う発言の真意に気づいてしまったからだ。

退部を勧告してきた赤司の眼に、それ以外の意図が含まれているなどとは知りもしなかった。
だが黄瀬の言葉が確かなら。赤司はあの時、自分に示したものとは別の道を選べと望んでいた。
赤司が見据えた未来を、進むとされていた正しい道を、変えることが出来たのは。

下らない仮説を立て、灰崎は首を振る。
変えることなど、自分に出来るはずもなかったと。

今でも。
赤司の未来を変えることなど、誰にも出来るはずはない。











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