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▼ 蜘蛛の糸には救えない




真夜中に鳴らされた着信音は、思わぬ相手からで。
夢うつつ状態で通話ボタンを押すと、ノイズのような雨音だけが鼓膜に響いた。

「…んだよ、赤司。イタ電かよ?」
「……」
「寝惚けてんのか?切るぞ?」
「……、って、…くれ」
「あ?」

か細い声が、途切れ途切れに聞こえる。
雨が降っているのは寝る前から知っていた。それが今も継続していることも、室内にいても分かる。だが、どうして電話の向こうがこんなにも騒がしいのか。それだけは不明のまま。
「…お前、今何処にいんだよ?」
嫌な予感がした。もしかしたら、答えを知らない方が自分の身の為になったかもしれない。
それでも灰崎は口を滑らせてしまった。そして知った。こんな真夜中、雨天の屋外に、赤司がいることを。



赤司の分の傘を持ち出すなどという気遣いは、微塵も発生しなかった。
聞き出した通り、赤司は中学校の校門前に傘も差さずに立っており。青白い街灯が心許なく照らしたその影は、ゆっくりと顔の向きを変えた。
自分のために持ってきた傘を赤司の頭上に運ぶ。肩に雨粒が落ちるのまでは防げていないが、何もないよりはマシだ。顎を上げ、灰崎の顔を見据えた赤司は緩やかに瞬きをした。
「…とりあえず、オレんち行くぞ」
「…迎えに来いなんて、一言も言ってないけれど」
「黙ってろ。…まさか、怪我してるわけじゃねーだろ?」
「してないよ。…傘は、必要ない。先導しろ」
「…だから黙れっつってんだろ」
口では可愛げのない拒絶をするが、手は出さない。それをいいことに灰崎は傘を持たない手で赤司の腕を掴むと、頼りない体を自分のほうへ引き寄せ、逃亡生活に疲れ果てて自首してきた連続殺人犯を連行する刑事の気分でその場を後にした。


中学からほど近い場所にあるせいで、よくたまり場にされている自宅へ引き返す。
初めて自室に連れて来た赤司は、青白い顔色をしていた。
蛍光灯の下、投げ渡したバスタオルは滴る雨粒を拭うだけに留まり、後はびしょ濡れのまま。シャワーを貸してやろうかと思ったが、それを切りだす前に赤司は呟く。「汚い部屋だな」。そのお陰で灰崎の親切心は弾け消えた。

「うるせーな、屋根があんだからいいだろ」
「そうだな。屋根があればいい」
「…寒くねーの?」
「体感は、…良く分からない」
「それ、ヤバくね?神経麻痺してんじゃねーの?」
「そうかもしれない」
「…服脱げよ。着替え、貸してやっから」
シャワー云々はともかく、今のままでは生物的危機が訪れるような気がして妥協案を口にする。部屋に入れてしまったからには、死体と化すまで放置するわけにはいかない。赤司は無言のまま、頷きもしない。
「おい、聞こえてんのか?」
「聞こえている。着替えは、必要ない」
「はぁ?…何言ってんだお前。びしょ濡れじゃねーか」
「濡れていたって死ぬわけじゃない」
「風邪ひくんじゃねーの?」
「風邪をひいて死ぬわけでも、」
「…オレに移んだろ。ごちゃごちゃ言ってねーでさっさと脱げ。迷惑なんだよ」
指先ひとつ動かそうとしない赤司に焦れた灰崎はとうとう自ら赤司の体に手を伸ばし、水分を含んだブレザーの襟元をつかむ。制服を、着ている。そのことに引っ掛かりを覚えた灰崎は、指を止めて赤司に問う。
「…お前、この時間まで学校に残ってたのか?」
「いや、…帰宅はしたよ」
「なんで制服のままなんだよ。家ではそうなのか?」
「そんなわけがないだろう。…着替える時間がなかった。それくらい察せないのか、お前は」
「いちいちムカつく言い方してんじゃねーよ。…おい、腕。ちょっと引け」
「……」
制服を脱がす行為を再開し、協力を要請する。赤司は無言で指示に従い、平常時よりも重いブレザーを無事に脱がし終えた。
中に着ているYシャツも、濡れて透けているアンダーシャツも、当然のように湿っている。ボタンを外しに掛かったが、妙に滑り易くて面倒くさい。どうせこのボタンを外し終えたところで現れるのは男の裸だ。やめろ、と赤司が言うのを待ちながら指を動かすが、灰崎の期待に反して赤司は最後まで拒絶を口にしなかった。

分かりきっていたことだが、灰崎のシャツのサイズは赤司には合わない。
やけに丈が長く、襟首がだらりと開いたこの状態はひどく滑稽で。青白いままの顔色で無表情を貫いているのが余計にシュールな印象を与える。
それでも適度に水分を吸収し、乾いた服に着替えた赤司を見て灰崎は安堵感を覚える。
じきに顔色もまともになるだろう。普段から明朗な表情を有する男ではなかったが。
「灰崎」
雨音がやけに目立つ室内で、赤司が声を発する。長らく耳にする事のなかった、凛然とした発音だ。
視線を向ける。ベッドの縁に腰を下ろした赤司のそれは、床に落とされたまま。
「何だよ」
「言いたいことがあるなら、聞くけど」
「…は?」
「お前にはその権利がある。深夜の着信に応じてくれた、見返りだ」
「……」

色のないくちびるを動かしながら、さらさらとわけの分からない発言をする。何を考えながらこいつはこんな発言をしているのか。どれほど顔を凝視しても、一欠片も理解できない。

オレに言いたいことがある?そりゃ、聞きたいことがある、の間違いだろ。
何でこんな時間にあんなとこにいたのか。何でオレに連絡をしてきたのか。お前の行動は疑問だらけだと。

だが赤司が許可したのは「質問すること」ではない。灰崎は赤司の要望に応え、言いたいことを口にした。

「自己中な奴だな、お前は」
「……」
「迷惑掛けんならせめて身内にしろよ。オレはもうお前とは無関係だ。電話してくんな。番号消せ」
「…そうだな。だが今は不可能だ。携帯の電池は切れた」
「…あ、そ」
「後で削除しておく。他には?」
「…ねぇよ、お前に望むことなんか」

そこで赤司の視線がゆっくりと持ち上がる。言いたいことを言いながら灰崎は先ほど胸中に抱いた疑問の答えを見出していた。
赤司が灰崎に連絡を取ったのは、おそらく。灰崎が、現在の赤司とは「無関係の存在」だからだ。

「なあ、赤司」
「なんだ」
そして無関係の存在に自分の位置を報せた理由は。真夜中、雨天候の屋外に一人で佇むと言う常識外れの行動を取っていた理由は。
「テメェで選んだ道だろ。いまさら、弱音なんざ吐いたらぶっ殺すぞ」

今や充電の切れた赤司の携帯から聞こえた声を、思い出す。
雑音に紛れて途切れた音。その中でかすかに聞き取れた救いを求める声。

(ここから、連れ去ってくれ)

生まれながらに多くを背負い、苦痛一つ表に出さずに生きてきた。赤司に、どんな不満があるのかは知らないし、聞くつもりもない。無関係の灰崎は、それをしない。
たとえ赤司が、過去に切り捨てた相手にだからこそ本音を零したのだとしても。灰崎にそれを拾ってやる義理はない。


「家を飛び出した時は、死んでもいいと考えていた」

静かに赤司が口を開く。視線を床へ落とし。決して軽いとは言えない覚悟を、そこから発する。
「何もかもを投げ捨てて、自らの存在を消してしまいと。そう願いながら、あの場へ足を向けたんだ」
「…そうかよ」
「だけど雨に打たれたくらいで死ねるはずもない。オレは、何処へも行けなかった。この足は、遠くへ逃げ延びることも出来ないくらいに深い泥沼に嵌ってしまっていたようだ」
「……」
「それでも指は動いたんだ。奇跡的に思えたよ。だから、オレは、お前に」
「…お前、マジやべーんじゃねーの?どんだけ切羽詰まってんだよ」

赤司の告白を聞いて灰崎は呆れた。
赤司らしからぬ人選ミスだ。灰崎に、赤司を助ける気があるとでも思っているのかと。
だがそこで再び赤司は視線を上げ。口端を緩ませながら、呟いた。

「助けて欲しいなんて、一言も言っていないよ」
「は?何言ってんだ、同じことだろうが」
「お前ならば、オレを突き離してくれると思った」

真っ直ぐな視線を受け、灰崎は自身の言動を後悔する。
また自分は、赤司の思い通りの道を進んでしまったのだと。気付いたときには、もう遅く。
「灰崎、オレはいまから弱音を吐くよ。聞いてくれ」

弱音を吐いたらぶっ殺す。
先ほどの灰崎の発言を意識してか、敢えてそんな前置きを挟み。赤司は言う。

「これ以上オレは赤司征十郎としての責任を背負いきれない。だからどうか、楽にしてくれ」


弱音の割にはきっぱりと。判決を下す裁判官のように赤司は灰崎の行動を決定付ける。

両腕を伸ばし、赤司の細い首へと宛がう。ここに繋がった両肩には、どれだけの重みが乗っかっているのか今の灰崎には計ることも出来ない。
生まれながらに大財閥の御曹司と言う立場にあり。無敗を誇る帝光バスケ部主将という肩書きを得て。平凡とは程遠い位置にいるこの男が、何を考えて生活しているかなど、分かり得るものは誰一人としていない。

だが灰崎は。少なくともいま、目の前で弱気で傲慢な願望を口にする赤司の望む行為を理解している。
赤司征十郎が帝光バスケ部の主将として最初に切り捨てた人間であるこの灰崎が。現在は赤司と無関係の存在である灰崎が、この夜、赤司に選ばれたのは。


「…赤司」
指先に力を込める。赤司は顎を持ち上げ、僅かに笑んだ。「それでいい」と言う様に。多くを見透かした強い眼差しで。それが目蓋に覆われて。破壊の瞬間を、求めてくる。

灰崎ならば、赤司の望みを拒みはしない。
赤司に従う人間には、決して行えない行為を。
受け入れ、実行出来るのは、この指だけだ。



だから灰崎は赤司の首を絞めたまま、ゆっくりと薄く冷たいその唇を奪ってやった。




こうして見ると割と大きな赤司の眼が目蓋の裏から現れ、理由を問う。
それを真上から見据え、嘲笑を交えて灰崎は答える。
「何もかもがテメーの思い通りに進むと思うなよ。オレは絶対に、お前の願いだけは叶えねぇ」
「…話が違うな。殺してくれるのではなかったのか?」
「お前が嫌がればそうしてやるよ。でも喜ばせる結果になんならしてやんねー。ただ、殺すっつったのは実行するよ。こうしてな」
目を見開いたままの赤司の顔に、再び顔を寄せる。今度は頬を両手で包み、ゆっくりと舌を差し出し。赤司の両手が灰崎の腕を頼りなく掴む。無視して、進む。
「ふ、…っは、…やめ、…ッ」
「…やめねぇよ」
「灰ざ、…っ、ん…ッ!」
必死の願望を拒絶する。それだけで、異様な高揚感が灰崎の胸中を満たして行く。
すべてを手にし、多くの人間を従え、頂点に君臨し続けたこの男を。蹂躙する喜びは、はかり知れない。
そのまま強引に赤司の上体を後方へ沈める。ゲーム中でなければ、赤司を力任せに征服するのはこんなにも容易いことだ。
下から睨みつける眼差しは、相変わらず強い。今度は目蓋によって塞がれることはないことを知っている。この射抜くような鋭い眼光を受けながら、灰崎は赤司を嘲笑する。

「動けねぇだろ。お前の力はそんなもんだ。どんだけ虚勢張って威張ってても、今のお前は、オレに勝てない」

支配される感覚を。征服されることの屈辱感を、教えてやる。
青白い皮を這いで、内部に備わる矜持を力づくで奪い。温度のない声に火をつけて、成すすべもなく内側から燃え尽くされる恐怖を、この身に与え。屈服を、敗北を、強要することにより。

灰崎は、赤司征十郎の「正義」を殺害してゆく。


サイズの合わない服の隙間に指を入れ、冷たい肌をなぞり上げ。ゆっくりと動く赤司の両腕がこっちの首に回ってくるのを認識しながら。灰崎は赤司の静かな罵声を耳にする。
「…最悪の手段だな。ヘドが出る」
「オレを選んだのはお前だろ。安心しろよ、終わったらとっとと放り出してやっから」
「そうか、…お前は、そういう男だったな」
「しばらく会わないうちに忘れたかよ?馬鹿だろ、お前」
「ああ、…そうだったかもしれない。…お前などに救いを求めようとした自分を、心から恥じるよ」

言葉とはうらはらに、赤司は穏やかな笑みを浮かべて目を閉じる。
多くを目撃し過ぎた疲れ知らずのその目蓋へ。灰崎はまるで、本命の女にでもするかのように丁寧なくちびるの落とし方を、した。





目覚めたその時、隣で寝入っていたはずの赤司の姿はどこにもなかった。
閉じたカーテンの隙間から眩い朝陽が差し込んでいる。雨は、やんだらしい。

灰崎が貸した服はテーブルの上にキレイに折り畳まれて置かれていた。
乾ききっていない制服を身につけ、この部屋を後にした赤司のことを考えて。哀れな奴だと、感じた。

次から次へと重圧を背負い込み、背中を丸めることさえ出来ずにそこに立つ。
まばゆい栄光を掴むその裏側で。赤司はどこまでも孤独に押し潰されて行くのだろう。
そして追い込まれた奈落の底から。伸びてきた救いの糸を、掴んでみれば。

「…馬鹿な奴」

自らが切り捨てたぬくもりと感触は、一時的な逃避と安堵を赤司に与えた。
その味を知った赤司は、いずれまた。救いにならぬと知りながら、伸ばされた腕に縋るのだろう。










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