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▼ 市松判断




白か黒かの判断を、必ず決しなければ気がすまないと彼は言う。
「好きなモンは好きだし、キライなもんはホント無理。赤ちんはそーじゃない?」
「…好きな物はあるけれど。嫌いなものは、特にないな」
「うっそー。それって変だよ。じゃあなに、赤ちんは嫌いな食べ物でも我慢して食っちゃうの?」
「嫌いな食べ物がないからね」
「…じゃあ、人間は?ヤな奴っていんじゃん。喋ってるだけでイラつくような相性悪い奴。そーゆうのも我慢しちゃうの?」
「…人間か。そうだな、オレは…」

嫌いだと。はっきり認識した相手は今まで一人もいなかった。
父親の高圧的な態度に反発心を抱くことはあっても、彼自身の功績や人格は尊敬しているし否定はしない。
特別嫌いな人間はいない。そう答えると紫原は顔をしかめてこう言った。
「赤ちんって、ひょっとして聖人君子目指してんの?」
そういうつもりじゃ、ないのだけど。



この男と対面して過去に紫原と会話した内容を思いだしたのは、もしかしたら自分が相手に対して多少の苦手意識を有していたからなのかもしれない。

「よぉ、赤司。今帰り?」
「…ああ。それが何だ」
「べつに。毎日遅くまでご苦労なことだな。帝光バスケ部キャプテン様ともなると、やることも山積みってか」
皮肉めいた言い方をされるが、相手がオレにこんな険のある物言いをするのは今に始まったことではない。無言で受け流すと、灰崎はカバンを肩に掛けて立ち上がった。
「…部活動に所属していないお前が、なぜこんな時間まで教室に残っているんだ」
「まー、オレだってやることはあんだよ」
「補習か」
「うっせーな」

部活の後、体育館の施錠を果たしてから教室に戻ったのは日直の仕事をやり残していたことが原因だ。
校庭から教室を見上げると一箇所窓が開いていた。だからここへ足を向け、いるはずのない男と再会した。
灰崎が教室に残っていた理由について思い当たることがあった。先日の定期テストの結果を受けて、赤点保持者が数名ほど部活動を欠席していた。そしてその読みは当たっていたらしい。クラスが違っていても、対象科目によって使う教室が定められていると聞く。灰崎はこの教室で補習を受けたのだろう。

「部活やってた頃はお前がノート貸してくれたから楽だったんだけどなー」
「…練習試合に穴を開けられるのは迷惑だったからね」
「辞めた途端そ知らぬ顔だもんな。お前は冷てぇ奴だよ」
「今のお前に協力する義理はない」
「…リョータにはノート貸してやってんの?」
「いや。あいつは要領がいいからね。オレに頼らずとも上手くやってるよ」
「ふーん。そんじゃ、お前のノートは空いてんの?」
「元から他人に貸すためにノートを取っていたわけじゃないよ」
「ホント冷てぇ奴。余ってんならくれよ」
開いていた窓を閉め、そこから離れる。教室の消灯を、と思い黒板側へ移動する。その途中で灰崎はオレの腕を掴んで止めた。
「…なんだ」
「…前からお前に言いたかったことがあんだよ。お前、いつも緑間だの紫原だのとつるんでっからなかなか捕まんなかったんだよな」
「……」
「お前、オレのこと気に入ってただろ」

与えられた指摘の意味が、よく分からなかった。
相手の顔を凝視する。相手は口端をあげ、愉快そうに続けた。
「本当はリョータじゃなくて、オレを手元に置いておきたかったとか思ってねぇ?」
「…思ってないよ。オレは黄瀬の才能を買っている。それはお前をはるかに凌駕するものであり、…お前に退部を勧めた過去を悔いてはいない」
「だから、ハナからリョータが入部しなけりゃ良かったんじゃねーのって」
「…なぜそう思う」
「なんとなく。だってお前、昔からオレのこと甲斐甲斐しく面倒見てくれてたじゃん?テスト前もそーだけど、練習試合サボったときも熱心に気に掛けてくれちゃってよー」
「…虹村さんに言われたから連絡をしていただけだ」
「へえ。そんじゃ、オレのこと嫌いだった?」
「……」

嫌いな人間などいない。嫌悪感の認識など特別生じるものではない。
この男のことにしても。好意も敵意も悪意もない。
その考えを伝えようとした瞬間、灰崎はオレの腕を強く引き、身ごとその胸に受け止めた。
「…何を、している」
「いや、なんかお前が答え躊躇ってるから。考えんの手伝ってやろうかと思って。これで、どー思うよ?」
「答えなら出ている。オレは、お前という個人については」
「オレはお前をどっか連れてっちまいてーって思ってんだけど」
頭の上で呟かれてその言葉に、意識を奪われる。
想定外の発言だ。用意していたはずの回答がどこかへ飛ぶ。すると灰崎は明瞭な理由を告げた。
「お前に何かあったときにバスケ部の奴らがどんな反応すんのか見てみてぇ。お前はあいつらにとって失えない存在だもんなぁ?」

好意も悪意も何もない。
取り立てて特別な感情があるわけではなくとも。

こうしてオレの自由を奪い、乾いたくちびるを押し付ける男がいた。



手を離した男が笑う。
「なに?無反応?」
「…オレの反応を確かめたかったわけじゃないだろう」
「まーな。お前がそうなのは分かってたし。でもちょっとは動じてもいんじゃねーの?」
「…そうだな。正直に言えば、少し心境が変化した」
「は?何それ、どういう」
「オレはお前が嫌いだ」

恋人の様に身を添わせ、唇を重ねて分かったことがそれだとは。
驚きを禁じえない。動揺もしている。だがオレはその感情を隠し通し、はっきりと宣告する。

「二度とその顔を見たくはないと思ったよ」
「へぇ。…嬉しそうじゃん?」
「嬉しいよ。生まれて初めて、他者に対して嫌悪感を持つことが出来たのだから」

オレは紫原が言うような聖人君子にはなれないと思う。
嫌いなものを嫌いと認めることが出来たいま。凡そ在り溢れた価値感を手に入れた今は。
思わず笑ってしまうほど、気分が良くて素直になれた。

「…やっぱお前、オレのこと気に入ってんだろ」
手のひらを顔の上半分に宛がい、天井を仰いだ灰崎が言う。
オレは笑いながら見つけたばかりの答えを口にする。
「気に入りはしないけれど、特別な人間であることは確かだよ」

白か黒かの決着をつけ、曖昧な感情を切り捨てる。
それは非常に爽快で、精神に絡み付いたぬめりが洗われたような気分になれた。
灰崎に背を向け、元の目的を遂行する。教室のドア付近にある蛍光灯のスイッチをオフにした。一気に光を失った空間で。靴音が、迫り来る。



「そんならもっと嫌いにしてやるよ」



二度目のキスは深くて長く。
感じたこともない強烈な不快感が、更なるそれを求めて疼き。
重なるままの、口を開いた。











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