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その夜征十郎が帰宅したのは、日付が変わる直前の時刻だった。
すでに火神の姿はなく、消灯している部屋も多い。子供たちはみな寝たのだろうと判断しリビングに足を踏み入れると、意外にもそこに涼太の姿を見つける。
ソファーに丸くなって眠っている涼太に近寄り、肩を揺すりながら声を掛ける。
「涼太、こんなところで眠るな。ベッドで寝ないと風邪を引くぞ」
「ん…、あ?征十郎っち、おかえりっスー」
「ただいま。さっさと二階へ行け」
「…部屋に入れないんスよ。敦っちが閉じ篭っちゃって」
「…敦が?」
眠たげな目蓋を擦りながら訴える涼太に征十郎は怪訝そうに首を傾げる。
「喧嘩でもしたのか?」
「何もしてないっスよー。火神っち見送って部屋に行こうとしたらドアが開かなくて。呼んでも返事すらしてくれないんス」
「…分かった。様子を見て来る」
涼太にそう言い、征十郎は二階へ上がり彼らの部屋へ足を向ける。
ドアをノックし、ノブを回す。だが、いくら力を込めて押してもドアは僅かな隙間を見せるばかりで開かなかった。
「…敦。中にいるのか?」
ドアの隙間から声を掛ける。暗い室内から、ごそりと何かが動く音が聞こえた。
「ここを開けろ。お前だけの部屋じゃないんだ」
「…いま涼ちんの顔見たくねーの。…征ちんのせいだよ。あんなこと涼ちんに言うから」
「あんなこと…?…ああ、あれか。冗談に決まっているだろう。何を気にしているんだ」
「……」

家を出る前に真太郎にも言われた。冗談を言うならば冗談を言う顔をしろと。
あれを真に受けても真太郎にとっては聞き流せる発言だったのかもしれない。だが敦は違ったようだ。
「涼太に何かするつもりはないよ。安心しろ、敦。ボクはそこまで性欲に不満を感じているわけではない」
「…そういう意味じゃないっつーの」
「だったら何だ。お前は何が気に入らない。ここを開けろ。話をしよう」
「……」
毅然と指示を送ると、しばらく間を置いてからドアの前で何かを移動させる物音が聞こえてきた。
敦が自らドアを開け、顔を見せたことに征十郎は心なしか安堵する。
「…降りて来い。涼太を部屋に寝かせる」
征十郎の指示に従い、のろのろと敦は部屋から出てくる。二人は無言で階段を降りて行った。


「…色々考えちゃったんだ」
涼太を部屋に行かせ、二人きりになったリビングで。敦は征十郎が淹れたホットココアに満たされたカップを手にしながら、ぽつりと事情を口にする。
「何をだ」
「…征ちんの過去とか。…5人もガキ作ってんだから、征ちんだってやることやってんだよなって思ったらなんかムカついて。しかも巧いとか言ってるし。それって誰に磨かれたテクニックだよとか」
「…そんなことか」
「そんなことじゃねーよ!オレにとっては大事なことだし!…ちゃんと言ったじゃん、オレは征ちんが好きだって」
「…ああ、聞いた」
「聞いたなら気をつけろよ!オレ、本気なんだかんね?本気で好きだし、征ちん見てると抱きつきたくなるし、あわよくばキスしたり触りまくったりしたいとか思ってんだよ。爆弾抱えて側にいんの。なのにあんな…」
「……」
征十郎にとっては、真太郎にも伝えた通り火神に対する意趣返しのつもりだった。
そこに敦の感情を揺さぶる意図などはない。自分の発言を受けて敦が火神や涼太に食いかかることは多少予測はしていたが、敦がこのようなことにこだわっていたとは考えていなかった。
「…不用意な発言をしたことは謝る。敦、ボクが悪かった」
「…違うよ、征ちんは悪くない。…絶対に、悪くないんだから…」
カップを握る指に力が篭もり、満たされた液体が揺れる。それを見詰めながら敦は続けた。
「…涼ちんと火神が、羨ましいよ。血が繋がってないから。だから、征ちんも認めたんでしょ?」
「敦…」
「ねぇ、征ちん。オレも火神みたいに赤の他人だったら良かったよ。男同士とか年の差とか身長差とか、そんなのは全然問題じゃない。オレは…」
「…っ」

敦の発言を受け、立ち上がった征十郎は敦の頬を強く打つ。
カップの中身が零れ、敦の手を濡らす。時間が経っていたため火傷することはないだろうが、敦は唖然として征十郎を見上げた。
「征ちん…」
「…お前がボクをどのような目で見ていても構わない。親子であろうと、一度芽生えた感情は早々消すことが出来ないと言うことも分かっている。だが、…二度とそんなことを言うな」
「……」
「お前は、ボクの大切な、」
「…好きでアンタの子供になったわけじゃねーよっ!」

大切な、我が子だと。
その言葉を聞きたくなくて、敦は感情を剥き出しにしながら声を荒らげた。
「…勘当してよ、征ちん」
そしてその決意を、驚愕に目を見開いたまま動けない征十郎へと伝える。
「縁切って。オレを、征ちんの子供じゃなくしてよ」
何物にも変え難い太い絆を断ち切りたいと、望み出た。



「…子供だな、アツシは。それじゃあまるで手が付けられない反抗期の無鉄砲な息子とお母さんに思われてもしょうがないよ」
「…うるさいなー。どーでもいいっしょ、室ちんには関係ねーし」
「関係あるよ。可愛い教え子のことなんだから。…連絡は入れたからな。今日はここに泊まってもいいけど、朝には帰るんだよ」
「……」

征十郎に暴言を与えた敦は、そのまま何も持たずに家を飛び出し、近所に住まう中学教師の家へと逃げ込んだ。
深夜の飛び込みに氷室は動揺したが、すぐに赤司家へ連絡を入れ、それから敦に家出の理由を聞きだすことに成功する。
氷室は敦の恋慕感情を知っているわけではないが、敦が実の親に対して常日頃から他の中学生徒以上に敬愛を表していることは知っていた。その敦が母親と口論の末に家を飛び出したと聞けば、驚きを禁じえないのも仕方がないことだ。
敦へ自分のベッドを明け渡し、部屋を後にしようとした氷室の背中へ敦の気弱な声が飛ぶ。
「ねえ室ちん、お願いがあんだけど」
「…なんだ?」
「オレさ、…室ちんの子供になれない?」
「……なれないよ」
どうにもこれは重症かもしれない。そう思いながら氷室は部屋の照明をオフにした。


翌朝敦を迎えに氷室の元を訪れたのは、征十郎ではなく真太郎だった。
帰りたくないと駄々をこねる敦を半ば強引に外へ連れ出し、氷室に礼を告げて自宅へ戻る。
「…なんで真ちんが来たの」
「征十郎に外出を控えさせるためだ。あいつはまともに歩けるような状態ではない。…お前のせいだろう?」
「え…?」
「最初に火神が家に来た日とは比較にならない状態だ。…いったいお前は征十郎に何をした」
「何って…、オレは…」

口論をした。頬を叩かれた。絶縁を希望した。だが、敦は征十郎に暴力を振るってなどはいない。
征十郎が気弱な姿を敦に見せたのは、ただ一度。火神が涼太に交際宣言を行ったあの日だけだ。
今回火神は関係ない。征十郎の精神に打撃を与えた原因は、自分しかいない。
不安に襲われた敦の足取りは重かった。
「…帰りたくないよ、真ちん。オレ、このまま学校行く」
「駄目だ。今日は欠席して家にいろ」
「え…?だ、だって…」
「オレも午前から講義がある。誰も征十郎を看れる人間がいないのだよ」
「……」
「征十郎の体調を崩した自覚があるのならば、しっかりと責任を取れ。安易に逃避の道を選択するな。…いつ征十郎が、お前にそんな教えを説いた」

昨日大輝はテツヤに対し、征十郎に似てきたと評した。
だが、敦は思う。征十郎の血を誰よりも色濃く受け継いでいるのはこの長男であり。
真太郎の言葉を受け、征十郎に説かれているような気分になり、敦は無言で頷いた。



征十郎の部屋へ、真太郎に言われた通り水を持って踏み入れる。
「…征ちん、寝てる?」
おずおずとドアを開け、声を掛ける。返事はない。
室内のカーテンは開かれており、朝の陽射しが差し込んでいる。ベッドの上に横になった征十郎の姿を認め、敦はきゅっとくちびるを噛み締めた。
そこには真太郎の言うとおり、先日火神が訪れた日とは比較出来ないほどに弱りきった征十郎が横になっている。足音を立てないように側へ寄り、色をなくした征十郎の顔を眺めながら敦は己の発言を後悔した。

傷つけたいわけじゃない。出来ることなら、大切にしたかった。
彼の望みをすべて聞きいれ、彼の思うがままに振る舞い、彼の信頼を勝ち得て。征十郎に、他の兄弟たちへ向ける眼差しとは異なるものを、得たいと願っていた。
だが敦は失敗した。自分の感情を吐露し、空気に触れたその言葉は征十郎を傷つける形のない刃と変貌し。もっとも最悪な手段で征十郎を苦しめてしまったのだと、敦は悟る。
「…ごめんね、征ちん」
ベッド脇に膝をつき、目を閉じたまま微動だにしない征十郎と視線の位置を合わせて敦は謝罪を口にした。
「あんなこと、ホントは思ってないよ。オレ、征ちんの子供で良かったって思ってる。…征ちんの側にいられて、すごく幸せだったんだよ。でも…、オレは、どうしても、征ちんと同じところに立ちたかった」
反応のない征十郎の顔をしっかりと見詰めながら敦は懺悔するように想いを伝える。
「他の奴らと同じじゃ嫌だった。征ちんが昔愛したっていう男みたいに、オレも、征ちんに愛されたかった。特別に思われたかった。…だから、…オレはどうしても…」
矛盾した願望が敦の胸中で交差する。
征十郎を傷つけたくない。征十郎の望む従順な子供でありたい。そう願う心と。
我が子としてではなく、ひとりの男として。征十郎へ想いを寄せる、自身の父親と同じ立場の人間として征十郎に見てもらいたいと願うその心が。
せめぎあい、交錯し。感情のコントロールが不可能となる。
「…ねぇ、征ちん、…オレどうしたらいい?」
そして敦は習慣的に身についていたこの言葉を発し、征十郎の反応を待つ。

征十郎が自分に何を望んでいるか分かっている。
それでも、一度でいい。自分の望みを叶えて欲しくて。
神へ祈るような心境で、敦は目を閉じ両手を顔の前で組み、そして。


「お前の思うままにすればいい」


神の声が聞こえた気がした。
だが、その声は敦にとっては聞き馴れたものであり。
ゆっくりと目蓋を開けば、こちらを向いている征十郎のそれと視線が交わる。
「せ、征ちん…?」
「…おかえり、敦。帰って来てくれて嬉しいよ」
「…っ」
「こんな状態で迎えることになってすまない。…お前には見せてはいけない姿だったね」
「…ホントだよ…。言ったじゃん、オレ、征ちんが弱ってるとこ見たら…」
「ああ、覚えている。だがボクはお前の忠告を受け流してしまった。これはボクのミスだ。だから、…敦」
布団の下から征十郎の白い手が伸び、敦の頬に触れる。
昨晩自らが叩いたその箇所をいたわるように撫で上げ。うっすらと口端に笑みを浮かべた征十郎は、口にした。
「…抱いてくれ、敦。お前がそれを望むなら、ボクは構わない」









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