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▼ 8






俺の顔を見て、黄瀬の母親は端正な顔いっぱいに驚きを浮かべた。
「火神くん?どうしたの?こんな時間に…」
「…夜分にスイマセン、…涼太クン、いますか?」
「え、ええ、ちょっと待っててね、すぐ呼んでくるから」
申し分けない気持ちになる。だけど、引き返す気はない。
残念ながら、俺はあいつを遠目から見守っているだけでは満足できない。
真正面に立って。あの顔を見て、あいつに俺を認識させなければ。

「…火神っち?…なんで、来たん…スか…?」

黄瀬の目に反映する自分の顔が、どれほど焦りと恐怖で醜かろうと。
俺は真っ直ぐにこの顔を見なければ気が済まない。




黄瀬の両親に頭を下げて、一時間の許しを得て、黄瀬を外へ連れだす。
話をするならば黄瀬の部屋とかでも良かった。でも俺は、あまり自分を押さえきれる自信がない。怒鳴ってしまうかもしれない。それで黄瀬の両親に心配をかけるのも忍びないから、俺は黄瀬の親から黄瀬を借りだす。
俺の右腕に手を絡ませた黄瀬の右手に白い杖はない。寄り添って歩くさまは、傍から見れば仲睦まじい恋人にも見て取れるだろう。
実に正しい光景だ。

「どこ行くんスか?」
「なんか、話出来るとこ。この辺公園とかねーの?」
「…さあ、あるかもしんないけど、どう行ったらいいかわかんないっス」
「じゃあ、どこでもいい」
「どこでも?」
「ああ」
「だったら海に連れてってよ」
「…は?」
「嘘っス。あ、駅に行く途中にファミレスあるじゃん、そこでもいいっスか?」
「…お前、明日学校は?」
「え?…明日、土曜っスよね。休み…っスけど」
「じゃあいいな。家族に連絡入れろ」
「…って、マジ?…連れてってくれんの?」
「好きなんだろ?」
「……」
街灯の暗がりの中、黄瀬の表情は読みにくい。それでも、至近距離で俺の目を見る黄瀬は、不思議そうに目を見開いて。
「…好き。…ありがと、火神っち」
心底嬉しそうに、笑って見せた。

どっぷり日が暮れたこの時刻。黄瀬の親が何て言うか、それだけが心配ではあったが、すぐに了承は貰えたようだ。
「うちの親、火神っちのことマジ信頼してるんスよ。良かったね、家族公認ってやつで」
「…若干脅してなかったか?」
「へ?…んなことないっスよ!」
「外泊許可くれなきゃ海に行ってやるって何だよ、めちゃくちゃ嘘ついてんじゃねーか」
「…いいんスよ。そう言わなきゃ絶対行けないし。…火神っちと一緒だから、全然平気」
「…そーだな」
「…そーっス」
いつか、同じような会話をした。あの時も、黄瀬は親を騙して俺と海へ行った。あの時。当たり前のように、俺が黄瀬を守ると断言して。俺は答えた。今と同じ答えを、黄瀬に。
「俺が守ってやるから、俺から離れるなよ」
変わったことなど、何もなかった。


電車に揺られて数十分。
夜の闇に飲まれた海は、どこか異様な容貌を見せていた。
そんなことは黄瀬には関係ない。ひんやりとして湿った海風を受けながら、目を閉じた黄瀬は言う。
「年に二回も来れると思わなかったっス!やっぱいいっスね、海」
「はしゃぐなよ、ほら、手ぇ貸せ」
「はぁい」
素直に俺に向けて左手を差し出す。触れた手は、湿気と夜の気温によってすっかり冷たくなっていた。
「ねえ、火神っち」
「…ああ」
「…俺のこと、嫌いになった?」
ストレートに黄瀬は物を言う。手を繋いだまま、俺はその問いに真顔で答える。
「いいや。全然」
「嘘だぁ、…じゃあ、ちょっとめんどくさいって思う?」
「…若干な」
「…そっか」
「普通、言わねぇだろ。こんな時間に海に行きたいとか。寒いし、暗いし、危ねぇし。ほんと、お前じゃなかったらぶん殴って黙らせてたよ」
「…だ、だって、どこでもいいって…」
「言った。だから連れてきてやったんだろ、感謝しろ」
「…火神っち」
「…ああ」
空いてる左手で黄瀬の頭を軽く小突く。黄瀬は笑わなかった。ぎゅっと俺の右手を掴んで、顎を持ち上げて俺の目を見据える。
その大きな目は不安で揺れていた。映しだされる俺の顔は、水気のせいで歪んでる。
俺は笑う。その不安を払拭させるために必要な表情を。見えていない黄瀬へくれてやる。
「青峰と、話したんだって?」
「…あ…、…うん、まあ、ちょっとだけど」
「…俺のこと、ボロクソ言ったそうじゃねーか」
「い、言ってないっスよ!…ただ、嫌われた、かもってことだけ…」
「ふぅん。…あのさ、俺、青峰に殴られたんだけど」
「えっ!!う、うそ…、そんな…」
「目が醒めるほど痛かった。つーか、目が醒めた」
笑ったまま俺は黄瀬の頬に左手を押し当てる。黄瀬の目から不安が消えることはない。ただ揺れる目を、どうにか笑わせてやりたくて。頬を撫でて、声を繋げる。
「お前が、今も青峰に惚れてんだろうなって。そう思った。言ってたもんなぁ?大好きだったって」
「い、言ったけど…、でも、それは…」
「…嫉妬したんだよ、俺は、青峰に。しかも、俺には到底勝てねぇ相手だ。何せ、俺はお前に声掛けたり触れたりしないでお前の平和を守るなんて、絶対に無理だったと思ったからな」
「…俺…、そんなこと、アンタに望んでないっ…スよ…」
「ああ、それも分かった。だから、来た」
「……俺は、…火神っちに…」
震えた声を絞り出すように、黄瀬は「いま」の感情をこぼしだす。俺は笑ってそれを聞く。
「俺だって、火神っちに触りたい。毎日、声聞きたい。無視されんの嫌だ。怒られても、馬鹿だと言われても、笑われても、どれでもいい。俺は、…アンタをこの身体で感じたい」
「分かってる」

黄瀬の左手を解放する。同時に俺は黄瀬の身体を抱き締める。
少し強張った背中を軽く撫で、耳元で俺は黄瀬に教えてやる。
「お前の顔、正直だもんな。見てりゃすぐに分かるよ。…俺のことが好きで好きでしょうがねぇって」
「か、がみ…」
「…そういうお前が、クソ可愛い。その目に、俺は惚れたんだ」
静かな海で、波と風の音だけが俺たちの耳を覆い尽くす。
その静寂の中で。俺は自分にとって都合のいい願望を口にする。
2回目の、告白と重ねて。
「俺はお前の顔が、お前の眼が好きだ。だから、頼む。お前の視線を俺にくれ」

行きたいところがあるなら連れてってやる。
言って欲しい言葉があるなら与えてやる。
ぬくもりが、感触が、愛情が、欲しいのならば。

余所見もせずに、俺だけを見ろ。
そして何も考えずに可愛い顔で笑ってくれ。

腕の中で、黄瀬が震える。
泣いてるみたいに。もしくは爆笑を堪えるみたいに。どっちでもいい。どっちもこいつの素直な感情だ。
「…じゃあ早速だけど、お願い、聞いて?」
「…何だよ」
「ずっと、して欲しいって思ってたんスよ、火神っち、アンタにね、」
耳元で。静かに静かに、黄瀬はささやく。
「俺を、抱いて欲しいっス」
想像の上を行く馬鹿な願いに、俺は思わず吹き出してしまった。


浜辺を離れて、目に付いたホテルに黄瀬を連れ込む。
「ここ、どこっスか?」
「あー…、全国各地の浜辺にある俺の別荘」
「うっそ、マジどんだけボンボンなんスか…」
「そのうち他の別荘にも連れてってやるよ」
「へえ、そりゃ楽しみっスね」
俺の冗談をどこまで間に受けてるのか。楽しげに笑うこの顔を見れば、1ミリも信じてないことは確かだ。冗談に乗っかる黄瀬の手を引いて、ベッドに腰を下ろさせる。
「疲れた?」
「俺が悪いのは目だけで、体力は人並以上っスよ?」
「へえ、そりゃ楽しみだ」
「…お手柔らかにお願いしたいっスけど」
くすくす笑いながら黄瀬の前に膝をつき、潮風でべたついた髪を撫でてやる。くすぐったそうに目を細めた黄瀬も笑う。さて、この和やかな雰囲気をどう崩せばいいのか。第一関門はなかなかに強固だ。
「シャワー浴びる?」
「あ、うん…、連れてって」
「脱がしてやろうか」
「……」
そこで顔を赤くさせて俯く黄瀬の恥じらいのツボってのは、いまいち分からない。
返事を待たずに羽織ってるシャツに手を掛け、片腕ずつ脱がして行く。無防備だった黄瀬が弱弱しい抵抗を見せたのは、その一枚を剥いでからだ。
「や、やっぱ自分で脱ぐから…、さ、先に脱衣所連れてって」
「分かった分かった、ほら、立てよ」
大人しく黄瀬の願いを聞きいれ、腕を掴ませて立ち上がらせる。そして黄瀬の願いどおり脱衣所へ。っても、まあ、いわゆるそういうホテルの浴室ってのは大抵がこんなもんだ。透明なガラスに囲われた脱衣所へ黄瀬を導き、適温に設定したシャワーを出し。終わったら呼ぶと言う黄瀬を置いて元の位置へ戻る。緩慢な動きで一枚ずつ服を脱ぐ黄瀬の姿はここから丸見えなのだが。
ぼんやりと眺める黄瀬の肢体は、綺麗だ、としか言いようがない。滑らかな白い肌も、無駄のないしなやかな筋肉も、どれを取っても黄瀬の身体は綺麗だと思う。
ところどころ古い切り傷や、痣が残っているのが痛々しい。それは黄瀬が日常生活を送る上で欠かせない痕跡なのだ。黄瀬という人間を表す、ひとつの要素だ。そう思えば痛々しい痕も、黄瀬の肢体を綺麗に見せる要因としか思えなくなる。
今から俺はあの体に触れる。あますところなくこの手で。それを想像して、俺は。
「火神っち!お待たせっス!」
「あ、ああ、今行く…」
この先を想像して、無性に気恥ずかしい気分になっていた俺の耳に黄瀬の声が届く。慌てて立ち上がり、伸ばされた黄瀬の手を取ってベッドへ誘導する。
黄瀬と入れ違いにシャワールームへ飛びこんだ俺の入浴時間は、黄瀬の使った時間の半分程度で終了した。












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