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「昨日はすいませんでした」

翌朝、一睡も出来ずに登校した俺の前にやって来た黒子は深々と頭を下げてそう言った。
「ちょっと、かっとなって言い過ぎました。…あの後、電話で青峰くんとも話をして。…最近、青峰くんは黄瀬くんと電話したそうですね。火神くんのことも、黄瀬くん本人から聞いたって言ってました」
「…ああ、そうかよ」
「黄瀬くんがべた褒めする男がどんなものか、見てみたかったそうです。…あれだけ黄瀬くんが心を許した相手だと言うなら、全てを知っているものかと思ってた、とも言ってました」
「……」
「火神くん?」
「…昨日、聞いた。何もかも。…お前がキレた理由も、なんとなく分かった」
机に頬杖をつき、ぽつりと呟く。耳に届いた自分の声は驚くほど覇気がない。
「…お前らは、黄瀬が他人を信頼することにビビってたんだろ」
「…その通りです。…黄瀬くんを守るためには、彼に正体を見せてはならない」
「ああ。…青峰って奴はとんだスーパーヒーローだよ。正義の味方だ。…黄瀬が、惚れるわけだよ」
「…何か、あったんですか?」
「あった。…俺じゃ、ダメだって、気付いた」
「え?」
「俺は、そんなスーパーマンにはなれねぇ。…俺は、…あいつに、好かれてぇ」

正体も明かさずに、人知れず悪を滅殺する。青峰って奴は、最高にカッコイイ男だ。
おそらく今も、黄瀬は青峰を好きだ。目が見えずとも、あいつはすべてを知っている。自分の平和を守っているのがどこの誰なのか。誰のお陰でいまの自分があるのか。
ならば、俺がその役目を引き継げば、うまくまとまる話なのかと言えば俺は首を振る。

俺は知ってる。黄瀬を抱き締めてしまった。キスをしてしまった。あいつの感触を。あいつの匂いを。一度知ってしまったその味に、すっかり骨抜きにされている。
そんな俺はあいつのヒーローになる資格はない。ならば、いっそのこと。ここで終わりにするべきなのだ。

「火神くん、僕は別にそんな意味で…」
「じゃあなんだってんだよっ!…俺は、知りたくなかった!あいつの過去も、青峰の存在も、…何も知らないまま、側にいられれば良かったのに、よぉ…っ」
「……」
「俺は、黄瀬が好きなんだよ。触りてぇよ、抱き締めてぇ。正義のヒーローなんか…、なれやしねぇよ」

結局のところ、俺は煩悩を捨て切れないただの男だったってことだ。
離れた場所からあいつの平穏な生活を見守る。それは何度かしているが、経験があるからこそ分かっている。俺には、それだけじゃ足りない。
俺の望みは、たった一つ。黄瀬と、恋人でいることだけだ。
普通の恋人だ。男同士とか、相手が全盲であるとか、そんな特別な事情を無視出来るような関係を望んでいる。普通ではない黄瀬にいくら望んでもけして叶うことのない関係を。
何も知らずにキスをした。
あの距離は、かりそめのものに過ぎなかった。


その晩から、黄瀬と電話をする日課が途絶えた。
鳴らない携帯を握り締めながら、俺が出来るのは黄瀬の平穏を願うことだけ。
こっちから黄瀬に電話をすることも出来ない。そこまで図々しい神経は持ち合わせていない。
このまま、すべて終わるのだろう。何もかもなかったことに。黄瀬の平穏を守るべきは俺ではなく。黄瀬の目となり、光となる人間は別にいる。
浅はかでよこしまな感情しか持てない俺は、用なしだ。本当は、最初からそうだった。
好きになるだけ、無駄な相手だった。



それなのに、黄瀬のヒーローは確かに現存する。
再び俺の前に現れたそいつは、明らかに不機嫌そうな表情で俺を睨みつけてきた。
「テツは?」
「…まだ中にいんじゃねぇの」
「へえ。じゃ、ちょっとツラ貸せよ」
「俺?…こっちは何の用もねぇよ」
「嘘だろ?なに、お前、ちょっと黄瀬のこと知っただけでもうビビって逃げるつもりか?」
「…っ、俺は、」
「いいから来いよ、火神。あと殴らせろ。つーか、殴る」
「は?…オイ、何なんだよっ」
青峰は強引に俺の腕を掴むと、引きずるようにその場から連れだした。
そうして到着したのは、学校の側の公園だった。
「…なんなんだよ、俺はもう、」
いい加減にしろ、と腕を振り払ったその時。一歩後退した青峰は、踏み込みざまに俺の頬に一発のストレートをぶち込んだ。
「…っ!何しやがるっ」
「言っただろ、殴るって。…あー痛ってぇ、お前、どういうツラの皮してんだよ」
「は?…っ、ふざけんな、この…っ」
勝手に殴っておいて、拳を振りながら暴言を吐かれ、さすがにかっとなりやり返そうと腕を振り上げる。
だが、俺には出来なかった。両手を下し、ガードの姿勢も取らない青峰を前に。ゆっくりと、振り上げた腕は下される。
「…俺は、もう、あいつに関わらねぇ」
「…へえ。黄瀬の言ってた通りってことか」
「あいつがどんな言い方をしたか知らねぇが。…お前も、黒子もだ。…望んだ結果だろ?」
「…あー。黄瀬の言う通り、お前は馬鹿みてぇだな」
「…は?」
「…いいからもう一発殴らせろよ。馬鹿にはその方が効くってもんだろ?」
「う、うるせぇ!馬鹿とか言うな!てめぇに何が分かるってんだ…ッ」
「俺を誰だと思ってんだよ?」
「…ッ」
余裕めいた笑みを浮かべてこっちを見据える青峰の目に、情けないことに俺は怯んでしまう。やはり、俺はこいつには敵わないと。心底思わされる。
そんな俺の考えが見透かされているのか、青峰はつまらなそうにため息をつく。
「はぁ。…ったく、黄瀬の奴、なに考えてんだか。これなら、笠松のほうがまだマシだっての」
「…っ」
「笠松、知ってる?いまのあいつが通ってる高校の教師。黄瀬のこと、かなり気に掛けてるみてぇで、学校の外でも結構いちゃいちゃしてるらしいぜ?」
「…知らねぇよ、…あいつの交友関係なんざ」
「へえ、冷てぇな。何も知らねぇで、あのツラの良さに惹かれてあいつの言うがままに付き合ってやったって?」
「…そんなんじゃねぇ、俺は…」
「黄瀬の周りにはロクな男がいねぇな。お前と言い、…俺と言い」
強い否定が出来ない俺に、青峰は言う。どこか自嘲めいた笑みを乗せて。
「青峰…?」
「んだよ、そのツラ。黄瀬から聞いたんじゃねぇの?」
「…俺が聞いたのは、お前が…、青峰が、黄瀬を、」
影から守り続けた男がいた。目の見えない黄瀬に、正体を告げることなく。それが青峰であると黄瀬は知っていた。その存在を知っていても、黄瀬にはなすすべがなかった。
「まあ、確かに俺はあいつにちょっかい出そうとしてた奴らを憂さ晴らしにぶっ倒してた。結果的に、黄瀬がそう思うのも無理はねぇよな」
「…違うのかよ」
「…俺があいつに声を掛けなくなったのは、別に正義のヒーロー気取ってたからってわけじゃねぇよ。ただ、…あいつの目が」

黄瀬は他人と話すとき、必ず相手の目を見て喋る。
見えていないくせに。見えていないことを隠して。
ガラス玉のような曇りのない目は、ただただ映ったものを反映させる。
そこに映されるのは黄瀬自身の感情ではない。対峙した相手の姿が、表情が。鏡のように、映しだされる。

「…ウゼェんだよ、あの目。…あんなもんずっと見せられたら、気が狂う」
「…黄瀬が危険な目にあったのが、お前のせいだったから、か?」
「あいつがそう言ってたのか?」
「いや、全然。黄瀬は、お前に感謝しかしてなかった。自分に起きたことも、他人事のように話してた。あいつにとって、お前は…、今でも、正義のヒーローだ」
「…甘ぇな、あいつも。…そんなんだから、付け込まれんだ」
「…なあ、青峰。お前、あいつに会ってやれよ」
「は?」
「それがあいつの希望なんじゃねーの。あいつは今もお前を…」
「…人の話聞いてんのかよ?お前が言ったんだろ。黄瀬が俺をどんな目で見てんのか」
「…え…?」
「…あー、ダメだ。お前見てるとイライラする。これ以上はやめだ。てめぇで考えろ」
「ま、待てよ!まだ話は…っ」
「…なあ、火神」
好き勝手言いながら、唐突に俺に背を向け帰る素振りを見せた青峰は、背を向けたまま呟く。
「あいつは、どんな目でお前を見てた?」
最後のその言葉に、俺は何も答えることが出来なかった。


公園のベンチに座って、ぼんやりと青峰の言葉の意味を考える。
黄瀬の目は鏡だと言う。確かに、あいつは焦点のしっかりした目で相手の顔を見て喋るのだが、見えてはいない。通常の人間がするように、目で感情を表現することが出来ない。
己を映す鏡ってやつだ。純粋で、曇りのないその目は。対峙する人間の醜い心をどこまでも透明に映し出す。
俺といるときも。黄瀬はそうだった。例外などはない。黄瀬は、俺を見て。そうして、俺の思うことすべてを。
「……」
そう、だっただろうか。

電話で話していたときの黄瀬は、すべてを客観的に伝えていた。
辛いはずの過去話を。他人事みたいに、淡々と。冷たいわけではないけれど、壮絶な出来事を口にする黄瀬の声に温度は一切感じられなかった。
ただ、あの声が豹変したのは、「今」を口にしたタイミングだ。
俺の名を口にした。俺に、答えを求めた。あの時の黄瀬は。
どんな顔で、携帯を耳に押し当てていたのだろう。

毎日電話をした。
べつに大した用事なんてないのに。黄瀬の声を聞くことが、俺の日課となり、声を聞けない日が一日あれば不安になって。
それで俺は、あいつと随分近くなったような気がしていた。
顔を見たのは、数回程度だってことに気付くまで、俺は随分時間を要し。
それに気付いた途端、強い衝動が俺の体内を駆け巡る。

経験のある衝動だ。
その結果、俺が見るべきものはひとつしかない。
今すぐに。俺はそれを確認しなければいけない。

そこには、すべての真実が現れているのだから。











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