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▼ 4




毎晩決まって電話をする。
家族と離れて一人暮らしをしている俺は、もしかしたら誰よりも黄瀬と喋っている時間が長いのかもしれないと思えるほどに、定着した日課だった。
食事と風呂と睡眠、それに連なるひとつの習慣。
その相手は、俺にとってどんな立場に当たる人間と言えるのだろう。



「…っち、火神っち!」
「あ…?あぁ、何だよ」
「…って、火神っち、いま寝てなかったっスか?話聞いてないっしょ」
「…あー、ワリィ」

学校から駅に向かったときと、ほぼ同じような浮ついた感じで俺は帰路についた。
流れ作業のように自宅の施錠を解き、制服を脱ぐ。そのままシャワーを浴びて、在り合わせの食材で夕食を作り。無音の室内でぼんやりと箸を動かしていた。その時、携帯が鳴って俺は長い眠りから醒めたかのような感覚で瞬きをした。
着信に応答する。聞こえて来たのは、昨晩嫌というほど長い時間聞かされていた声。
いつもよりもやや早い時刻に、黄瀬はいつもと変わらないテンションで俺の名前を呼んだ。
「火神っち、ひょっとして疲れてる?あ、昨日の寝不足がたたってたり?」
「…そんなんじゃねーよ。べつに。…まあ、お前は元気過ぎるけどな」
「そっスかー?俺いつもこんなじゃん?」
「今日はさっさと寝ろよ。昨日みてぇに朝まで付き合ってやれねぇぞ」
「そっスね、火神っちお疲れみたいっスし…。…もう寝る?」
「…俺はまだ寝ねぇよ。でもお前は寝ろ」
「何スかそれー、何かいま、俺のことガキ扱いしてねっスか?」
携帯を耳に押し当てたまま俺は視線をベッドサイドのデジタルクロックに向ける。時刻は20時を回ったばかりだ。
確かにこんな時間に寝ろはないかもしれない。苦笑しながら携帯を右手から左手に持ち替える。
「火神っち、いま何してたんスか?」
「あー、メシ食ってたよ」
「へー、今日の夕飯何スか?ちなみに俺はもんじゃっス」
「もんじゃ?」
「そー、まあ、全部焼いて貰ったんスけどね!」
それを聞いて、俺の脳裏に消えかけていた記憶が蘇った。ドクドクと脈が高鳴る。電話越しの黄瀬の声はいつもと変わりない。
「外でか?」
「へ?まあ、そっスけど…あんまないっスよね、家でもんじゃやる家庭も」
「……」
「火神っち?」
そこで俺は息を飲む。本当に言いたい言葉が、喉の先で引っ掛かる。それは、この質問が表に出ていいものなのか判断に迷ったからだ。
(誰と、)
妙な沈黙が流れた。
「学校の先生が連れてってくれたんスよ、今日ウチ、親がいなかったんで。それ言ったら。でも先生、懐事情が寒いっぽくてオゴリじゃなかったんスよねー。まじ拍子抜けっス」
「……先生?」
そして黄瀬は俺が求めていた答えをあっさりと吐き出した。

いやに靄が掛かっていた記憶が、じわりじわりと晴れていく。
駅で見かけた黄瀬の横には、黄瀬よりも背の低いスーツ姿の男が居た。
それを認めてから、俺はどこかおかしくなった。そぞろな気分で身を翻し、反対側のホームへと駆け出し、電車に乗って。今の今まで、思案することを放棄していた。
それが、黄瀬の声によって正されていく。

「うちの学校って、まあ、盲学校なんスけど、結構生徒と先生の距離が近いっつーか、友達みたいな感じなんスよね。メシとかよく食いに行くし、休みの日に車出して貰ったりとか」
「…先生、かよ。…なんだ、そう、か…」
「火神っち?」
「いや。…良かったじゃねぇか、メシ食いっぱぐれずに済んで」
「ん、まあラッキーっスね。先生が連れてってくんなかったら俺マジ今頃飢え死にっスよ」
「一晩メシ抜いたくらいで死ぬかよ」
「わっかんないっスよー。でもまあ、俺が死にかけたら火神っちが即効で駆けつけてくれるから多分平気っスね」
「は…?」
「俺のボディガードだし?」
「…はっ、」
ばっかじゃねーの。間髪入れずにそう言えた。電話越しに黄瀬が笑う。軽い気持ちの声に落ち着く。
「とか言って、俺がマジで死にそうな声で電話したら絶対駆けつけてくれんスよね。火神っちってそういう奴っス」
「…どんだけ離れてっと思ってんだよ。先生呼べよ」
「先生よりも頼れるって言ってんスよ。火神っちが」
「バーカ、つまんねぇこと言って…」
「マジっスよ」

これは、笑い話のはずだった。そう在り得る話じゃない、仮定を否定して、終わる。そのはずだった。
それなのに。いつの間にか、黄瀬の声質が切り替えられる。
顔を見ているわけじゃない。だから、どうしてこうなったのかすぐには理解出来かねた。
黄瀬は、至極真面目な声色で続けた。
「俺、昨日マジでそー思ったんス。…朝まで付き合わせて悪いとは思ったけど、…火神っちの声聞いた時、俺、すっげーほっとした」
「……」
「…ゴメン、なんか、超変な話しちゃってもいっスか?」
静かに。悪びれた調子で黄瀬が言う。しおらしい声に、俺は言葉もなく頷く。見えるはずもない。それなのに黄瀬はそれが見えているかのように息を吸い。
「いま、俺の中で火神っちの存在が超デカイ。たぶん、火神っちに切られたら、どーにかなるかも」
真面目な声で伝える言葉じゃない。
そう思った俺の鼓膜に、次に届いたのは黄瀬の自嘲を含んだ声だった。


それから先はダメだった。
今日、学校帰りに電車に乗っていたときと同じ感覚が、俺を突き動かす。
携帯の通話を繋いだまま。サイフと鍵だけ持って立ち上がって、家を出る。
この時間に、この声を聞いたのがまずかったのだろう。

終電のことすら考えずに、俺は一度往復した道を再び辿っていた。



あんだけ毎晩電話をしていたのだが、実際に黄瀬の顔を見るのはまだこれで四回目だ。
電車に乗る前に通話を終了した。電車を降りて再び通話を再開した。事実を伝えると、黄瀬はうるさいくらいに驚きの声を上げた。
黄瀬の家の前でインターホンを鳴らし、同時に電話で到着を伝える。玄関のドアが開く。携帯を耳に当てたまま、黄瀬は目をかっ開いて俺を見てた。
「…アンタ、何考えてんスか?」
「…うっせぇ、お前が変なこと言うからだろ」
「俺のせい?俺、べつにいますぐ来いなんて言ってないっスけど?」
「…クソ、可愛くねーな。あんなん、来いっつってるようなもんだろ」
自分の携帯の通話を切り、呆然としてる黄瀬の手から携帯を取り上げる。繋がったままの通話を切って再び黄瀬の手に握らせる。その手を取られて、少し驚く。
「…んだよ、迷惑ならすぐ帰る、」
「んなわけないっス。…つーかアンタ、マジ、…ヤバイっス、…ほんと、…し、しんじらんね…」
「は?…っ」
驚いたり、それから馬鹿だなと笑いだしたり。そんな反応を予測していた俺の期待は裏切られる。
俺の目の前で、俺の手を握ったまま。黄瀬は、ぼろぼろと泣き出してしまったのだ。


「馬鹿とお人好しって、ホント紙一重っスよね」
「うっせーな、さっきから何だよ、お前おかしいぞ?」
「…おかしくもなるっスよ。マジ、アンタほどお人好しな馬鹿初めてっス。普通ないっスよ、こんな時間に、何度か会っただけの男が、家に一人でいるっつったくらいでマジで飛んできちゃうとか」
「…俺もそう思う。…なんで来ちまったんだろうな」
「…なんでっスか?」
「だから、わかんねぇっつってんだろ。お前が泣きそうだったから」
「泣きそうだったけど、火神っちが来たせいでマジ泣きしたっス」
「そこで泣くのもおかしいだろ。俺のこと、馬鹿だと思ってんならなおさら」
「馬鹿だと思うっスよ。でも、しょーがないっス。…すっげ、嬉かったんスから」

手を引かれてリビングに連れて行かれて、三人掛けのソファーに並んで座って俺たちはそんな話をした。
笑い話にするならそれでいい。からかったり馬鹿にするならそれでもいい。なのに黄瀬はそれをしつつも、最終的には素直過ぎる言葉を吐き出す。つい、反応に困るほど。
衝動に任せてここに来てしまった理由は、俺の中でも曖昧だ。だが、隣で微笑を浮かべながら嬉しいと口にする黄瀬の顔を見て、ぼんやりとその理由が形を作り始める。
(顔が、見たかった。)
昨日の夜から朝にかけて長電話をした。黄瀬の様子が少しおかしかった。気になって気になって仕方なかった。声だけでも表情豊かな黄瀬が、いまどんな顔をしているのか。見て、確認して、安心したかった。
大まかな理由はそれだけだ。それで電車に乗って、黄瀬の元を訪れて。途中で、どうして顔が見たいのか分からなくなってそこで他の男と一緒にいる黄瀬を見て。何かが、ぶっ飛んだ気がした。
その後に聞かされた真実と、やたらしおらしい黄瀬の声。それがまた俺の衝動を突き動かし、ここにいる。
それらの出来事を突き合わせると、分からないと思っていた理由は解明される。

「…なあ、黄瀬」
「何スか」
「お前さ、俺のこと、何だと思ってる?」
「へ?何スかその質問ちょっと変っス」
「…分かってらぁ。いいから答えろ」
「…そっスね。まあ、馬鹿でお人好しで、騙され易そうな奴だとは思うっスけど」
「そういう意味で聞いてんじゃねぇよ」
「…自分にとってって意味っスよね。分かってるっスよ。…でも、これ、言っちゃっていいんスか?」
「……」
おそらく黄瀬は、俺が求めている答えを口にするのだろう。
それを聞けば、今の関係がはっきりする。あるいはバラバラに崩れる。
重々承知の上で、俺は促す。「ああ、言えよ」黄瀬はひと呼吸置いて、そして視線を真っ直ぐ俺の目に合わせた。
今でも思う。黄瀬の目は、本当はしっかりと見えているんじゃないかと。それくらいに真っ直ぐ、1ミリもずれていない焦点で。
くちびるが動く。
「電話でも言った通りっス。…いまの俺にとって、アンタはすっげー必要な人。主にメンタル的な方向で。それと、電話で言ってなかったことも追加する。好きな人」
あまりにも出来過ぎた話だ。そう思いつつも、俺は見出した理由から目を背けることは出来ない。
「ずっと一緒に居たい人」
「…ああ、分かった」
「声を聞いていたい人」
「……」
「でもそろそろそれだけじゃ足りなくて、触りたい人」
「…黄瀬」
「触って欲しい人」
「おい、もう、」
「この目の」
黄瀬の手が、俺の手を掴む。驚く間もなくそれは黄瀬の目蓋へと移動させられる。片目がじっと俺を見詰めたまま。静かに。ゆっくりと黄瀬は、願望を伝える。
「この目の代わりになって欲しいと思った、初めての人」

奇跡的な偶然だ。
おそらく、黄瀬もそう思うのだろう。これから俺が告げる言葉を聞いたなら。

「なってやるよ」

いつの間にか、そうなってた。
きっともう、引き返すことは出来ない。

「だから、お前は俺のことだけ見てろ」

最大級の独占欲を、口にする。
その告白に対する黄瀬の答えは、あっさりと。

「それは俺の得意分野っスね」

澱みのない眼球に。たった一人の姿を映した男は言って、笑った。










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