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▼ 3





笑い転げる黄瀬を何とか引きずって浜辺に上げ、シャツを脱がせた。
海水を含んで重くなったシャツを雑巾のように絞って、黄瀬に靴と杖を持たせて岩場へ歩く。
そして岩の上にシャツを広げて乾かす。俺も黄瀬も替えの服などは持って来ていない。

「あーもー、超笑ったぁー!何やってんスか火神っちぃー!」
「…そりゃこっちが聞きてーよ。俺まで巻きこみやがって…」
「あははっ!スマッセン!」
「何が、子供の頃とは違う、だ。オマエ全然進歩してねーだろ」
「ふっ、多分ね!おっかしーなー…、ぷっ、あははっ」
「笑うな!」

何がおかしいのか、黄瀬はずっとこんな感じで、ネジが飛んだ玩具のようだ。
倒れた時にどっかぶつけたのかと疑うほどだが、俺は見てた。少なくとも頭は打っていないはずだ。
目尻に涙すら浮かべる黄瀬を睨む。見えていない黄瀬は構わず笑う。
「ごめん、なんかテンション上がっちゃって…。…火神っちの言う通りっスね、俺、ホント成長してない」
漸く笑い止んだと思ったら、目元を指で拭いながら黄瀬は呟いた。
「でも、こんな笑ったのは久しぶりっス。…火神っちのお陰。ありがと」
「いや、俺は何も…」
「一緒に濡れてくれたじゃん。それに、助けようとしてくれた」
「…普通だろ」
「普通じゃねっスよ。…やっぱ、俺のカンってスゲーな。信じて良かった」
岩場の影に腰を下ろした黄瀬が膝を抱え、海に目線を向ける。
「火神っちで良かった」

確認をするかのように、黄瀬は力強くそう呟く。
けして、問いかける形ではない。俺は黄瀬に何も言わない。
ここまで信頼されて、照れがないとは言えない。でも同時に、もっと警戒した方がいいとも思う。
複雑な気分だ。




あれだけ騒いで疲れたのか、帰りの電車で黄瀬は爆睡状態になった。
行き以上に空いてる車内。並んで座って、丁度黄瀬の小さい頭が俺の肩を支えに傾いている。
斜め上から覗き見た寝顔に、よく視線を奪われる。そんな風に夕暮れの電車に揺られて、帰路につく。
危うく降りる駅を乗り過ごしてしまいそうになるほどに、穏やかな時間が流れていた。

「また、火神っちとデートしたいっス」
帰り際、黄瀬はそんなことを言った。
そうだな、と俺が返せば、何故か不思議そうに目を瞠る。
「なんだよ?」
「いや、…何でもないっス」
「あぁ?」
「バイバイ、火神っち」
疑問には答えず、黄瀬は目を細めて俺に手を振った。


その夜、寝る前に黄瀬から電話が掛かってきた。
毎夜の習慣となったその行為。会話時間は3分以内に終わる時もあれば欠伸が出るほど長いときもある。今日は前者だ。なぜなら応答した際に聞こえた黄瀬の声がやはり非常に眠そうだったから。
「随分疲れてんな」
「んー?火神っちもね。なんか、今日はよく眠れそっス」
「ああ寝ろ。じゃーな」
「待って、火神っち」
「あ?」
「おやすみ」
「…オヤスミ」
会話終了の挨拶を告げ合う。それでも互いになかなか通話を切断できなくて、無言に耐え切れなくなった黄瀬がぶはっと吹き出したところで、俺は半ば照れ隠しのような通話の切り方をして、その夜の日課は終了した。




毎日、毎晩電話をしている。
携帯を通して聞く黄瀬の声は、24時間以内に必ず俺の記憶上で更新され、この数週間のトータルで言えば俺は誰よりも黄瀬の声を聞いている気がした。
だんだんと、黄瀬の声を聞くだけであいつがどんな表情をしているのか。それも分かるようになってきた。
対面せずとも相手の表情が読める。眼に見えずとも関係ない。
黄瀬が盲目であることなど、たまに忘れそうになった。
食事、風呂、そして黄瀬との通話。それは俺の生活の流れにうまく馴染みきっていた。

だから、その日課が何の予告もなく途切れた夜は、手にした自分の携帯を逆折りしそうなくらいに苛立った。





「…おせーよ」
「ごめん、火神っち!起こしちゃった?」
「寝てねーけど。…随分長電話だったな」
「え?あ、…かけててくれたんスね」
「一回だけだ」

結局その夜黄瀬から連絡はなく。着信を受けたのはその翌晩。それも、日付が変わって30分も過ぎた頃のこと。
寝る準備は万端だった。それでも、布団にもぐりこんで部屋中の灯りを落として目を閉じても、ちっとも眠気が訪れない。何度か暗闇の中で黄瀬に電話してしまった。その度に、通話中を知らせるビジートーンを聞く俺の心境は穏やかではなかった。
だから、正直に言えば携帯の背面LEDに示された黄瀬の名を見た時は跳ね上がって驚いた。
努めて平静な声で応答する。相手はやや恐縮した声音で俺の様子を伺ってきた。そして聞いても居ないのに、ビジートーンの理由を話し始めた。
「丁度火神っちに電話しようと思った時に、昔のダチから連絡来ちゃって。ちょっと、真剣な話とかしちゃってたからなかなか切れなかったんス。そんでこんな時間になっちゃって。ほんと、スイマセンっス」
「別にいーよ。つーか、お前も眠いんじゃねーの」
「…ん。…火神っち、明日、早い?」
「は?」

普段、黄瀬が何時に就寝するかなんて俺は知らない。
大体通話を終了してしばらくだらだらとした後に寝てるんだろうとは思う。そして今の時刻は今までになく遅い時間帯。明日も平日であり、俺も黄瀬も学校がある。
朝は早い。毎日遅くまで部活をやってる俺は疲弊をしてもいる。可能な限り、睡眠欲は夜中のうちに昇華させておきたい。そう言おうとした。
「…あ、ごめん、やっぱいーや。…火神っちの声、聞けてよかったっス」
それでも言葉が飲み込まれたのは、黄瀬のこの声の質。
毎日電話で聞いていた。黄瀬の声をいまさら他の誰かと間違える気はしない。それどころか、声だけでどんな顔をしているのか分かるくらいに。俺の感覚はこの生活に染められている。
だから、どうしても耳を塞げなかった。
「何があった」
その夜、黄瀬の声はあきらかに通常よりも大人しかった。
無視なんて出来なかった。俺は、踏み出すことを選択した。
黄瀬が息を飲む。その感覚すら、姿を見ずとも俺には分かった。

だから、俺は切り出せなかった。
昨日はどうして電話をしてこなかったんだ、と。




「徹ゲーでもしてたんですか?」
「…違ぇよ、放っとけ」
「ただでさえ怖い顔がますます悪化してますよ」
「うるせーよ」

翌日、いつもの時間に登校した俺の顔を見た黒子は、顔色を変えるでもなく淡々と客観的な俺の状況を報告した。
結局昨晩は、黄瀬との通話時間の最長を記録した。明け方近くなるまで、俺は黄瀬の声を聞きながら自分の話をし続けた。
何があった、その問いに対する答えは黄瀬の口から語られることはなかった。俺に連絡する直前まで話していたであろう昔のダチとやらも一切話題になることはなく。黄瀬が通常よりもトーンダウンした声で「火神っちの話を聞きたいっス」なんて言い出すから、仕方なく。だらだらと、下らない昔話なんかをして夜を明かしたわけだ。

そんな事情を丁寧に説明してやれば、この表情筋の弱ったクラスメイトは怪訝そうな顔で言うのだろう。さっさと電話を切るべきだった。どこまで君はお人好しなのか。分かりきった感想だと思う。俺もそう思うし、それに対する反論はない。だから俺は黄瀬と長電話していたせいでこの眼を充血させている事実を黒子に伏せた。

昔のダチと電話をしていた。確かに黄瀬はそう言っていた。
ならば、もしかしたら黒子に聞けば分かるのかもしれない。黄瀬のダチとやらが。もしかしたら、どうしてそれで昨夜黄瀬の様子がいつもより大人しかったのかも。
だけど、それを聞いていったい何になると言うのだろう。
黄瀬の感情を左右させる存在が、俺の知らない誰かが、黄瀬の中にあることを。
「……」
馬鹿馬鹿しい、と思う。
黄瀬の過去が気になるなんて。間違っても、黒子にだけは知られたくなかった。



放課後、学校を後にした俺はふらふらと電車に乗っていた。
ハードな練習はいつものことだ。それでも、ぼんやりとして電車に乗っているなんてことは生まれて初めてだった。どこに向かうつもりなのか。定期を持って居ない俺の手の中には、隣の県にあるとある駅行き分の運賃が記された切符が握られていた。
日中、黄瀬から連絡はない。それは今までもそうだった。来る時は来るけれど、通話をするのは大抵夜。寝る前の日課だ。
だからなのかもしれない。今日一日、気を抜くと俺はあいつのことを考えていた。
気になる事がたくさんある。本人にも、唯一の共通の知人である黒子にも聞けないことだ。
思っていた以上に俺は黄瀬のことを知らなかった。その事実に驚愕する。あれだけ毎晩話をしていたのに、俺は普段黄瀬がどんな生活を送っているのかあまりよく知らない。
そのせいだ。無意識にこの切符を買って電車に乗ったのは。
黄瀬の日常をこの目で見たいと、そう思ったから。

俺がそこに足を運んでも、声を掛けない限り黄瀬は俺に気付かない。
顔を見るだけ。それだけでいい。そしたらきっと満足して、さっさと家に帰ろう。
夜になれば、また電話がかかってくる。会っていることも知らずに、いつものテンションで。
何事もなかったかのように。何事もなく、俺たちは。

黄瀬の自宅がある最寄駅で電車を降りる。
制服姿の高校生の姿はあまりない。時計を見れば、七時を過ぎていた。こんな時間なら、黄瀬ももう家路についているのかもしれない。
ここに来て、俺ははっとなる。なぜこんなところに来てしまったのか。何のために。
自宅まで押しかけるつもりだったのか。黄瀬がこの時間にこの駅にいるとは限らない。いない可能性の方が高かった。
黄瀬の親とは顔見知りではある。それでも、友人と呼ぶにも微妙な間柄であり、しかも他校の生徒である俺がこんな時間に予約もなく唐突に家を訪れる。それはとても不自然なことだと、いまさら思った。

俺は、いったい何をしているんだろう。
何かがおかしい。何がおかしい?そう思案し始めたときだった。

視界に、あの派手な髪の色が飛び込んで来たのは。









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