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▼ 2





男を駅まで送る日が来るとは思わなかった。
黄瀬はいらないと主張したが、あんな話を聞いた後だ。立ち上がった黄瀬の左手を取ると、黄瀬は大人しく俺に誘導された。

「ここで平気っスよ。割と電車は馴れてるんで」
改札前で黄瀬はそう言って俺から離れる。
「ありがと、火神っち」
「…なあ、黄瀬」
「ん?」
「…さっきの話」
言うと、黄瀬は目を瞠って俺を見た。
「え、何?」
「…だから、…お前、一人で出歩くなよ」
「…そんな話、したっけ?」
「また変なのに絡まれたくねーだろ」
そう言うと黄瀬は、あぁ、と小さく呟いて俺の目を見た。
「ボディーガード、してくれる気になった?」
「…可能な限り、な」
「え?」
「…携帯貸せよ」

自分でも意外と思う行動を取った。
黄瀬から携帯を受け取り、自分の番号を登録する。その後、登録した番号を呼び出して自分の携帯に着歴を残し、黄瀬に携帯を返却する。
「メモリナンバーは?」
「は?確認してねーよ」
「…そんじゃ俺火神っちの番号呼び出せないんスけど」
「リダイヤルの一番上だ」
「…ずっとそれキープしてろって?」
小さく笑った黄瀬に、はっとする。訂正しようと口を開く。だが、その前に黄瀬は右手に持った携帯をこめかみに押し当てて言った。
「じゃ、誰かに電話する度に二番目になった火神っちの番号選んで更新しないとっスね」
言い逃げする形で黄瀬は手の代わりに携帯を振って、改札に身体を向けた。

その日から、俺は毎晩寝る前に黄瀬の声を聴く習慣を身につけた。




「随分、気にしてるみたいですね」
「あ?…黄瀬のこと、か?」
「はい。毎日電話してる、とか」
「…あいつ、お前に何でも喋るんだな」

昼休み、黒子に突然言われて、少し戸惑いながらも平然を装ってそう返す。
この二人の関係も、俺はいまいち把握しきれていない。
ただの同中の友達だと黒子が言うのなら、それ以外に形容し得る関係ではないのだろうが。
…それにしちゃ、仲良いな。

「…何スか、それ。嫉妬?」
「は?!嫉妬…じゃねーよ、何言ってんだっ」
「じょ、冗談っスよ、そんなに怒らなくても」

黒子に聞いてもうまくはぐらかされるばかりなので、その夜、俺は黄瀬との通話の中でそれを探ってからかわれた。
「…大体、何で俺が黒子に嫉妬すんだよ…」
「え?そっち?」
「…は?」
「いや、俺的にはこの場合、俺が妬かれてんのかなって。…あ、そぉ」
「……」
墓穴を掘ったことに気付いて項垂れる。
ただ、電話越しに聞こえる黄瀬の声は嬉しそうだ。
「ちょっとね。いや、マジ火神っち優しいっスよね」
「何言ってんだ。何もやんねーぞ」
「いや、…なんか、俺が女の子だったらどっぷり惚れてたかも」

思わず息を飲んでしまい、怪訝そうな声で名前を呼ばれる。
「…っ、気持ちワリィこと言うなよ」
「あは、これは冗談っスよ。…それはそうと、火神っち、ひとつお願いしてもいいっスか?」
「何だよ?」
「俺、行きたい場所があるんスけど」
「どこ?」
「海」

黄瀬の望みを聞いて、喉元まで出掛かった文句を無理やり押し込める。
「ダメっスか?」
「いや、…べつにいーよ。海、な」
「…ありがと、火神っち!」
心底嬉しそうな声で礼を言われて、悪い気はしない。
電話であるのが少し惜しく思う。
きっとこの向こうで、黄瀬は芸能人ばりに整った顔を一番いい表情にしているのだろう。





部活が午前で終わる日を選んで、黄瀬に伝えた。
その当日は、朝からよく晴れていた。
俺は学校を後にしてその足で黄瀬の住む町へ電車で移動する。
海に行くなら、黄瀬んちに寄って連れてった方が効率も良い。

予め教えられた黄瀬の自宅へ行き、美人の母親に挨拶をして黄瀬を連れ出す。
この時点ですでに黄瀬は上機嫌だった。

「行った事ねーの?」
「ん。小学生の頃まではちょくちょく行ってたっスよ。でも今は禁止されてて」
「は?」
「俺、昔岩場で足滑らせて、大怪我したんスよ」
「!?」
「だから、親もビビって海にだけは連れてってくんなくなっちゃって」
「…そりゃ。…って、お前、今日のこと」
「もちろん内緒っスよ!学校の友達と図書館で勉強することになってんで」
「…おいおい」

電車に揺られながら、俺たちはそんな話をした。
一人分空いていた優先席に黄瀬を座らせて、俺はその前の吊り皮にぶら下がって。黄瀬は口端を上げて、悪戯が成功した子供のように楽しそうな笑い声を立てる。
それを見ると、複雑な気分になる。
「…お前は、ビビってねーの?」
目が見えなくて、そんな状態で怪我をして。それもガキの頃に。
海がトラウマになってもおかしくない過去を、黄瀬は笑って話す。
不思議だった。そんな場所に、自ら進んで行きたがるなんてこと。
しかも、同行者は知り合って間もない得体の知れない野郎ときた。
黄瀬はふるふると首を振った。
「全然!だって、火神っちが守ってくれるし」
「は…?!」
「そーだろ?」

焦点の合った黄瀬の目が、じっと俺の目を覗き込む。
何もかも見透かれそうな、濁りのない二つの目。
俺は一瞬息を詰め、そして答える。
「そーだよ。だから、俺から離れるなよ」
すっかり俺も、あまりにも警戒心の薄い黄瀬に乗せられた。



すでにシーズンを過ぎた午後の海は、人の影もまばらだった。
黄瀬の腕を引いて浜を歩く。不安定な足元に、黄瀬は困惑しているようにも見えた。
「大丈夫か?」
「ん…、…だいじょ、うわっ」
「っ!…ちゃんと前、…いや、しっかりしろよ」
前見て歩け、と言いそうになって引っ込める。バランスを崩しかけた黄瀬は気にした様子もなく、俺の腕を掴み返して顔を上げた。
「久しぶり過ぎて感覚が掴めないんス。火神っち、砂の上って歩くとこじゃないっスよね」
「…まあ、そーだな。…つーか、歩き辛いなら靴脱ぐか?」
「え?でも…」
「そんなに熱くなってねーし、平気だろ。座れよ、脱がしてやる」

腕を離して、代わりに肩を押す。
黄瀬は小さく頷くと、砂の上に腰をついた。



ついでに俺も靴を脱いで、裸足の俺と黄瀬は手を繋いで海辺を歩く。
「風、気持ちいっスね」
「あー、そーだな」
「天気もいーし。最高っス」
「…あれ?お前、杖は?」
砂を蹴り上げながらゆっくり歩く黄瀬の右手に視線が行って、気付く。常に手放すことのない白い杖が、今はない。
「靴と一緒に置いてきちゃった。邪魔かなって思って」
「邪魔?でもあれがねーと…」
「火神っちの目の方が安全っしょ?どー考えても」
「…まあ、言えてる、けど」
目を伏せ、俺を見て笑う黄瀬に、複雑な気分を抱く。
信頼されてるのは充分分かった。
だが、こんなもんでいいのかと。黄瀬は、もっと警戒心を強めるべきなのではないかと。不安に思う。

もし、俺が変な考えを持っていて、わざと障害物がある場所に連れてったらどうする気なのか。
中学の頃の知り合いの知り合いとはいえ、顔を合わせてから数ヶ月も経っていないような相手だ。
俺は黄瀬のことをそこまで良く知らない。黄瀬は、俺以上だ。何せ、顔も見えない相手なのだから。
そんな相手を簡単に信用していいのか。
親に嘘ついて、命綱とも言える杖を手放して。

「…火神っち?どーしたんスか?」
「あ?…あぁ、…オマエさ、…変な奴、だな」
「え?何スかそれ急に。失礼っスね」
「簡単に他人のこと信用し過ぎだろ。もし俺が、オマエのこと」
「大丈夫っスよ」

あっさりと、下手したら命に関わるほどの決断を黄瀬は口にする。
「だって、俺が火神っちを選んだんだし」
「は…」
「…俺、目は見えないけど結構カンはいいんスよ。だから、ずっと周りの人たちに恵まれてきた。火神っちも絶対外れてない」
「……」
「それに、…もし、失敗したとしても、…たぶんそれはそれで、最初から決まってたことだと思うし」

足を止めた黄瀬が俺から手を離し、その場で俯いた。
湿度を含む風が黄瀬の前髪を揺らす。俺はじっとその顔を眺める。
「…黄瀬?」
「…火神っち、俺、海入りたい」
「は?…海って、いや、マジ?冷てぇぞ?」
「いいっス。海来たら、水浸ってかないと!ね、火神っち、連れてって」
「……」
完全に話を逸らされた。それが分かっても、軌道を戻す気にはなれない。
だから俺は差し出された黄瀬の手を掴み、身体の向きを変えさせた。



「…っ、びっくりした…!ホント、もぉこんな冷たいんスね」
「だから言っただろ。あんま行くと海月に刺されんぞ」
「海月上等っス!もっと先いこ!」
「…オマエなー」

寄せる波にビビりつつも、黄瀬は俺の手を掴んだままずいずいと歩きだす。
なかば引っ張られる形にうんざりしつつ、膝下が浸かる程度まで俺たちは海へ進んだ。
波は非常に穏やかで、折り曲げたジーンズの裾を飛沫で濡らしながら黄瀬は腰を折る。
「…何してんだよ」
「…んーん。なんか、子供の頃思い出して。俺、実は海スゲー好きだったんスよ」
「…へえ」
「出来れば毎年来たかった。あーあ。あん時、ヘマしなけりゃな」
「……」
水飛沫が顔にまで飛んで、黄瀬の前髪が濡れていた。
そんな黄瀬を見ながら思ったのは、黄瀬の親の気持ちだ。
ただでさえ盲目のハンデを負ってる息子が大怪我をした場所なんか、どれだけ涙ながらに頼まれても連れて行きたくはないだろう。
目の届く範囲に常に置いておきたい。俺なら、そう思う。
「火神っち」
「…あ、何だよ?」
「いや、何はこっちの台詞っスよ。黙っちゃって、何?…あ、平気っスよ、俺はもぉ子供の頃みたいに足滑らしたりしないから!」
「…信用なんねーな」
「酷いっス!だったらいいっスよ!証明するから手離して」
「は?って、オイ…!」
引き留める間もなく、黄瀬が俺の手を振り払う。
自由になった黄瀬は、二、三歩後退し、笑いながら両手を顔の横に上げてみせた。
「ほら、平気」
「…っ、バカ、危ねーからこっち来い!」
「平気だって、…うあっ?!」
「…黄瀬!」

更に俺から離れようとした黄瀬が、言ってる側からバランスを崩してぐらつく。
砂に足を取られたのか。俺は焦って黄瀬に手を伸ばす。

「…ッ!!」

黄瀬の手を取る。だが、重力には逆らえない。そんなことは分かってた。
そして俺たちは仲良く二人で倒れ込み、頭から海水をかぶった。











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