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▼ 9




立って掴んで担いで逃げる。
その一連の動作はとても簡単なことで、いまオレは赤ちんを両腕に閉じ込めた状態で猛ダッシュをしている。
誰かがオレたちを追いかけて来る気配はない。赤ちんも大丈夫だと言う。ならば何も問題はない。赤ちんの眼の奥には心配ない未来が張り付いている。
雨でぬかるんだ足場の悪いあぜ道を。忍者みたいに駆け抜ける。
すっかりオレを信頼している赤ちんの両腕がオレの首に回ってしがみ付いてるのが凄くいいと思った。


息が上がって足が重たい。
少しずつ走る速度を落としてく。途中で赤ちんが、もう下ろしていいと言ったけどシカトした。
「赤ちんの足は信じないことにした。また捕まったら嫌だし」
「…信用がないな。ボクは平気だ。この体勢は気恥ずかしい」
「恥ずかしがる赤ちんとか凄く見たいよ。早く朝になればいいのに」
田舎の夜は物凄く暗くて、雨のせいで月明かりもない。僅かな街灯を頼りに走ってきたけど、こんなにくっついていても互いの状態がどうなってるのかは認識し辛い。だからこそ余計にオレは赤ちんを離せないと思った。
「どこまで行くつもりだ?」
「どこまでも。夜が明けないと電車動かないし、行けるとこまでこの足で逃げるよ」
「…凄いな、敦は。人ひとり抱えて一晩中歩き続ける気か」
「尊敬した?任せてよ、オレ体力あるし。あと赤ちんの身体なんて空気みたいに軽いから全然負担になってないし。そういうことはもっと体重つけてから言った方がいいよ」
「ああ、検討する。…案外、悔しくなるものだな」
「何が?」
「大輝に腕をつかまれたときもそうだったけど、自分の非力さが情けないと思ったよ」
「…しょうがないよ、赤ちんが力持ちだったら村の人たちがたまんなかっただろうし。これから力付けてけばいいよ。あ、でも体型はこのままがいい。抱っこし易いし、持ち運びに便利だ。赤ちん、悪いけど成長は諦めて」
「だったらボクの非力な部分は敦に補って貰うことにする」
「うん、それでいいよ。オレ、全身全霊で守ってあげるから」

そこで二人して笑いながら、オレにも未来が見えた気がした。
たぶんオレはこの体を一生離さない。誰かに奪われても取り返す。もしくはこの人が自分を縛るもの全てぶっ壊してオレの腕に飛びこんでくる。
そして恐らく赤ちんも同じ映像を見てる。子供の頃から抱いていたイメージと。そして今夜新しく得た、自分の欲求を満たすために必要な狡猾さ。
これさえあればオレたちはずっと一緒だ。何も我慢しない。何も可哀想に思わない。見える未来だけを信じて、邪魔な物を捨て続ける。そうやって願いを叶えるスキルを手に入れた。

あとは、出来るだけ長くこの願いを持ち続けるために。
この村を脱出して、ミドチンの知り合いのとこに行って赤ちんの身体をマトモにして貰うだけだ。
それで、オレたちは。


「待ってくれ、敦」
赤ちんが制止をかけた。それに従った直後、前方からヘッドライトの明かりらしきものが見えてきた。
ここにきて追いつかれたかと危惧する。
「…おろしてくれ」
「え?でも…」
「…大丈夫だ、あれは」
前方を見詰めたまま赤ちんは言う。
あれは、研究施設の車であると。


目の前で停車した車はライトを点灯させたまま。運転者側のドアが開いて、白衣姿の男が飛び出てきた。
「赤司!だいじょうぶっ?!」
「…!」
ぬかるみに足を取られているのか、よたよたと覚束ない足取りでこっちに寄ってきたその男は、妙に情けない顔でオレの腕に担がれたままの赤ちんに声を掛ける。オレは警戒しながら赤ちんの身体をぎゅっと抱き寄せた。
「どうした、小太郎?」
「赤司が浚われたって村の人から聞いて、慌てて来たんだよ…!無事で良かった…けど、」
「言ったでしょ、問題ないって。あなた、どうして私の言葉を信じないの?」
今にも泣き出しそうなその男の後方から声を掛けて来たのは、赤ちんの屋敷にいたあのカマっぽい人だった。
「レオ姉の言うことなんて信じられるわけないだろぉ?赤司、ホントに大丈夫?ケガとかしてない?」
「…大丈夫だ。それより…、…敦、苦しい。やはり一度下ろしてくれないか?」
「……」
謎の人物の襲来に警戒心を強めていると、赤ちんから再びクレームを出された。
実渕さんはオレの行動を容認してくれたけれど、研究施設の人だって聞いてる。この白衣の人だってたぶん同類だろう。油断は出来ない。
「確かにこの二人は施設の人間だけど、ボクに危害を与える存在ではない。だから」
「…ちょっとだけだよ」
重ねて言う赤ちんに折れて、赤ちんの足を地におろす。それを待っていたとばかりに白衣の男は赤ちんにいっそう近づいてきた。
「こんなビショ濡れになって…、と、とりあえず車乗ってよ、風邪引いちゃう」
「それには及ばない。小太郎、玲央、心配をしてくれてありがとう。だけど、もうそんなことは無用だ。ボクはこの村を出る」
「え?」
「お前たちには迷惑を掛けることになるかもしれないが、…やってくれるな?」
毅然とした赤ちんの声に、白衣の男は戸惑いを隠せていない。だけど実渕さんは、少し悲しそうな顔をしつつもこくんと頷いてくれた。
「何言ってるんだよ…、村から出るって?だって、そんなことしたら赤司は…」
「やめなさい、コタちゃん。…征ちゃんが心配なのは分かるけれど、あなたに引き止める権利はないわ」
「でも…っ」
「征ちゃんが望んだことよ」

実渕さんに腕をつかまれた白衣の男は、途端に萎れたようになる。赤ちんは二人をじっと見詰めながら、表情を変えることなく口にした。
「お前たちには世話になった。ボクがいまこうして二本の足で直立していられるのは、お前たちが日々の点滴を欠かさず与えてくれたからだ。それに、…ここ数年、麻薬を減量して睡眠薬に変えたのもお前たちの判断だろう?」
「…気付いていたのね」
「ああ、自分の身体だ。日に日に体調が良くなっていくのが分かったよ」
「レオ姉!いいのかよ!赤司は…っ」
「大丈夫よ」
実渕さんの目線がオレに向く。濡れた髪をかきあげ、口端を上げ。
「紫原くん、あなたが征ちゃんを守ってくれるんでしょ?」
「…紫原?それって…」
「そうよ。この人が、征ちゃんが昔から求めていた人。…素敵な話よね。本当に、白馬の王子様は存在したのだから」
「レオ姉、オレ…」
「気持ちは分かるわ。でも、征ちゃんが大丈夫だと言っているのだからきっと大丈夫よ。そうでしょう?」
「…そうだよ、赤ちんの言うことは絶対だから。オレが、赤ちんを守る」
「…征ちゃんの投薬は上からの指示で、薬の成分詳細は残念ながら私たちにも分からない。減量したからと言っても征ちゃんは苦しむことになるでしょう。それでも」
「助けるよ」

目の前の人たちがオレたちを引き止める意思を持っていないことに気付いて、オレは堂々と告げた。
「赤ちんを助けられるのはアンタたちでも村の人たちでもない。オレだけだ」
「…っ、レオ姉!こいつなんかムカつくんだけど…っ」
「このくらい強気じゃないと、征ちゃんは手に余るんじゃない?ねえ、征ちゃん?」
「ボクが選んだ男だ。当然だろう」
「赤司ぃ…」
「小太郎、聞いてのとおり、ボクは敦にすべてをゆだねる。だけど、ボクらだけでは叶えられないこともある。…助けて欲しい」
「……」
「お前たちにあげられるものはもう何もなくてすまないけれど、どうか」
「…分かったよ。施設のことはオレらに任せて。何とかする。だからさ、赤司」
じっと赤ちんの顔を見ながらくちびるを舐めた小太郎サンの目には、きらりと光るものがあった。それが涙なのか雨粒なのか、本人以外は預かり知れないことだけど。
「…っ!」
「こ、コタちゃん!」
「…ごちそーさま。これくらいの報酬は貰ってもいいよね?オレ、無職になる可能性だってあんだからさ」
赤ちんの頬に唇をくっつけてから離れたそいつは憎たらしい笑みを浮かべながらオレを見て言った。
オレはと言えば、あまりの衝撃に何も言えなくなって立ち尽くしてて。お陰で斜め左下から物凄い殺気混じりの視線を突きつけられて、かなり慌てた。
「あ、赤ちん…っ」
「…いい。敦の話はあとで聞く。それよりも」
「二人とも、車に乗って。隣市の駅まで送るわ。あそこの駅の方が始発は早く出てるし、こんな雨だもの。…いま、征ちゃんの身体を冷やすわけにはいかないでしょう?」
「オレが抱えてくから別にそんなの、」
「甘えさせて貰おう。玲央、頼む」
なんとなくこれ以上この二人と赤ちんを一緒にいさせたくなくて断ろうとしたのだけど、赤ちんはさっさと車に向かって歩き出してしまう。後を追いかけながら、途中でちらっと小太郎サンを睨んでおいた。
「…二度と赤ちんに触んなよ」
「はいはい、言われなくても怖くて触れないよ。さっきのキスだって結構勇気いったんだから。…でもさ、頼むよ?紫原敦。赤司のこと…、死なせないで」
トンと肩を叩かれ、助手席に向かう背中は他にも何か言いたそうな気配がしてた。だけどオレは車に乗りこんでからもそれを聞くことなく。
揺れる車内で、ただただ赤ちんの右手を握り締めてた。



「彼らはボクの数少ない理解者だった。施設で目覚めたときに彼らの姿が見えると安心したし、だからボクは屋敷に見張りをつけると言われたときに彼らのどちらかを指名したんだ」
「…キスした方じゃなくて良かったよ。あいつ絶対赤ちんのこと狙ってたね。…ねえ、後でオレにもさせてよ」
「考えておく」

車の中で少し眠って、目醒めた頃には雨が上がっていた。
東の空はだいぶ明るくなってきてる。どこまで来たんだろうと運転席の人を見る。まさか、変なとこに連れてかれてないよね、とか。
でもオレの心配は杞憂に終わり、車はちゃんと隣市の駅前で停められた。
眠ってる赤ちんをそっと抱き下ろそうかと思ったけど、あいにく赤ちんはすぐに起きてしまい、自力で降りてしまった。
別れ際、二人に手を振られて遠慮がちに振り返す赤ちんを横目で見ていたら、赤ちんはあの二人について少しだけ教えてくれた。
「優秀な科学者だ。ボク一人を逃がしたからと言って処分されるようなことはない」
「それも、視えてたの?」
「…ああ、そうだ。二人の顔を見る度にね」
「そう。じゃあさ」
そこでオレは赤ちんの右手を握る。赤ちんがオレを見上げる。
「いま、赤ちんの眼にオレの未来は視えてんの?」

ぱちりと、睫毛がふるえた。
とじて、開いて。リセット掛かったふたつの宝玉はオレの顔を反映する。
「知りたいか?」
「…なんとなく分かるから言いたくないならべつにいーけど」
「実は、最初に敦がボクを連れだしたときから先の未来は視えていない。視ようとしても黒く塗りつぶされていて不安だった。もしかしたら、ボクの能力は衰えてきているのかもしれない。だが、ボクには分かる。10秒後に敦が取る行動がどんなものなのか」
「へぇ、凄いね。でもなんか赤ちんの手の上で踊らされてる感じで嫌だそれ。オレ、何すんの?」
「7秒後に分かるよ。…敦」
そして赤ちんはオレの手を握り返して瞬きをする。
5秒以内に赤ちんはオレの行動を決定付ける発言をする。
「透視も想像も不可能なお前の感情を明瞭に示してくれないか?」


助けて欲しいなら名前を呼んで。
分からないことがあるなら迷わず聞いて。
他人の気持ちが見えないのは当然だ。見なくていい。何でもかんでも筒抜けになったらオレがあげられるものはなくなっちゃうから。

赤ちんの思うツボになったオレは小さな身体を抱き締める。
くっついてみたら意外と速い鼓動を知って、ドキドキして、うれしくて。
「視えた?」
「見えた。…やはり、ここは安堵する。抜け出せなくなりそうだ」
「そう。だったら」

いくらでも提供する。欲しいだけ持ってって。
代わりにオレも、奪うから。
キレイな瞳も鼻も耳も。首も手も足も指も心も声も温度も感情も心臓も血液も骨も肉も細胞も。
過去も未来も現在も。全部この身に吸収する。

ガス交換をするみたく。
奪ったくちびるの奥から伝わる戸惑いを感じ取れば、赤ちんに視える未来なんてタカが知れてる。
たすけてあげる。守ってあげる。視えないものを、見せてあげる。

狭いところで作られたしがらみも、鎖も縄もこの手ですべて引き千切り。
昇り始めた朝陽が照らすその眼窩を覗けば、何よりもうつくしく澄みきった宝石があった。










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