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▼ 6




屋敷から連れだしたときみたいに赤ちんの身体を抱き上げ、ひとまずオレは駅を目指して歩き出す。
赤ちんに何が視えていたのか分からない。だけどこの村にいたらきっと悪い展開が待ってる。そんな予感がして、一刻も早くここから脱出したくて進む。

血の気を失って青白い顔になった赤ちんは、やっぱり人形みたいに見えた。
それでもちゃんと息をしてるし、心臓は動いている。大丈夫だと自分自身に言い聞かせ、漸く大通りに差し掛かったところ。

「そこまでだ、紫原」
「…ッ!」
名前を呼ばれて足を止める。咄嗟に身を翻そうとしたのだけど、オレの体は動きを止めてしまう。
そこに立ち塞がっていたのが、知ってる顔だったせいだ。
「…峰ちん」
「…ったく、何も知らねぇとは言え、やってくれたな。…それは持ち出し厳禁だ。すぐにこっちに引き渡せ」
「……」
一瞬オレは安堵してしまいそうになった。だけどそれは間違いだ。いくら幼馴染とは言え、こいつもやはり村の人間なんだった。
「紫原」
「…嫌だ。渡せない」
「…わがまま言ってんじゃねーよ。お前、そいつが何者なのか分かってんのか?」
「赤ちんはただの人だよ」
ぎゅっと赤ちんを抱き締めて、対峙する相手の顔を強く睨む。
簡単に差し出すわけにはいかない。約束したんだ。オレはこの人を。
「…ただの人間、か。…どこがだよ?見たら分かんだろ。ただの人間がそんな気味ワリィ眼の色してるわけがねーだろ」
「…峰ちんってさ、本当にモノの価値が分かってないね」
「あぁ?」
「こんなキレイなもの、この世に二つとないよ。だから誰にも渡さない。オレはこの人に選ばれたんだ。全部くれるって、約束して貰ったんだから」

この村のモノじゃない。
村人のモノでも、科学者のモノでもない。
この人は、オレのものだってこの人自身が決めたんだ。
だから、二度と。

手放したくはなかったのに。




気が付いたらオレの腕の中に赤ちんはいなくて、オレは診療所のベッドに寝かされていた。
ひどく強引な手口だった。峰ちんがオレの発言に顔を顰めた後、後ろに停めてあったパトカーに目配らせをした。そして拳銃を構えた警官が二人、オレの前に立ち塞がった。
今度こそ身を翻して駆け出そうとした。すると背後には峰ちんの同僚だと言っていたあのチャラい役人がちょっとビックリした顔で立っていて。
(スイマセンっス、紫原っち。こっちも仕事なもんで)
そう言って、オレの脇腹に固いモノを押し付けてきて、そっから意識を失った。

「目が醒めたか、紫原」
「…ミドチン?…あー、ここ、ミドチンの家?」
「ああ。…安心しろ、お前の行いはお前の親族や村人に口外されることはない。役所と警察で秘密裏に処理されることになっている」
「…犯罪者みたいだね」
「犯罪だ。…村の所有物を勝手に持ちだそうとしたのだからな」

何もなくなった手を掲げ、ぼんやりと眺めてみる。
たしかにこの手はあの人を捕まえた。会話をした。ぬくもりを知った。約束した。もう少しで逃げ出せるところまできた。それなのに。
「…ミドチンは、あの人のこと、知ってたの?」
「…何度か父親が往診に行っていたからな。自ずと耳に入るようにはなっていた」
「でも、屋敷には誰もいないって言ってたよね」
「お前は外部の人間だ。知らなくていいと判断したからだ。それに」
「ミドチン、あの人と会話したことある?あの眼で見詰められたことある?抱き締めたこと、ある?あの人、めちゃくちゃ細いんだ。オレの腕にすっぽりハマっちゃって、丁度いいの。それに冷たいなって思ったら急に熱くなっちゃうし。…ねえ、ミドチン。…返してよ」
掲げた手のひらで顔を覆う。じわりと目尻が熱を持つ。
「あの人、返してよ。オレのなんだよ。全部くれるって、言ってくれたんだよ…」


こんなに欲しいと思ったモノは、他にない。
手に入るモノだけで充分だと思っていた。無理して取りに行くほど価値のあるモノなんて、この世には存在しない。背伸びなんてしなくても届く範囲のモノだけ得られれば充分だった。そしてオレは手が長いから、大抵のモノはこの手に納められてきた。
なのに、一番欲しいモノには手が届かないなんて。認めたくない。それならばこんな両腕なくてもいい。
触りたい、掴みたい、抱き締めたい、守りたい。
封印された記憶を解き放たれて、あの体に触れてしまったオレはこんなにも欲深くなってしまった。

「…お前がどれほど望んでも、あの男を村から持ちだすことは不可能なのだよ」
「…なんでだよ。本人がそうしたいって言ってんのに」
「もう手遅れだ。あの男の身体は、この村以外では正常に動くこともままならない状態にされている」
「え…?」
「…諦めろ。あの男のことは忘れて、さっさと村を出て行くのがお前にとって正しい道だ。あれはもはや人間とは呼べない。以前はそうだったかもしれないが、いまの赤司は…長期に渡る薬物投与により、人間としての自由を失ったも同然なのだよ」
「……」

屋敷の管理人だと言うカマっぽい人は言っていた。
地下に軟禁された赤ちんはほとんど眠りっぱなしで、自力で食事することもままならず。栄養補給は点滴に頼っていたと。
そこで体内に注入されていたのが養分だけでなく、依存性の強い麻薬が混在していたならば。屋敷を出て、薬物の供給を絶たれた赤ちんの体調が急激におかしくなったのは、それが原因だったのかもしれない。

「…狂ってるよ。あんな、小さい人に。バカじゃねーの?アンタら」
「…お前には分からんかもしれないが、…古い風習が根強く残るこの地では、文化も信仰も都会のものとは異なるのだよ」

古くからの因習。異形の者への恐れ。人柱による霊的な加護。
そんなもののために赤ちんは犠牲となり、そして科学的な介入を受けて自由を奪われた。
信じられないことだ。それでもミドチンは受け入れろと言う。
同じ日本とは言え、地域によって文化は異なる。この村ではこの村のしきたりが全てであり、外部の人間がとやかく言うことは出来ない。それが受け入れられないのならばこの村から出て行けと。
それでも、オレは。

「…諦められるわけ、ねーじゃん」
「…分からんな。お前がそこまで赤司に執着する理由が。お前は」
「初恋、だし」
「…何?」
「…ずっと忘れてたけど思いだしたんだよ。オレ、赤ちんが好きなの。一目惚れしてんの。…この村の人たちが赤ちんを縛りつけるよりも先にオレは赤ちんに縛られてたんだよ。知らないうちに」
「……」
「…フラれたなら、諦めもつくよ。でも赤ちんはオレに手を伸ばした。全部くれるから助けろって命令してきた。そこまでされたら、オレだって」

眼がキレイなのが気に入った。
オレを頼ってくれたのが嬉しかった。
好意を伝えればそれが理解出来なくて不安だと言って震えるのが可愛いと思った。
分からせてあげたくなった。多くのものを背負っていながら心は隙間だらけの軽い体に。
オレの本気を全て注いであげたくなった。

「ここまで人を好きになることは絶対ないし」
「…好き、だと?あの男の正体を知っても、尚そんな世迷いごとを…」
「ミドチンには分かんないよ。きっと一生、オレみたいな気持ちになれない」
ミドチンだけじゃない。誰にもこの感情は理解出来ないと思う。
こんな、世界一破滅的な恋愛感情。誰もが触れられるものじゃない。
「…ああ、分からんな。分からなくて構わない。だが、昔馴染みのよしみとしてお前に言っておく。すぐに村を出て行け。さもないと、この村はお前の身に何をするか分かったものじゃない」
「どーなってもいーよ。だから、逃げない」
「……」
「オレがこの村を出る時は赤ちんも一緒だって、決めたんだ。そういう運命なんだ、オレたちは」

全部持ってく。約束した。
決して違えることはない。
なぜなら赤ちんの命令は絶対だからだ。

「…薬を抜くことは容易じゃない。常人ならば、完全に抜け切れるまでに発狂して死に至るほどに強力な薬物を投与していると聞いたことがある」
「え…?」
「どんな成分の薬物を使用されているのか詳細は知らんが、お前が強引にあいつを連れだしたとしても長くはもたないだろう。それでも、諦めないと言うのなら」
深くため息をつきながら、呆れたようにミドチンは言う。
「オレの大学の薬学部に詳しい人間がいる。あいつなら薬抜きの方法も知っているはずだ」
「…ミドチン?それって」
「お前の言う通り、オレは赤司という男と直接の面識を持った事はない。だが、お前があれをただの人間だと言うのなら、可能な限り協力してやる。…強奪に力を貸す気はないがな」
「ミド…」
「だからその呼び方をやめろ。昔から思っていたのだが、非常に不愉快だ」

初耳の訴えを聞きつつも、すぐに忘れるくらいの衝撃を食らってたオレは呆然とミドチンの顔を眺めて。
そんなオレに、ミドチンは少しだけ笑って言う。
「運命という言葉は嫌いではない。自らの手で切り開くつもりなら、なおさらだ」
意外とロマンチストな発言に、ますますオレは困惑した。


そしてオレはミドチンの、村で育った子供視点の赤ちんについての話を聞く。
ミドチンが赤ちんの存在を知ったのはオレが引っ越してからのことらしい。
ミドチンの家は村で唯一の診療所だから、ある日を境に急に父親の元を訪れる人間が増えたことに疑問を持って大人たちの会話を盗み聞きしたそうだ。ミドチンの父親の元を訪れたのは、当時の役場の偉い人から村では生き字引と名高い老人たち。オレの祖父も、その一人だったらしい。

奴らは本気で赤ちんのことを村の守り神みたいに考えていて、自分たちと同じ人間だとは思っていないと聞かされた。

「…科学者という輩も同じだ。推測だが、あいつらは政府の指示で動いている」
「え?それって…」
「隣村に設立した保養施設。あそこは政府管轄の施設だ。度々赤司はあそこに連れて行かれていた。…一度だけ、騒ぎになったことがあったな。赤司の身が施設に移送されたきり施設の門が閉ざされたと」
「…何かさあ、ひょっとしてオレが思ってるよりも、状況悪くない?」
「ああ。お前がしようとしていることは村どころか国を敵に回ることにも成り得る。それでも行動するのだろう?」
「するけど。だってあの人は村のモノでも国のモノでもない。オレはこの国脱出して赤ちんと駈け落ちしたっていいと思ってるよ」
「…簡単に言うな。お前の無鉄砲さは青峰と互角か、それ以上だ」
「…峰ちん、か」
名前を出されたことで思い出す。オレたちの前に立ち塞がった幼馴染の一人のこと。
「…赤ちん、あの屋敷に戻されたと思う?」
「どうだろうな。お前を連れて来たのは黄瀬だったが、青峰の姿はなかった。一度別の場所に移送されている可能性もある」
「わかった、じゃあ、峰ちんに聞きに行く」
「…正面から行くのか?」
「早く取り返したいの。たぶん赤ちんもオレのこと待ってるし。捕まえたらそのまま逃げるから。今度は赤ちんが嫌がっても負ぶって走るし、絶対に逃げ延びてみせる。そしたらミドチンに連絡入れるからさ、薬剤師の人の居場所教えて」
「…ああ、分かった。…健闘を祈る」

ベッドから身を起こして首を回す。
きっともうここには戻らないことを予感しながら。

「ねーミドチン」
「なんだ」
「ありがとね」
言い残しがないように、謝辞を残してオレは診療所を後にした。










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