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▼ 4





人ひとり、それもおそらくは成人した男、さらに言えば意識を失っている人の身体をかかえて歩いているってのに、そうは思えないほどこの人は軽い。
降ってきた階段を昇っていく。地上は相変わらず暗くて、両手が塞がっている今はかなり心許ない。
そう思っていたら、後ろからライトを照らしてくれる人がいて、そんな人はひとりしかいなかった。
「…協力してくれてんの?」
「何を言っても聞いて貰えそうにないから。だったらせめて、征ちゃんを巻き込んで転倒でもされないように明かりくらい貸すわよ」
「ふぅん、ありがと。でも、この人もう返さないから」
「…無駄だと思うけど。まあ、その目で確かめてみたらいいわ。…アナタは征ちゃんを殺したいわけでもなさそうだしね」
「当たり前じゃん。助けに来たんだよ、オレは」
「だったらお願い。この村から連れ出すつもりならば、征ちゃんが目覚めてからにして」
「…どういう意味?」
「手遅れにならないように。…じきに目覚めるとは思うけれど、その時はちゃんと征ちゃんの話を聞いてあげてね」

ギシギシと軋む床を歩きながら、漸くオレは外の空気と再会を果たす。
目の前の林は陽射しを遮っているけれど、わずかに差し込む光が照らした腕の中の人の顔は死者のように白い。それでも、くっついているから分かる。定期的に伝わる鼓動の動き。

「…ねえ、赤ちん」
眠り続ける人へそっと呼び掛け、決意を伝える。
「待たせてごめんね。約束はちゃんと果たすから」
オレにはそれが出来ると確信していた。



雑木林の半ばまで足を進めたところで、オレは赤ちんの身体を地面に下ろして今後について考えた。
探していた人を見つけた衝動でここまで連れ出してしまったけど、さて、これからどうしよう。
実渕さんの話によれば、この人を屋敷に閉じ込めていたのは村の人たちであり、今オレが世話になっている家の人もおそらくはこの人を連れ出すことを許しはしない。
屋敷には人がいないと言い切った叔母さんの態度を思えば、祖父の家へ連れ帰るのは危険だと思う。
かといって他にこの人を匿えそうな場所ってどこだろう。
幼馴染の家はって思ったけれど、とりあえずミドチンのところはダメだ。ミドチンは叔母さんと同じように屋敷の住人の存在を否定した。
あと頼れるのは。峰ちんのとこ?ダメだ、役場なんて村の中心そのものだし、役人である峰ちんも村人である限りは信用できない。
峰ちんを迎えに来たあのチャラい男はどうだろう。高校生になってから転校してきたって言ってた。この村の人にしてはかなり浮いた感じだったし、もしかしたら。と、考えて首を振る。ダメだ、あいつだって役人なんだ。人間的にも信用に値しない。

このままどこにも寄らず、駅まで逃げるのも手だと思った。
車で30分かかるとは言っても、歩いて行けない距離じゃない。今から行けば日没までには駅に到着出来るはず。ただし、意識のないこの人を抱きかかえて、ってのは難しい。田舎とは言え、人の目ってのはどこにあるか分からない。
せめてこの人が目を醒ましてくれたら、と思いながら仰向けに横たわる赤ちんの顔を眺め見た。

「…キレーな顔」
地下で見た時は、記憶と照合するのに必死でそういう感想には至らなかったけど、こうしてまじまじと見るとこの人の顔はかなり整っていると思った。
元モデルの役人みたいな派手な感じじゃない。この人の場合はもっと落ち着いた感じで。絵画や人形を見て美しいと思うような、そんな感覚に似ていた。
それは生気が抜けた今だから持てる意識なのだろうか。この人が目を開いてくちびるを動かし、人の動きを再現したなら。オレはまた違った印象をこの人に持つことになるのだろうか。

風と緑が織り成す静謐な音と、土や草の匂いの中。
芸術品を鑑賞してる気分でオレは持ちだした人の顔をじっと見ていた。
隠された目蓋の中には、もっとキレイなものがあるってオレは知ってる。
浮世離れしたふたつの瞳を。記憶の中の最後の照合となるその色を。はやく、見たくて。
「…起きてよ、赤ちん。オレはアンタとの約束を叶えに来てあげたんだから。…アンタも、約束、果たしてよ」
目を開けて。
くちびるをうごかして。
発声は、三回でいい。
珍しい方のは忘れててもべつにいいから。

それを聞かないとオレはアンタの願いを叶えられない。



「…あつし」


静かな空間に、静かな声が静かに響いた。
はっとして目線を変える。今の音は、どこから聞こえた?
右を見る。左を見る。上空を見上げる。そして最後に。
「…何をしてるんだ、敦」
「…おはよ、赤ちん。目覚めはいかが?」
記憶の中の色と色が、目の前のそれを一致する。
これですべてのパーツは繋がった。
色も形も声も匂いも。

目の前のユーレイは、生身の人間としてオレの前に再び姿を現した。



肘を使って上体を起こす赤ちんのことをちょっとだけ手伝って、すぐに手を離して向かいに座る。
「オレのこと、ちゃんと覚えてたね」
「…ボクが忘れることはありえない。お前を選んだのはボク自身なのだから」
「よく覚えてんじゃん。もっと寝惚けてるかと思った」
「見縊らないで欲しい。ボクは何年もこの状況を夢見てきたんだ」
「夢に?」
「ああ。あの日のこと。それから、顔のない今のお前に腕を引かれる夢だ」
「ふぅん。それじゃ、これからはちゃんとオレの顔は夢に出てくるね」
「それはもうないよ。ボクの望みは叶うのだから」
口端を上げた赤ちんは、一度瞬きをしてから真っ直ぐにオレの目を見据えてくる。
「そうだろう?」
「そうだよ。オレは赤ちんを助けに来た。もうアンタは暗い地下室で眠り続ける必要もない。晴れて自由の身だ」
「…ああ」
目を細め、眦を下げた赤ちんが笑っていることに気がついて、今のそれはただの芸術品とは思えない。
呼吸をして言葉を発する。温度を保って手足を動かす。オレとおなじ、命ある存在だ。
ちょっと照れた気分になって赤ちんから目線を逸らした。
「ねぇ、赤ちん。これからオレ、どーしたらいいの」
「…ここは屋敷の前の林か?だとしたら、もっと遠くへ連れて行ってくれ」
「遠くって、どこまで?」
「どこでもいい。この村を出て、誰の干渉も受けないところへ」
「分かった、連れてってあげる」
「ありがとう。…敦で、良かった」

そう呟いた直後、赤ちんは嫌な感じの咳を何度かした。
咄嗟に赤ちんの背中をさすって大丈夫?って聞いたら大丈夫だと言われたので、手を貸して立ち上がる。
「歩くの平気?」
「…久しぶりだから心許ないけれど、たぶん」
「疲れたら言って。負ぶってあげるし」
「…いや、その必要は」
「遠慮すんなよ、ここまで来たんだ。赤ちん超軽いから背中に乗ってても違和感ねーし。絶対にここから逃げたいなら、我慢しないでよ」
「…分かった、この足が使えなくなった時は、お願いするよ」
赤ちんの手を取り、草や枝を踏みつけながら林の中を進んで行く。繋いだ手はオレよりも冷たくて、だけどなんだか安心した。


駅までの道のりはうろ覚えだったけれど、別れ道に遭遇するたびに赤ちんが進む方を示唆してくれた。
「赤ちん、この村の道とかわかんの?」
「いや。ボクは生まれてこの方、意識がある状態であの雑木林の外に出たことはない」
「…それって、眠ってる間に運ばれたことはあるってこと?」
「ああ。気がついたら研究所のベッドに寝かされていることは間々あった」
「研究所って…」
「…ボクの眼と能力は特異なものだからね。調査の余地はあったのだろう。完全に身を移送するのは、この村の住人が許さなかったようだけど」
「…ねえ、聞いてもいい?赤ちんってさ、何者?」
歩くペースはさほど速くない。だけど誰かが追いかけて来る気配はないから、オレの胸には少しだけ余裕が出てきてそうすると赤ちんという得体の知れない存在の置かれている立場なんかが気になってきた。
「敦は、どこまで知っているんだ?」
「なんにも。屋敷の人に、赤ちんは村人に軟禁されてるって聞いただけ」
「眼のことは?」
「変わってんのは見れば分かるけど、他にもなんかあんだろ?」
「…ああ、あるよ」
「教えてくれる?」
「敦が聞きたいと言うのなら」
歩きながら、オレは赤ちんのことを少しずつ知っていく。
昨日まで、名前も忘れていたこの人のことを。深く知りたくて、耳を澄ませた。


生まれつき左右で異なる眼の色を持っていた赤ちんは、物心着いた頃にはあの屋敷にいたらしい。
当時はあんな地下ではなく、地上に宛がわれた部屋で知らない女の人と二人で暮らしていたと言う。
「それってお母さんじゃないの?」
「いや、違ったと思う。幼心に、彼女の言葉遣いは他人行儀で、ボクに恐怖心を持っていると分かったよ」
「ふぅん。その人は今は?」
「ボクが言葉を覚え始めた頃にいなくなった。代わりに村の人間が入れ替わり立ち替わり屋敷に来ては、食料を置いて行ったり身の周りの世話をして行ったよ」
「その頃は、赤ちんまだ自由だったの?」
「…完全にとは言えないけれど、屋敷の中や前の林までは外出を許されていた」
「そっか。…でも、オレ引っ越す前にも何度か林の中に隠れたりしてたよ。赤ちんのことなんて一回も見なかったんだけど」
「意図的に村人に姿を見せることを控えてたんだ。特に子供たちはボクの存在など知らなくていいと思ったから」
「大人たちは、みんな知ってんの?」
「…みんなじゃない。年長者や、権力者だけだったと思う。彼らもボクの存在を隠したがっていた。ボクをあの屋敷に縛りつけることが、彼らの目的だったから」
「目的…」
「…あの屋敷は、村の鬼門に位置するんだ。異形の存在とされたボクは、鬼の侵入を防ぐためにあの屋敷に置かれていた」
「それって…、守り神みたいな扱いだったんじゃないの?」
「最初のうちはね。持て囃されたものだよ。ボクの眼に霊的な加護があると信じられていた」
「あー、ありそう。…でも、本当はそんなのないんでしょ?」
「…あぁ、すぐに彼らも気付いたよ。ボクの眼が村を守るためのモノじゃなくて、…災いを招くモノだと言うことに」

それまでは晴れていた空が、にわかに灰色の雲に覆われて地上が陰った。
まるで赤ちんの心境を表しているみたいだと思いながら、オレたちは寂れたあぜ道を並んで歩く。

「常人には見えるはずのないものが見えたんだ」
「…ユーレイ?」
「いや。未来だ」
「…未来」
「…それを身近な人間に伝えた途端、ボクを取り巻く状況は一変した。ただの赤ん坊に予言能力なんてものは備わっていない。それを得ていたボクは、災禍の子だと判断された」


淡々として語られていく赤ちんの運命は、本来オレなどが関われるほど軽いものじゃなかった。
だけどその運命の中心に立つ赤ちんは、他でもないオレを救出者に選んだのだから。
とっくにオレは赤ちんの運命に巻き込まれていて。もう引き返す手段はないのだと、見通しのいい道の先を眺めながらオレは感じた。










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