krk-text | ナノ


▼ 3





(助けるのはいいよ。でも、お前って呼ばれるのは嫌だ)
(だけど、ボクは君の名前を知らない)
(教えるよ。オレの名前は紫原敦)
(紫原?変わった名前だ)
(覚え易いでしょ)
(ああ、とても)
(じゃあ呼んで。助けて欲しいなら、オレのこと)


鬱蒼とした林の中を歩き進める。
小さい頃は森のように広いと思っていたものだけど、今ならばものの数分で果てにまで辿りつけた。
目の前に現れたユーレイ屋敷も、子供の頃の記憶とは大きく違う。目線の位置が高くなったからかもしれない。それに年月の経過が木製の外観を記憶のものよりも劣化させていた。

手入れの行き届いていない印象は、屋敷の前に群生している緑たちのせいでいっそう強まる。
まるで屋敷への侵入をこばむように生え揃った草たちは、ある意味では門のような役割も務めているのかもしれない。証拠にオレはこの先へと足を進めるのを躊躇った。

それでも行かなきゃ。
ミドチンや叔母さんがオレを耄碌人物扱いするならば、この目で真実を確認しなければいけないと思う。
オレの記憶がたしかなら、この屋敷の中にはオレを待ち続けてる人がいる。
オレに助けを求めた人がいる。それを知っているのも、オレだけだから。確かめられるのは、オレしかいない。
草むらに分け入り、足場の悪さに顔をしかめながらも突き進む。そこらじゅうでコロコロと虫の声が聞こえるし、たまに靴底にいやな感触を覚える。なにもなかったことにして、次の一歩を踏み出した。


屋敷の玄関は立て付けの悪い引き戸になっていた。施錠の可能性を抱きつつ手を掛けてみたけれど、ちょっと嫌な音を立てつつもドアは開く。
屋敷の中は外よりも暗くて、足元を照らすライトが必要だと思い、オレはポケットから携帯を取り出す。エコ設定をオフにして、液晶バックライトの点灯時間をマックスに。それを懐中電灯代わりにして、土間へと足を踏み入れた。
構造は祖父の家とさほど変わりない。だけど広さは倍くらいありそうだ。この屋敷のどこにあの子がいるのだろう。祖父の家でも軽く迷ってたオレが、無事にあの子のいる部屋へ到着出来るのか不安ではあったけれど、ここで諦めるわけにもいかない。闇雲に廊下を進む。すると。

「ねぇ、あなた」
「ッ!」
突如背後から聞こえた声に驚いて、肩を跳ねさせながら足を止める。
「不法侵入?いい度胸してるじゃない。こっち向きなさいよ」
「……」
まさか、人がいるなんて思わなかった。こんな真っ暗な屋敷の中に、住んでる人がいるなんて。
この時点で叔母の発言はウソだったことが判明する。ならば、いま振り向いた先に立っている人は。
まさか。そう思いながらゆっくりと背後を振り向き。
「…あれ?」
「あら、随分若い子ね。あなた、この村の人間じゃないの?」
「…」
「話、通じてる?日本語分かる?」
認識した人の顔や立ち姿は、記憶の中のあの子とはまったく一致しない。背がそこそこに高くて、体格もいい。こんな暗いところだからはっきりとは分からないけれど、髪の色も。あの子のはキレイな赤銅色だったけれど、この人は真っ黒っぽい。それから目の色が。
「ねえ、聞こえてる?何か反応しなさいよ」
「…赤司、征十郎…?」
「え?」
ぽつりと口から出てきたのは、記憶に残っている唯一の手がかり。本人から聞いた名前だ。あの子のもので間違いはないはず。
相手の反応を伺う。少し驚いたようだけど、すぐに落ち着いた表情を見せてため息をついた。
「あなた、征ちゃんのことを知っているの。それでいてよくここに来れたものね」
「…知ってる、って言うか、会った事があるってだけだけど。…ねぇ、アンタこそ誰?…あの子のこと、知ってんの?あの子、本当にここにいんの?オレ、頼まれたんだけど」
「…頼まれたって…、何を?」
「たすけて、って」
繰り返し頭の中に響いていたあの声を。あの子の予言通り、反芻された単語を口にすれば、相手は目に見えて表情を変えた。
「たすけてって…、征ちゃんが言ったの?アンタに?」
「そうだよ。ここで待ってるから救いに来いって。もう10年近く昔の話だけど」
「…10年…。そう、アナタ、征ちゃんに会っているの。あの子に、…そう言われたの」
「そうだって言ってんじゃん。いるなら連れてってよ」
「…アナタ、名前は?」

その質問に対し、オレは正解を言い当てる。
オレが、あの子に言ったんだ。
助けて欲しいのなら、オレの名前を呼べばいいと。

「紫原敦。聞いたことあるっしょ?」
「…本当に征ちゃんの言うことはよく当たるのね」

くすくす笑いながら、そう呟く相手を軽く睨む。
「で、アンタは?」
「…実渕玲央。この屋敷の管理を任されているの。…村の人間を征ちゃんから隔離するのがメインの仕事」
「じゃあ、アンタはあの子の敵だね」
「…どうかしらね。ついてきて」
鼻につく喋り方に苛立ちながらも、オレはこの怪しい人を信用した。
暗い廊下を奥へ奥へと案内される。その途中、オレは疑問をぶつけてみた。
「ねえ、あの子は本当にずっとこんなとこにいたの?」
「えぇ、この先に。もう何年も、軟禁されているの」
「軟禁って…穏やかじゃないね。…この村の人が、屋敷には誰も住んでないって言うのはなんで?みんな知ってんだろ?」
「知る人ぞ知る、ってところかしら。若い子は知らない方が多いと思う。何せ、征ちゃんが閉じ込められてる理由が理由だからね。アナタたちだって、きっと信じられないと思うわ」
「何それ?どういう理由?」
「…災禍の子だから」
廊下の突き当たりで、やっぱり立て付けの悪いドアをギィと開いた実渕サンは、そこで言葉を控えた。
いちばん気になるとこで説明を省かれて、気持ち悪いと思いながらも無言で後に続く。

開いたドアの先には、祖父の家にはない階段が続いていた。
階下は真っ暗で、井戸の底みたいに思えた。
こんなところに、人がいるなんて。もし閉じ込められたのが自分だったらって思うと背筋がぞっとする。

一歩ずつ滑らない様に注意して階段を下っていく。
最下まで到達したところで実渕サンは南京錠の鍵を開錠した。
厳重な施錠だ。軟禁されているっていう言葉が一気に現実味を帯びてくる。
「ねえ、紫原くん。一つだけ警告しておくわね」
「え?」
「アナタはたしかに、過去に征ちゃんから助けを求められたかもしれない。だけど、…征ちゃんをここから助け出すのは、不可能に近いわ」
「…なんで?アンタ鍵持ってるじゃん。この向こうにあの子がいるなら、そのまま運び出せばいいだけの話っしょ?」
「それだけの拘束ならば、いつでも出来たのだけど」
「え?」
「…さぁ、どうぞ。この先に眠るのが、村の禁忌。災禍の子よ」
芝居がかった言い方で誘導され、なんとなく嫌な気分になりつつもオレはその部屋へ足を踏み入れる。

そうしてオレは、自分の記憶が本物だったことを認識した。



部屋の真ん中には裸電球がぶら下がっていて、真っ暗な地上よりもずっと明るい室内は、一面を畳で敷き詰められている。
その中心、電球の真下に、白い浴衣をまとったひとりの男が倒れていた。
四肢を胴体に寄せてコンパクトな体勢で寝転がったその人の顔は、こちらに背を向けていて分からない。
それでもオレは確信する。ああ、この子だと。

痩せた背中も、赤銅色の髪も、ユーレイみたいな印象も。
ユーレイじゃないって言うのは、足を見れば分かった。呼吸をして立ち歩く、普通の人間とおんなじの。

だけど、この子は。

「…生きてる、の?」
絞り出したオレの声は、緊張のあまり掠れていた。
最悪の予感が胸中を占める。それほどに、オレの目の前で倒れている人はイキモノとして不自然な容態を見せていた。
「眠っているだけよ。ちゃんと呼吸もしているわ」
「…さわっても、いいの?」
「…どうぞ」
震える足を無理やり動かして、滲み寄るようにその人へ近付く。呼吸しているなんて、ウソみたいだ。身体のどこも微動だにしていない。顔を見て、マネキンか何かだったらオレは腰を抜かしてしまうかも知れない。そんなおそれを持ちつつ、手を伸ばす。
身体の横に膝をつき、肩を持ちながらその身を起こして顔を確認する。
両目蓋は閉じられていて、特徴的な目の色は分からない。だけど、白い頬や小さい口の形を見ればおぼろげだったオレの記憶は鮮やかに色付いていって。加速的に、この人の幼かった頃の姿がオレの脳内で形を結んだ。

このひとだ。間違いない。
サイズも顔の造形も、ちゃんと時間は流れているけれど、顔を見てはっきりと認識した。
片手だけで支えられる身体を抱き起こして、結ばれたくちびるの前へ手を翳す。僅かながら息を吐いているのを感じてほっとした。

「…この人、ずっとこうしてるの?」
「目を醒ますこともあるけれど、ここ数年はほとんど眠っている事の方が多いわ」
「なんで?…なにか、病気なの?」
「いえ、身体状態は良好よ。栄養補給は点滴に頼っているけれど、呼吸も脈拍も常に正常。…普通の人間と、なんら変わりないわ」
「だったらどうして」
その問いに返事はない。急かす為に睨もうとしたけれど、目線を外すことが出来なかった。
少し目を離したその隙に、オレの腕の中で溶けて消えてしまいそうな。そんな儚く恐ろしい印象を、物言わぬこの人はオレに与える。
「実渕さん」
答えないなら別の質問を。そう考えたオレは、核心をつくようなことを口にした。
「この人を閉じ込めているのって、誰なの」
「…一人の意思じゃないことは確かよ」
「え?」
「言うならば、この村全体の意思ってところかしら」
「……」
「古くからの因習。異形の者への恐れ。人柱による霊的な加護。それらが重なって、征ちゃんは」
「この人は、この村から出ることを望んでオレに助けを要請したの?」
「それは…」
「だったら、…そうしなきゃ」

片腕を膝の下に入れて、反対の腕で背中を支え、重心を自分に寄せてから細い身体を抱き上げる。想像以上に軽々とした身体に、胸が詰まった。

「不可能よ」
立ち上がって足の向きをドアへ向けて反転した時、そこに立っていた実渕さんが断言する。
「ここからその子を連れだしても、その子は生きて行くことすらままならない」
「んなわけねぇし。こんなとこに閉じ込められてた方がヤバいっしょ」
「…すぐに分かるわ。紫原くん。その子の身体は、もう」
「たすけてって、言ったんだ。助けるって、約束した。だから、そこ退けよ」
「…」
何を言われても、誰に止められても。オレはこの人をここに置いて行くわけにはいかない。
赤の他人だ。そんなものの命がどうなろうと、本来オレには関係ない。だけど、オレは行動する。

ここからこの人を連れだせるのは、世界でオレしかいないってオレは知っている。

どうして?自問の答えは、オレに乗り移ったこの人が持っている。
もう、記憶の霞はすっきり晴れた。

雑木林を抜けた先で、ユーレイみたいな少年にオレは自分の名前を教えた。
その名を確認するみたいに呟いた赤ちんは、オレに命令した。

(どんな天変地異を引き起こすことになろうとも、敦はボクの手を取り、走れ)











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