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黒子っちのいなくなった青峰家は、しばらくの間お通夜モードが漂っていた。

「おはよ、赤司っち……。青峰っち、どうっスか?」
「相変わらずだな。することはするが、どこか心あらずといったところだ。時間も回数も、以前に比べると淡白なものだよ」
「そ、そうっスか……。やっぱ、青峰っちの実力はあんなもんじゃないっスよね?オレの誕生日に特別張り切ってくれてたわけじゃなくて、」
「あの夜に大輝がどれほど情熱的に涼太を求めたかは測り知れないけれど、現在の大輝を本来の彼と思わない方が良い」
「やっぱ、そうっスよね……」

黒子っちがいなくなってしまったことでオレも責任感ってやつを充分に感じてて、夜の生活にもちゃんと応じるようにはなった。だけど、やる気になったオレに反して青峰はいつも浮かない表情でおざなりに乗っかってきて、ろくに言葉も交わさずにエッチして、出すもの出して、そのまま寝てる。
最初はこれも仕方がないことなのかなって思ってオレも何も言わずに青峰のすることを受け入れてやった。マジメにエッチするだけでもマシなのかなって思ってた。……マジメにエッチってなんだ?って思うことはしばしばあったけど、夫婦の関係を保つには正しい状態ではある、ことにしてる。
これで結婚してなかったら、やる気がねーならやんなくてもいいって突き離すこともできたけど、今のオレにそうすることは出来ない。それに、青峰には一刻も早く黒子っちロスから立ち直って貰って、黒子っちの夢を叶えて貰いたいっていうのは本心だ。

「赤司っち、オレ、どーしたらいいんスかね……。自分から積極的にいちゃいちゃしに行った方が、あいつ元気になるんスかね?」
「それはまだ試していなかったのか?」
「う……。だ、だって、オレだけ乗り気になったって、青峰っちがやる気見せなかったらなんか空振りみたいで恥ずかしいじゃないっスか……」

試そうと思ったことは、なくはない。
だけどオレは失敗を恐れてしまっている。だってオレ、べつにそんなテクニシャンってわけでもないし。このゴツイ身体で青峰を誘惑出来るなんて思ったこともないし、ぶっちゃけフェラとか騎乗位とかってあんま経験ないし。対する青峰は床上手な嫁さんのエッチに馴れ親しんでるわけだし、無謀に挑んでヘタクソって言われたらオレも傷付く。
そんなオレのへたれた考えを、赤司は一瞬で読み取ったらしい。「そうか」と納得したように呟く赤司は、すぐさま「涼太は無理をしなくていい」と励ましてくれた。

「趣向を変えることで気分が高まることはあるかもしれないが、心理的に不安定な状態で臨むのはあまり良くない。大輝は思ったことを包み隠さず打ち明ける男だから、何気ない発言が涼太の自尊心を傷つけることもあるだろう。それが原因でまたセックスを恐れるようになってしまっては、元も子もない」
「うう……、ビビってたのはホントなんで、何も言えねぇっス……」
「夜の生活はオレのほうで何とかする。涼太は、変わらぬ態度で大輝の側に寄り添ってくれていればそれで充分だ。テツヤを失った衝撃は強いだろうけれど、いずれ時間が解決する。いつまでも過去を振り返っているわけにはいかないからね」
「赤司っち、ホントに大人っスよね……。分かったっス、エッチのことは赤司っちにお任せして、オレは……、なんか、することある?」
「室内の掃除を行ってくれると助かるな。今まではテツヤが隅々まで綺麗にしてくれていたけれど、……彼の抜けた穴は、やはり大きいな」

苦笑を浮かべながら辺りを見回す赤司につられてそうすると、嫌と言うほど実感してしまう。なんだこの汚い部屋。脱ぎっぱなしの服があちらこちらに散らばってて、足の踏み場もない。誰が汚してんだって憤ったけれど、たぶん、服を散らかしてんのはオレと青峰だけだ。

「りょ、了解っス!ついでに洗濯もガンガン回しちゃうっスね!」
「頼む。……オレは少し、出掛けてくる。ついでに夕食の買い物は済ませてくるけれど、昼食は任せていいか?」
「え?あ、うん、大丈夫っスけど……、買い物なら、オレも付き合うっスよ?」
「いや、一人でいい。夕方までかかるかもしれないからね」

そう言って赤司は行き先も告げずに、家を後にした。
昼前から赤司が出掛けるのは、珍しいことだ。特に黒子っちがいなくなってからは、買い物にも出掛けずにずっと家のことをやっていてくれていたのに。

「……ま、赤司っちもたまには息抜きしたくなることもあるか」

そう思ってオレは、散らかった部屋を一掃すべく、腕まくりをして気合を入れ。
「青峰っち、大掃除するっスよ!いつまで寝てんスか!シーツも洗うからさっさと起きるっス!」
未だにへこたれてるぐうたら旦那を叩き起こすべく、赤司の寝室へ乗り込んだ。





暗い空気を吹き飛ばすような明るいニュースが飛び込めば、青峰も元気になると思う。
だけどそんなもの、オレは持って来れない。パート先が見つかれば家計は若干潤うかもしれないけれど、そうすると青峰家は嫁不在の時間が増えてしまう。

「……最近、赤司っちよく出掛けてるっスよね」
「そうか?……テツの代わりに、保育園でパートしてんじゃねーの?」
「それだったらそうって言ってくれるっしょ。……黒子っちの代わりかぁ。だったらオレでも出来るかなー……」
「ダメだ、テメーは家にいろ。誰がオレの昼飯用意すんだよ」
「昼飯くらい自力で何とかしろ……って言いたいとこっスけど、赤司っちに頼まれちゃってるっスからね。……はぁ、やっぱ、二人だと負担がでかいっス」
「お前が来るまで、征十郎とテツはうまいことやってたぜ?」
「どーせオレは黒子っちほど出来た嫁さんじゃないし、赤司っちみたく家でずっと主婦業やるのにも向いてない駄目嫁っスよ。……はぁ、赤司っちの出掛ける用事って何なんだろ……」

ここのところ、毎日赤司は外出をしている。
相変わらず行き先も目的も言ってくれないし、こっちから聞くのも何となく気が引けてる。赤司だってプライベートな時間は持ちたいだろうし、朝ごはんは欠かさず用意してくれて、夕飯の時間までには必ず帰って来てくれる。赤司の料理が手抜きされることは一度もないし、あの人は相変わらず見事な嫁だ。

「……青峰っちは、何か聞いてないんスか?」
「あ?征十郎の浮気相手についてか?」
「……う、浮気?な、何言ってんスか!オレはべつにそんな疑い持ったこと……」

何気なくした質問に返って来たのが物凄い爆弾だったので、オレは無駄に焦ってしまった。
そのリアクションに対して青峰は特別反応せず、淡々と続ける。

「お前、ずっと気にしてたじゃん。征十郎の昔の男のこと」
「そ、それは……。いや、だって、相手が虹村サンだって言うから……。それに、黒子っち迎えに行ったときさ、ちらっと聞いちゃったんスよ。赤司っちって、アンタと結婚するギリギリまで、虹村サンのこと、好き、だったみたいな話」
「……だった、じゃねーよ。あいつは今でも虹村にホレ込んでる」
「……は?」

蒲団に仰向けになって携帯ゲームをやりながら、青峰はとんでもないことを言う。
聞き間違いかと思って目をぱちぱちさせると、青峰は急にゲーム機を両手から離して、ぼふんと枕に顔を埋めさせた。
「あーくそ、テメーが無駄に話し掛けるから連続コンボ切れただろーが……」
「いやいや、コンボよりも、今の話詳しく聞かせてくんないっスか?」
「あー?虹村の話なら、征十郎に直接聞けよ」
「き、聞けるわけじゃないじゃないっスか……!ていうか、マジなんスか?その、赤司っちが今も……」
「……昼間会いに行ってんのって、虹村さんだろ。……テツが出てった後に征十郎から聞いてっし。虹村が、この町に帰って来てるって」
「は……?え?じゃ、じゃあ、浮気……って」

さっきは否定したけれど、実を言うとほんの少しだけその可能性も疑ってた。
今まで遊び歩くこともなく、家を守ってきた赤司が急に出歩くようになった。それも、……出掛ける前に必ず、左手の結婚指輪を外して行く。
はじめはそれこそ、食器洗いのパートとか福祉のボランティアとか、指輪をしていては出来ない作業をしに行っているのかと思った。だけど、それなら隠す必要なんてないし、毎日、っていうのもすごくおかしい。
結婚していることを知られたくない相手と会うために出掛けてる。そんな考えが浮かんだ時は、まさか赤司に限ってって自分の発想の下種さを反省したものだ。

だけどオレ以上に疑ってはいけないはずの人が、堂々と赤司浮気宣言をしてしまった。
そのせいで、オレはもう別の可能性について考えられなくなる。

「ど、どーするんスか?!赤司っちが浮気って、そんなの、……赤司っちにまで出て行かれたら、この家マジで滅亡するっスよ?!」
「滅亡はしねーよ……。こう見えてこの家、防火も耐震も万全なんだぜ?家建てるときに征十郎の実家がかなり金出してくれたし」
「出た、嫁の実家の資産にたかる駄目夫!!いや、それは今はどうだっていいんス、問題は……」
「……問題なんて何もねーよ。征十郎はしっかりしてっからな。……あいつは、間違ったことは絶対しねぇ」

黒子っちのことがあったばかりで、こんな悠長なことを言ってる青峰の頭をぶん殴ってやりたくなった。
そうやって余裕ぶっこいて黒子っちの意思を尊重した結果がどうなったか、覚えてないとは言わせない。今だってアンタは、めちゃくちゃ傷付いたまんまだって言うのに。

「や、やめさせないと……。青峰っち、明日は赤司っち尾行して、浮気相手ぶっ飛ばして赤司っち連れ帰るっスよ!」
「やんねーよ。馬鹿かお前、そんなことしたら、征十郎に……、つーか、虹村さんに返り討ちにされるわ」
「たしかに虹村さんはおっかない人だったっスけど、でも、いまはアンタが赤司っちの旦那なんスよ?!はっきりと主張しないと、赤司っちだって……」
「だから、心配ねぇっつってんだろ?赤司は、自分の立場をしっかりと弁えてる。浮気くらい、なんだってんだよ。あいつが昔の男とヨリを戻すためにオレとお前を捨てて逃げるような奴だっつーなら……、テツは、オレと離婚なんてしなかった」
「青峰っち……」

そこで表情を曇らせた青峰を見て、オレの胸まで痛くなってしまう。
黒子っちは、自分の足で自分の人生を歩くために青峰との別れを決断したと言っていた。だけど、その決断の後押しをしたのは他でもない、赤司の存在が大きかったってことくらい、嫁歴の短いオレにだって充分分かる。
もしも赤司がもっと頼りない箱入りのお坊ちゃんだったら、黒子っちは青峰のことを任せようとは思わなかったはずだ。そうするくらいなら、自分の夢や目標なんて切り捨ててでも一生青峰の傍にいる。それくらい、黒子っちは青峰のことを大事に想っていた。
青峰はそれを重々承知している。だから、赤司が自分の元から離れるなんて予想は持たないのだろう。

「……半端ないっスね、黒子っちの影響力」
「まあ、それだけじゃねーけど。赤司はお前と違って器量がいいからな。よそに男作ったとしても、うまくやれる奴だ」
「……他に好きな男が出来たってなら、会いに行くくらいオッケーって?随分な余裕っスねー?さっすが、ハレ婚実現者は考え方が違うっスわ。……そんじゃ、オレもよそで浮気しても文句言わないっスね?」
「何でだよ、お前は駄目に決まってんだろ」
「はぁ?!なんで?!」
「言っただろ、赤司は器量がいいから許せるだけで、お前はバカだし、すぐ流されるし、オレと赤司にめちゃくちゃ迷惑かけるに決まってんだろ。だから駄目だ」
「はぁー?何スかそれ!じゃあ、赤司っちみたいに上手に隠せたらオッケーってこと?きちんと家事こなして、家庭壊さないようにすれば、青峰っち文句言わないんスよねー?」
「……それでも、駄目だ」
「なんで?!不公平じゃないっスか!」
「……うるせーな、家庭壊すとかそれ以前に、オレが嫌なんだよ、お前が他の男に靡くのは」


赤司はよくて、オレは許されないことがある。
同じ嫁のはずなのに、不平等なこの現実。なんだか、腑に落ちない気もするけれど。

「だから絶対浮気すんじゃねーぞ」

そう言って唇を尖らせた青峰が実にわがままな子供っぽく見えてちょっと可愛かったから、目を瞑ってあげることにした。






それからひと月が経過した頃になると、青峰の調子もだいぶ戻ってきたようで、しばらく休んでたミニバスチームのコーチの仕事にもきちんと顔を出すようになった。
赤司の言ってたとおりだ。時間が経てば、それなりに回復するものなんだって。

それはオレも同じで、いい感じに黒子っちのことを吹っ切れてきている。
家の掃除の習慣もすっかり根付いてきたし、トイレや風呂がいつでもピカピカなのはやっぱ気分良い。毎日昼飯を作ってるだけあって、料理の腕もそこそこ上がってきた気がするし、今のオレなら、黒子っちの半分くらいは主婦業をこなせていると自画自賛する。ちなみに、同居人は誰も褒めてくれない。

「……まあ、いんスけどね。専業主婦は家事やって当たり前っスもん。時給も発生しない、報われないお仕事っス」
「そうだな、そろそろ本格的に仕事を探し始めたほうがいいかもしれない」
「へ?!いや、いまのはただの独り言であって、べつにオレ、誰かに褒めて貰いたかったわけじゃ……、って褒めてないっスよね。仕事探し?家計、あいかわらずヤバいんスか?」
「……テツヤはよく遣り繰りをしていたと思うよ。まさか、ここまで収支の差が広がっていたとはね……。一番の出費はやはり食費か……。涼太、すまないが、調理をする際は節約を心掛けてくれないか?」
「そ、それは気をつけるっスけど……、……そんなまずいなら、やっぱオレ、働きに出よっか?」
「そうだな……。一週間の半分程度でもそうしてくれると助かる。オレも、実家へ連絡し米や野菜を分けて貰えるよう働きかけるよ。……大輝にも相談をしよう」
「それ、重要っスね!うちで一番大飯食らいなのは青峰っちっスし、そもそもあいつがほぼニート状態なのも問題っス!ケツ叩いて定職に就かせなきゃっス!」

今日は土曜日ってこともあって、奴は朝から小学校に出掛けている。
夕方帰ってきたらちゃんと話そうって約束したところで、赤司はいつものように出掛ける支度を始めた。
すでに指輪は外したようで、左手は綺麗なものだ。こうして見ると、赤司は品の良い大学生にしか見えなくて、人妻なんて言われたってビックリするだけだ。

「……あのさ、赤司っち」
「今日はなるべく早く帰宅する予定だ。帰ってきたら、一緒に出掛けてくれないか?」
「え?オレでいんスか?」
「お前でなければ意味がない。いつか、約束をしただろう。お前の浴衣を誂えてやる、と」

すでに初夏の日差しが強いこの季節に、赤司は薄手のカーディガンを羽織りながらそう言って微笑んだ。約束。そう言われて思いだす。まだ、オレが青峰家の第三夫人になったばかりの頃の約束だ。

「……納涼祭かぁ。家族4人で行けると思ってたんスけどねぇ」
「テツヤがいないのは残念だが、仕方がない。その分、涼太には祭りの華としての役割を果たして貰おう」
「青峰っちはオレの浴衣姿なんて興味なさそうだったっスけどね。まぁ、赤司っちがいれば充分か」
「大輝は照れているだけだよ。テツヤの時だって、オレがいる間は一言も彼の装いを褒めるようなことは口にしなかった。……何事もなく日が流れれば、納涼祭の夜、大輝はオレの寝室で休むことになるが……、その晩は、順番を変更してもいい」
「へ?!いや、そんなの……っ、だ、だめっスよ!そのローテーション破ったあとにどうなったか知ってるっしょ?オレはもう二度と……」
「大輝が寝室を夜毎に移るというルールを定めたのは暗黙の了解だった。オレたち三人が合意していれば、違反にはならない」
「……赤司っちがオッケーしたって、青峰っちがなんて言うかわかんないじゃん……。去年は黒子っちだったんスよね?だったら、今年こそって思ってるかも……」
「その気もなくなるほど涼太を魅力的な装いに仕立て上げると約束したはずだよ。大丈夫、大輝は涼太を選ぶよ」
「……」

穏やかに微笑みながらそう言ってくれる赤司の顔を見ていると、不安な気持ちが押しあがってくる。
赤司の「大丈夫」はすごく頼もしくて、本当に大丈夫だっていう気になる。中学の頃から、この人の言うことはいつでも正しくて、裏切られたことなんて一度もなかった。
だけど、いまは。
「大丈夫」の意味が、べつの不安に覆われてしまう。

「それって……」

思わず、言ってはいけない言葉を口に出しそうになって慌てて口を塞ぐ。
だけど赤司はもうオレを見てなくて、小さいカバンを持って玄関へ向かってしまった。

「それでは、行ってくるよ」
「……いってらっしゃい」

捻り出した声は少しだけ歪んでた。赤司はそれに気付かなかったのだろうか。何も言わずに、オレの前から姿を消した。


(それって、赤司っちはもう青峰っちのことを自分の夫として見てないから?だから、オレに押しつけようとしてんの?)


言わなくて良かったと、心から思う。
自分から赤司との関係を壊すなんて。そんな馬鹿なことは絶対にしちゃいけない。

赤司は感情に左右されない冷静な判断力を持った人だ。
強い責任感と、確固たる意思を持ったあの人が、一度決めた道を後悔して引き返すなんてことは絶対にない。

オレたちが、見ないフリをしていれば。
本当の気持ちなんて殺したまま、自分の役割を最後までまっとうしてくれるはずだった。






……本当に、それでいいのだろうか。

「涼太、化粧品のアレルギーはあるか?」
「へ?いや……、たぶん、平気だと思うっスけど。なんで?化粧必要っスか?」
「気にしないと言うのならこのままでも構わないが……、かなり、目立つな」

もやもやした気持ちを抱えたまま、あっという間に時は過ぎ、連日の茹だるような暑さの中、今年の納涼祭当日を迎える。
この日は赤司も朝から外出することなく、町内会の仕事なんかをこなしていったん家に帰り、夕方には約束どおりオレの浴衣の着付けをしてくれた。
その最中、襟元を直していた赤司が少し険しい表情を浮かべながら手鏡を差し出してきて、目立つものの正体を突きつけられる。

「うっわ、なんだこれ」
「……度々気になってはいたけれど、今日は一段と凄いな。浴衣の色合いが濃いせいか。お前は色白だから、くっきりと痕が残るんだな」
「……青峰っちのバカ……っ」

慌てて首筋を押さえながら、この場にはいない馬鹿旦那を非難する。
たしかに、青峰はよくオレの身体じゅうにキスマークをつけたがってた。でもオレは毎回言ってる。見えるようなとこにはつけるなって。なのに、今日に限ってなんだこれは。

「オレ、花火大会の前の盆踊りステージに参加するって言ったのに……。こんなんつけてステージに上がったら明日から街中歩けなくなるじゃないっスか……」
「付け焼刃程度にしかならないかもしれないけれど、ファンデーションで誤魔化そう」
「赤司っち、化粧品なんて持ってんスか?」
「いや、テツヤの置き土産だ。彼も度々大輝のいたずらには困らされていたようでね。仕事が仕事だけに、必需品だったようだよ」
「あいつ……。ろくでもないことばっかして」
「だが、大輝の気持ちも理解できなくはないよ。これだけきめ細かく滑らかな肌を独占出来ると言うのなら、オレでも所有のしるしを刻みたくなる。あまり責めないでやってくれ」
「赤司っちだって充分キレイな肌してるじゃないっスか……。なんでオレばっか」
「……彼の心のどこかには、オレは自分のものではない、といった認識があるのかもしれない」
「え?」
「なんでもない。少し待っていてくれ、化粧品を持ってくる」


小さな声で呟かれた、それを聞き返して視線を向けたときはもう、赤司はオレに背を向けていた。
抑揚のない声だった。表情を見なかったのは、正解だったのかもしれない。
「赤司っち……」
不安に襲われているのは、オレだけじゃないような気がしたけど。オレの前に戻ってきた赤司は、いつもと変わりない様子だったので、オレはその不安を無視して目を閉じ、赤司の指の動きに身を任せた。





日中に比べて陽が傾き、ほんの少しだけ暑さが和らいだような気がする時刻に、オレと赤司は連れ立って家を出て、町の中央通りにある広場へ足を向けた。
納涼祭は、年に一度の町内会総出のイベントだ。そこそこ人出は多くて、広場には屋台もずらっと並んでる。ちらちらと目移りさせながらも先を歩く赤司の背中を追い掛けて、オレたちが辿り着いた先には、金魚すくいの屋台があった。
町内会のお達しで、青峰家は毎年屋台の出店に参加しているらしい。オレがそのことを知ったのは祭りの一週間ほど前に赤司が業者と連絡を取っている姿を見たときが最初だったのだけど、毎年恒例のことなので基本の流れは出来ているってことで、オレは特に手伝うこともなくって。先に盆踊り参加申し込みをしてしまったこともあって、ちょっと焦ったけど、今年は青峰と赤司で何とかするって言ってくれたのでお言葉に甘えることにしたんだ。

「首尾はどうだ?大輝」
「おう、やっと来たかよ。って、なんだお前、去年と同じ浴衣か?」
「覚えていてくれたのか?」
「お前はどんな柄でも似合ってるけどよ。……もっとセクシーな着方して来いよ、どーせなら」
「真新しさがなくてすまないが、この装いはすぐに解く。……その先は、さらに重装備になるけどね」
「え?!赤司っち、ずっと浴衣じゃないんスか?!」

青い水槽プールの前にしゃがんで、涼しげに泳ぐ金魚を見下ろしていた赤司がオレの声に反応して顔をあげる。少し申し訳なさそうに眉尻を下げたのは、オレががっかりしたような声を出したからだろう。

「午前中に町内会の人たちがうちを訪れただろう?その時に、神楽舞の奉納を頼まれてね。どうやら、神社の巫女が前日に腰を痛めてしまったようで、代役を承諾したんだ」
「か、神楽舞……?!赤司っち、そんなん出来るんスか?!」
「踊りを習っていたのは小学校いっぱいだったから、だいぶブランクはあるけれど……、他に適任者がいないというのならば、やるしかないだろう」
「神社のばーさんもそろそろ潮時なんじゃねーの?だからとっとと跡継ぎ見つけて引退しろっつってんのに、いつまでも若ぶりやがって」
「そう言うな、彼女は何十年もたった一人で伝統を守り抜いた。後継者が育たないのは地域の過疎化が進んだ結果であり、彼女には何の罪もない。……とはいえ、来年の祭りまでには何とかして貰いたいものだけどね」
「神楽舞ってたしか、花火大会の合間に行われるやつっスよね?すっげぇ……、赤司っち、ホントに何でも出来るんスねぇ……」

思わぬ情報に唖然としながらも、苦笑を浮かべながら「少し緊張している」と謙遜する赤司が白い巫女装束で完璧に神楽舞を奉納するイメージは簡単にあふれてきた。
こんなことを聞かされたら、自分一人だけ浴衣なのは嫌だなんてわがままは言えない。陽が落ちてしまえば、服装なんてそんなに気にもならないだろう。

「……店番はどーすんだよ。黄瀬はこの後盆踊りだろ?」
「ま、まぁ、そうっスね……。神楽舞とは大違いっスけど、オレも踊るんスわ」
「神楽舞の準備は花火大会が始まってからでも遅くはない。それまではオレが店番を務めるから、大輝は休んでいてくれて構わないよ」
「え?!だ、ダメっスよ!神楽舞出来るの赤司っちだけなんスよね?こんな炎天下で店番させて体力なくなっちゃったらオレらが町内会の人たちに怒られるって……!青峰っち、店番くらいやってよ!」
「オレも朝からここで金魚売ってんだぜ?ちょっとは労われよ」
「じゃ、じゃあオレが盆踊り辞退して店番を……」
「それには及ばないよ。涼太、お前は久しぶりの納涼祭だろう?盆踊りステージまでは大輝とゆっくり過ごして、ステージが終わったあとに交代してくれ。花火大会が始まれば、出店は撤収しても構わないだろう」

その申し出になおも食い下がろうとしたけれど、水槽プールの奥からまわってきた青峰に腕を取られて遮られた。家主の決定は、覆られそうにない。

「もー……。そんじゃ、お言葉に甘えてちょっとその辺うろうろしてくるっス。赤司っち、何かあったら連絡して欲しいっス!」
「わかった。短い時間だけれど、ゆっくりしておいで」

さっきまで青峰が居座ってたスペースに入り込んだ赤司に手を振って、その場から離れる。青峰は腕を離してくれたけれど、なんだかちょっと不機嫌そうな様子だった。

「青峰っち、何怒ってんスか……」
「怒ってねーよ。ただ……、あんま、良い気はしねーな」
「え?何が?」
「……征十郎だよ。あいつ、神楽舞引き受けたなんて一言も言ってなかった。……たしかに、神社のばーさんがダメならうちの町で代役が出来んのは征十郎くらいなもんだろーけど、……勝手に引き受けてんじゃねーよ」
「そ、そんなの仕方ないじゃないっスか!急なお願いだったんだし、青峰っちに相談するヒマなんてなかったっスよ?それに……」

青峰が怒ってる理由が、赤司が自己判断で神楽舞の代役を引き受けたことにあったと知って、ちょっと驚く。
こういうの、初めてだ。青峰は赤司のやることなすことにいつでも従順で、それって赤司のことを心から信頼してる証拠だと思ってた。
だけど、今回のはちょっとまずかったようだ。なぜならば。

「……神楽舞を奉納する巫女が、本来どういう役回りなのか知ってるか?」
「役回り……?そ、それは……」
「生贄だよ。川で暴れる竜神を慰めるための」
「いけにえ……、……あ、あぁ、そういうこと……?」

完全に臍を曲げてる青峰がきつめに言い放った説明で、納得する。
理由は、赤司が引き受けた内容にあった。

「ちっちゃい頃に昔話で聞いた事あるっスね、それ。もともと番だった竜の奥さんが人間に殺されたことで、竜の旦那さんがマジギレして村を水没させようとしたのを、巫女さんが生贄として竜の奥さんの代わりに嫁入りすることで怒りを沈めたって、あのお話?あれが、神楽舞の発祥だったんスか?」
「そーだよ。……だから、冗談じゃねぇっつってんだ。征十郎は、オレの嫁だぞ?」
「青峰っち……」

さすがにこれは、呆れてしまう。
神事には古い伝説がつきものだ。祭りの催しの一環である神楽舞の儀式の由来なんてオレは知らなかったけれど、それに対してこんなに怒る現代人もどうかと思う。
「べつに、赤司っちが本当に竜の神様に取られるわけじゃないんスよ?祭りが終われば、赤司っちはちゃんと家に帰ってくるし、青峰っちの嫁さんであることには変わりないっスよ」
「うるせーな。だとしても、嫌なもんは嫌だろ」
「子供っスか……」
「どうせ、代役に征十郎を指名したのは神社のばーさんの差し金だろ。あのババア、前々から征十郎に自分の後釜継がせたがってたからな……。征十郎が踊れるのも、ガキの頃に赤司家の祈祷に呼ばれるたびにあいつの親父にゴリ押しして稽古つけてたからってだけだ」
「目ぇ付けられてたんスか……?!いや、でも、巫女さんって女の人限定の職業じゃないんスか?なんで赤司っちが……」
「……あいつが、赤司家のガキだったからだよ。この町の老人連中が赤司の血筋を崇めまくってんのはお前も知ってんだろ?奴らにとっちゃ、赤司の血を引いてる征十郎は生き仏みてーなもんなんだよ」
「た、たしかに……、赤司っちと道歩いてると時々お年寄りから拝まれることあったっスね……」

大地主の令息である赤司が、町のお年寄りから崇拝されているのはオレも知ってた。
オレらの世代においては、単に赤司家が大金持ちで、お父さんが政治家だからなんとなく赤司も偉い人みたいな気がしてただけだけど。先祖代々この地域で暮らしている人にとっての赤司家は、そんなレベルじゃ済まされない尊いお家柄なのだろう。

「……待って、……ひょっとして」

それを聞いて、ちょっと不穏な想像が頭の中に浮かんだ。
一度はこの町を出て、京都の進学校に入学した赤司が、卒業と同時にこの町に戻ってきた理由については、青峰との結婚が決まったからだって赤司本人から聞いたことがある。
そこには、赤司のお父さんがハレ婚賛成派議員であり、成功ケースを作るための目的があったと言う。お父さんの顔を立てるために、赤司は青峰との結婚を承諾した。だけど。
その時点で、青峰はまだ黒子っちと結婚していなかった。

「ねえ、青峰っち。赤司っちとの結婚が、黒子っちよりも先だった理由って……」
「……もう、分かってんだろ?」
「……赤司っちを、この町に縛りつけるため……?」

口に出すと、その理由はすごく自然のことのように思えた。
高校卒業と同時に町に連れ戻されたのは、もしかしたら赤司のお父さんの意思でもなかったのかもしれない。
この町のお年寄りが、赤司を求めた。繋ぎ留めるために、地元の若者との結婚をゴリ押しした。それが、青峰だったのは。

「金だよ。テツの親の借金を、征十郎の親父が肩代わりしてくれた」
「……!」
「その代わりに征十郎と結婚してくれって言われた時は、笑ったよな。でも、親父さんは……。……わりと、追い詰められてたのかもしんねーな。あの人の支援者はこの町の年寄り連中だ。征十郎がよそものに持ってかれる前に、鎖つけてこの町に縛りつけとけって迫られてたんだろーよ」
「……だから、」

埃被った伝承を引き合いに出して青峰が怒った理由が、分かった。
赤司を、この町の生贄に見立てていることが、青峰は気に入らないんだ。
巫女を生贄に捧げなくても、この町は滅びない。赤司が自分の選んだ道を真っ直ぐ進んだって、この町の平和は壊れない。それなのに。

「征十郎が神楽舞を奉納するっつったら、奴らは大喜びだろうな」

自嘲気味に笑った青峰の横顔を見て、胸がしめつけられた。
子供か、なんて言って悪かったと思う。青峰は、赤司のことが心配だったんだ。自由を奪われてお年寄りたちの言いようになっている赤司のことが。

「……だったら、オレが赤司っちの代わりに神楽舞やってもいっスよ」
「……は?」

その切ない気持ちに感化されて、思わずオレは馬鹿なことを口にする。当然、青峰は怪訝そうな顔をしてこっちを見る。

「お前なぁ……」
「まじまじと見たのは中学の頃の一回きりっスけど、あれ、わりとスローじゃないっスか?一通り振りつけ見せて貰えたら、オレだって何とか……!」
「無理に決まってんだろ……。適当なこと言ってんじゃ、」
「オレ、ダンスは自信あるっス!中学の学祭のステージで踊ったときは、帝光中のマイケルジャクソンって持て囃されたんスから!」
「……黄瀬ェ」
「そうと決まれば、やっぱり盆踊りは辞退して、赤司っちに踊り教わってくるっス!見てろよ、青峰っち!オレの華麗な舞いを……」
「……馬鹿か」

浴衣の袖を捲りあげてやる気を示したオレを見て、青峰は、毒気を抜かれたみたいにくはって吹き出す。
オレは、本気なのに。帝光中のマイケルジャクソンがじわじわ来たのか、青峰は肩を震わせて笑い出した。

「んだよ、それ。つーか、それ中二の学祭だろ?お前、すげーぐだぐだだったじゃねーか」
「えー?と、途中までは完璧だったっスよ!ただ、隣の人がミスったときに釣られただけで……」
「お前、運動神経いいくせにリズム感ゼロだもんな。ワンテンポ間違えたらそのまま、最後まで一人だけズレて終わったっつーのに……」
「お、覚えてんじゃん!!……オレ、あれすっげー練習したんスよ?部活でへとへとになって家帰って、繰り返し映像見ながら夜な夜なと……」
「……っと、お前は……。全校生徒の見てる前で失敗したってのに、全然へこたれてねーな。……ったく。……無理だよ、お前に神楽舞は」

頼むからやめてくれって改まって言われて、不服ながらも捲った袖を元に戻す。
青峰は笑ったままオレを見て、そして。目を細めて、首を振った。

「お前の無謀っぷり見たら、なんでムカついてたのか忘れたわ。……とっとと盆踊りの練習しに行けよ。オレは、赤司んとこ戻るから」
「も、戻って何言うつもりっスか?!赤司っちを困らせるようなことするなら……」
「しねーよ。……神楽舞の衣装って着るだけで疲れんだよ。……本番まで、休ませてやる。完璧主義者のあいつが本番で動けなくなって失敗したら、後に響くだろーからな。……お前と違って」
「青峰っち……?」
「行って来いよ、帝光中のビヨンセ」


背を向けて手を振った青峰に、もう赤司の神楽舞を否定する気はないことは分かった。
オレの無鉄砲な発言が効いたのかもしれないけど。

「キレッキレの盆踊り披露してやっから!!あんま、オレを馬鹿にしないほうがいいっスよ!!」

これは一応、主張しておきたかった。











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