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▼ 7





その日寝付いたのは結局夜中で、だけど早いうちから赤司に叩き起こされた。

「涼太、すまないがすぐに出掛ける支度をしてくれ」
「んー……?出掛けるって、どこに……?……っ、く、黒子っち、見つかったんスか?!」
「いや。だが、おそらくそこへ行けばテツヤには会えるだろう」
「どういうことっスか?!なんか、手掛かりでも……」
「大輝が出発した。急げ。追跡に気付かれ、携帯の電源を落とされる前に彼の足取りを掴まなくてはならない」

起き抜けのオレに赤司が真顔で放ったのは、バイオレンスな尾行についての提案だった。



「GPS……、さすが赤司っち、抜け目ないっスね」
「テツヤの携帯に電源が入っているうちに、彼の失踪に気付ければもっと楽な捜索が行えたのだけどね。追いつくまでに大輝の携帯の充電がもつことを願うばかりだ」

すでに家の前へ呼んであったタクシーに乗り込み、オレたちは無言で出掛けた青峰の追跡を始めている。
赤司は昨晩のうちからこの展開を予測していたらしい。オレたちに内緒で、青峰が黒子っちのいそうな場所へ出向くことを。
その上で、青峰の携帯のGPSを追跡するアプリを自分の携帯に導入していた。オレが無駄に黒子っちとの思い出に浸って枕を濡らしていた夜に、赤司は本当にぬかりのない行動を取っていた。

「つーか、青峰っち、一言くらい言ってくれてもいいっスよね。黒子っちの行く場所に心当たりがあるってんなら」
「……テツヤの帰りを信じたいと言っていたのは、単なる虚勢ではなかったのだろう。彼としては、テツヤ自身の意思で戻ってくれることを願っていた。だから、一晩の猶予を与えたつもりなんだろうね」
「……結局戻ってこなかったから迎えに行ったんスよね。……遅いっつーの。もしオレが黒子っちだったら、一晩放置された時点で二度と顔も見たくないって気分になってたっスよ」
「家出をしたのが涼太だったら、大輝もそうしていたかもしれないよ。たらればを語っていても仕方がないけど。……すいません、その先の信号を右へ」

ほとんど寝起きのまま飛び出してきたオレの文句を受け流しながらも、赤司は着実に青峰との距離を詰めるべくタクシーの運転手さんに指示を送る。すでに車窓から覗く景色は、田んぼ道を抜けて大通りに出ていた。

「……どこに行ったんスかね、黒子っちは」
「この方角であれば……、オレと結婚する前に、二人が住んでいた地域に近いな」
「え?あ……、そういえば、一緒に暮らしてたって……、それって、中学の頃の話じゃないんスか?」
「中学時代はさすがに大輝の実家に住んでいたはずだよ。オレも、二人の高校時代の話はあまり詳しくはないけれど……、何度か、耳に挟んだことはある。中学卒業後、二人が入学した高校の側に……、!すいません、停めて下さい!」

少し往来の賑わう道の傍に赤司が見つけたものにオレも気付いて、はっと息を飲む。
青峰の車だ。人が乗っている様子はない。だけど、この近くに青峰はいる。そして、黒子っちも。

運転手さんにタクシーを停めて貰い、支払いを済ませて赤司の携帯を覗きこむ。青峰の携帯は、まだ生きていた。

「こっちだ」
赤司の誘導に従って進むと、その先には一軒の店があった。
「この中……っスか?でも、この店って……」
「営業時間は夕方からだな。……」
「赤司っち?」
「少し、外で待とう。話が終われば、出てくるだろう」

繁華街の片隅にある、少し寂れたスナックだ。
営業しているのかどうかも、昼間のいまは分からない。強引にドアを開けることはせず、オレと赤司は店舗ドアの横に並んで背中を預けた。

「……あの二人、どんな高校生活送ってたんスかね」
「二人とも、あまり自分のことを話したがらない性格だったからね。詳しいことは本当に分からない。オレが覚えているのは……、結婚初夜のときの、テツヤの負けん気の強い眼差し、かな」
「黒子っちが?!……赤司っちに、やきもち焼いてたってことっスか?」
「当時のオレたちは全員、高校を卒業したばかりの未成年だった。感情が表立つことも多かったよ。……オレと大輝の婚姻には、少なからず政治的な策略も含まれていたからね。大輝の恋人であったテツヤにとっては、面白くない話だったのだろう」
「恋人……」

その関係は、なんとなく予想できた。
黒子っちが一番辛い時に支えになっていた青峰が、そのまま。帰る場所を失った黒子っちの居場所になるのは、自然なことのように思える。
青峰と赤司の結婚が決まって、一番動揺したのは本人たちよりも黒子っちだったのかもしれない。
恋人なのに、他のひとと結婚する青峰に対し、どんな気持ちを抱いていたのだろう。

「……涼太よりもずっと手強かったよ。寝室に忍び込まれた回数も、一度や二度じゃない」
「えっ……、く、黒子っち、大胆っスね?!そういうときってどうしてたんスか?」
「どうもこうも。テツヤの見ている前でしたよ。邪魔をされたことはなかったな。テツヤも、自分の恋人がどんな風に自分以外を抱くのか見たかっただけだと言っていた」
「むちゃくちゃアブノーマルな気がするんスけど……。……ただれてたんスね、そのころは」
「涼太も気になるなら、いつでも鑑賞しに来ればいい。……大輝は、いつも以上に張り切ってしまうかもしれないけどね」
「え、遠慮しとくっス……。オレ、赤司っちと黒子っちにはまだ夢見ていたいんで……」

こんな澄ました顔をしながら、エッチのときはむちゃくちゃエロいってのはよく知ってる。けど、目で見るのはまた違うだろう。青峰に対してはともかく、赤司と黒子っちにはまだ中学時代の清純な印象が拭いきれてなかった。

「それはそうとして、……黒子っちは、どうやって折り合いつけたんスかね。好きな人が、他の人をお嫁さんにしたことについて」
「……どうだろうね。正式に大輝がテツヤと籍を入れたのはオレと結婚した一年後のことだったし、その頃にはテツヤもオレのいる生活に馴染んでいた」
「赤司っちだったから良かったのかもしんないっスね」
「そうか?」
「なんか、すげー大人っスもん。割り切ってるっていうか……。……赤司っちも、色々と大変なことあったかもしんないっスけど、……オレでも思うもん。赤司っちがいてくれたらすげー心強い。……好きな人を任せられるって、心底思える」
「ありがとう。……ただ、ひとつだけ訂正しておこう。オレは決して、大輝との婚姻を無理やり押し付けられたものだとは思っていない。……オレこそ、彼に救われた面も多々ある」
「え?それって……」
「……ずっと引きずっていた初恋に、終止符を打てたのは……大輝のおかげだ」


黒子っちにまつわる昔話から、思わぬ事実が明かされそうになった。
だけど、その続きはお預けだ。オレたちの眼前には、大事な「今」の問題が姿を見せる。

「赤司くん……、黄瀬、くん……?」


ここで張っていたのは正解だ。
大きな目を丸く見開いた黒子っちは、愕然とした表情でオレたちの旧姓を呟いた。





「よう、テツ。遅かったじゃね……、って、なんだお前ら……。ついてきてたのかよ?」

黒子っちが店舗ドアを開くと、ブラインドで遮光された薄暗い店内にはやっぱり青峰の姿があった。
お店のカウンター席に前のめり気味に座っていた青峰は、黒子っちの後に続くオレらを見て嫌そうに顔をしかめる。まあ、その反応は当然だけど、自業自得だ。尾行されるようなことするな、馬鹿。

「ちっ……、まあいい。帰るぞ、テツ。駐禁とられたらお前も免許取らせるからな」
「……お迎えに来てくれたのは嬉しいですけど、すいません。お断りします。……帰るなら、三人でどうぞ」
「黒子っち!」
「……それとも、いまここで署名をしてくれますか?」

ぞっとするほど冷たい声音でそう言った黒子っちが、肩にかけてたカバンの中からごそごそと一枚の封筒を取り出す。そしてその中から引っ張り出した用紙は。

「テツ、テメー……」
「もう少し日を置いてから郵送するつもりだったんですけど、可能ならば、お願いします。提出は、ボク一人で行って来ますから」
「……っ!」

冷静な態度で青峰に紙を差し出す黒子っちをきつく睨み返す青峰の様子を見て、オレは慌てて手を伸ばす。
黒子っちから奪った用紙。それは、想像通り。……特別離婚届、だった。

「黒子っち……、なんで、こんなの……」
「……青峰くんは、知っていたと思います。部屋に、置いてきたでしょう?ボクの意思を」
「……突き返しに来たんだよ」
「受け取れません。……不要ならば、そちらで処分してください。質屋に流せば、ひと月の補助金くらいの額には、」
「テツ……ッ!」

すっかりと激高した青峰が、ポケットに入れていた右腕を外へ出す。
握り締められた拳へ、黒子っちの視線が静かに注がれる。その中にあるものを、黒子っちは知っているんだ。

「……もっかい言うぜ。テツ、これはお前のもんだ。受け取れよ」
「……できません」
「できねーじゃねぇ、やるんだよ」
「やれません。……もう、これ以上は……ゆるしてください」

強気な態度を崩さずに黒子っちへ拳を突きだす青峰に対し、黒子っちの声音は徐々に力を失っていく。傍で聞いてるこっちが切なくなるような声に、思わずオレは足を踏み出し、黒子っちの前で青峰から庇うように両手を広げた。

「……何のつもりだよ、黄瀬」
「……アンタ、黒子っちを泣かせるためにここに来たんスか?違うっしょ?……素直に頭下げろよ。帰って来てくださいって」
「黄瀬くん……」
「ほんとのこと、言ってよ。黒子っちがいるといないとじゃ全然違うって!オレ、あんなにどんよりした青峰家なんて知らないっス!あんなの……、オレの家じゃ、ないっス……」

強気で対峙するつもりだったけど、昨晩の空気を思い出して鼻がぐずってなってしまう。
情けない。もっとかっこよく、決めたかったのに。

「……言えよ。ずっと一緒にいた黒子っちがいないと、青峰っちはダメダメになるんだって。オレや赤司っちじゃ埋められないもんが黒子っちにはあるんだって。……情けねーっスけど、その通りなんス。オレじゃ、青峰っちのこと……幸せに、できないよ」


震えた声で放つのは、後ろに立ってる黒子っちへ向けた言葉。
分かって欲しかった。オレはそんなに出来た嫁にはなれない。赤司がいるとは言え、黒子っちが欠けた分を補うことなんて絶対に無理なんだ。

「涼太の言うとおりだ。テツヤ、オレからも頼む。……不満も希望も、はっきりと打ち明けて欲しい。オレたちは、お前に無理を強いるつもりは一切ない」
「……」
「帰って来てくれ、テツヤ」
「帰って来て、黒子っち!」
「お前ら……、……クソ、分かったよ。……テツ、頼む」

三人揃ってのお願いに、黒子っちも怯んだように押し黙る。
だけど、その決意は簡単には曲げられなかった。

「……この場で、話を聞いて貰ってもいいですか?あの、カゲトラさんは……?」
「オッサンなら、上で寝てる。……久々にテメーのツラ見て相当はしゃいだようだな。ベロベロだったぞ」
「そうですか。……分かりました。すべて、お話します」

カゲトラさんと言うのは、この店のオーナーか何かだろうか。
それはまあ、どうだっていい。いまは、黒子っちの話が何よりも優先だ。
ゆっくりと身体の向きを変え、黒子っちを振り返る。そこには、さっきまでの厳しい表情はなくて。

「まず言いたいのは、ボクが結婚指輪を置いてあの家を出たのは、君たちの誰かを疎ましく感じたからというわけではありません。赤司くんも、黄瀬くんも、……青峰くんのことも、ボクは、大好きです」
「オレらだって黒子っちのこと大好きっスよ!何も問題ないじゃないっスか!」
「……好きだから、……幸せになって欲しい。そして……、君たちに好きになって貰えたボクも、幸せになりたいと、思ったんです」


俯きがちだった顔をあげて微笑む黒子っちに、暗い影はこれっぽっちもなかった。
どちらかと言えば、晴れやかな表情で。黒子っちは、真実を明かす。

「自分の足でしっかりと立って、この先の未来を……歩いて行きたいと、思えたんです」






(オレんとこに来いよ、テツ)

二人の関係が始まったのは、中三の夏。オレたちが部活を引退した頃のことだった。
誰にも相談出来ない黒子っちの家の悩みを、青峰はどうやって知ったのか。何も知らずに、考えもなく動いただけなのか。
理由も聞かずに黒子っちの腕を引き、自宅に身を寄せさせた青峰の強引なやり口により、黒子っちは不安定だった気持ちを一掃出来たのだと言う。

青峰の家族はもともと黒子っちのことを知っていたし、狭い田舎町だ。大人たちの間では、黒子っちの家に起きた不幸はそれなりに知れていたのかもしれない。何も言わずに同居を許し、それどころか。青峰以上に家事をよくやる黒子っちにことを気に入って、いずれは嫁に欲しいと冗談めかしたことを日常的に言っていたそうだ。

「本当に、嬉しかったです。行き場所のないボクを救ってくれた青峰くんとご家族には、どれだけ感謝しても足りません」
「……ウザかっただろ、あいつら。だから、高校入るときに引っ越すぞってオレが言った時、何も言わずについてきたんじゃねーの?」
「違います。……あの時は、青峰くんと二人でいられればどこだってよかった。青峰くんは、ボクのすべてでした」
「……」

二人暮らしを始めてすぐ、黒子っちはアルバイトを始めた。
それがこの店。高校の先輩のお父さんが経営している、小さなスナックだった。
もちろん、高校生の黒子っちが遅い時間まで働いていい場所ではない。違法を承知で黒子っちを雇ったのは、やっぱり、青峰の存在が関わっていたらしい。

「青峰くんは、高校でもバスケを続け、チームでは絶対的なエースとしてその力を求められていました。そのバスケ部に時々臨時コーチとして顔を出していたのがこの店のオーナーのカゲトラさんです。カゲトラさんは青峰くんの才能を重宝し、部活動に集中するよう尽力してくれたんですけど……、当時のボクらは、お金がなかった」
「ホントはオレもバイトしよーと思ってたんだよ。だけど、テツに止められた」
「青峰くんが部活動をマジメにやる代わりに、ボクに働き口が回して貰えたんです。厨房の調理補助とか、開店前の店内清掃とか、ボクに出来たのはそれくらいですけど。……そうなると、分かりますよね?いくらカゲトラさんが考慮してくれたとしても、お給料はそこそこ。暮らしていく分には何とかなっても、……とくべつなものが欲しくなったときは、どうしようもなかった」
「テツ、その話はいい」
「いえ、言わせて下さい。……ボクは、どうしても欲しいものがあった。そのために、……前にも話しましたよね?援助交際をしようとして、青峰くんに見つかった話」

いつか、打ち明けてくれたときのことを思いだす。
だけどその話は、ただの美談じゃなかった。青峰が黒子っちのもうひとつのアルバイトに気づいたのは、一度だけ。

「それより以前に、ボクは何度かそうやってお金を稼いでいました。……すごく、簡単なことだったんです。ホテルのベッドで横になっていれば、一時間で何万円も手にすることが出来る。実際、青峰くんにバレるまでにかなりの蓄えができたんです。……ただ、そのお金は」
「テツ、もういい。言うな」
「中絶手術費用として、全部消えちゃいました」
「テツ!!」


青峰の制止を振りのけて告げられたことは、想像の何倍も恐ろしく、悲しい結果だった。
オレも赤司も、何も言えない。だって、分かってしまった。若いうちに中絶手術を受けると、その後、妊娠出来る可能性は男女共に、限りなく低下してしまう。
それを知っていても、当時の黒子っちには選択肢なんてなかった。まだ高校生の黒子っちは。大好きな人の支えを得ながらも。

「大輝、お前は本当に、テツヤのしていたことを知らなかったのか?」
「……っ」
「赤司っち……」
「テツヤがここまで思い詰めていたことを、知らなかったのか?一緒に暮らしていて、まったく気付かなかったと言うのか?お前は、何のために……」
「赤司くん、やめてください!……青峰くんは、ボクとの約束を守ってくれてたんです!……部活動に打ち込んで欲しいと言う、身勝手な願いを!」
「……」
「それが、ボクの夢でした。だって、バスケをしている時の青峰くんはどんなときよりも輝いていて、楽しそうで……、……好き、だったんです」
「でも、オレはそのせいでお前を……っ!」
「自業自得ですよ。……あの時のボクは、多くの物を欲しがり過ぎた。見た目はそうでもなかったかもしれないですけど、野望に燃えてたんですよ。青峰くんには立派なバスケ選手になって欲しい。NBAプレイヤーとして世界に羽ばたき、活躍して欲しいって。だから、どうしても、……新しいバッシュを、プレゼントしたかったんです」


ずっと、黒子っちはそのことだけを考えていた。
黒子っちの中心にはいつも青峰がいて。青峰のためならば、どんな汚いことだって出来た。
中絶手術をした後だって、それほど後悔はしなかったっていう。子供が産めない体になってしまったことは悲しかった。だけど、それ以上に。

「これで、青峰くんは絶対にボクから離れることはないと、確信しました」
「……」
「青峰くんは罪の意識を持って、永遠にボクの側にいてくれる。高校卒業後にハレ婚の話を聞いたときは驚きましたけど、それすらも……、子供を産めないボクの代わりに、産んでくれる人を妻に迎えるだけだと。そう、思いこんで、納得していました。……少し、やきもちをやくこともありましたけど。赤司くん、あの頃はすいません、ボクも子供だったので」
「……好きな相手が他人を妻に娶って良い気分でいる人間のほうが稀だろう。ボクは、テツヤの存在を疎ましく感じたことなんてなかった」
「……ありがとうございます。……赤司くんがそんな人だから、ボクは、二人の結婚を受け入れることができた。時期がきて、青峰くんがボクを第二夫人に迎えてくれたときも、純粋に喜べた。家庭は円満で、ボクはずっとこの時間が続くと信じてました。そんなとき、……黄瀬くんが、ボクたちの前に現れた」
「……っ!」

話の筋に自分の名前が加わったことで、極度の緊張が体を駆け抜ける。
だけど黒子っちは、そんなオレを安心させるように優しく微笑み掛けて。

「本当に嬉しかったんです。これでも、ボクはずっと青峰くんと一緒にいたんで……、青峰くんが、誰と一緒にいる時が一番いい顔をしているのか、よく知っていた。その相手が、青峰くんと一緒になってくれた。……これ以上に幸せなことは、ないと思えました」
「で、でもオレ……、全然、嫁らしいこと出来なくて……」
「まあ、初夜を添い寝だけで終わらせたと言われた時は頭にきましたけれど。……でも、君たちらしいなって、すぐに思えましたよ。結婚しても、君たちは中学生同士のように微笑ましくじゃれ合って、笑い合って……、言いたいことを正直に言い合える二人を見ているだけで、心が洗われるようでした」
「そんなの……、オレ、ほんと……」
「そして、君たちを見ているうちに、ボクの心境にもだんだんと変化が出てきたんです。……ボクも、まだ、欲しがっていいのかなって。そんな風に、思えるようになりました」

黒子っちの欲しい物。
それは、青峰の幸せだけだと思ってた。
だけど、黒子っちは言う。青峰中心だった自分に、別れを告げるような表情で。

「ボク、昔から保育士になりたかったんです。……地元のツテで保育補助のパートとして雇って貰ってましたけど、それだけではなく。きちんと児童教育の勉強をして、資格を取って、……正式な保育士として、働きたいって。そんな夢を、思いだしました」
「……!」
「ずっと、青峰くんに頼りっぱなしだった。だけど、まだ、ボクも、……自分の足で、歩けるかも知れない。そう思ったら……、実現、させたくなったんです」


そんなの、欲張りでもなんでもない。
誰にだってある。純粋な、目標だ。
だけど、それと、青峰との離婚とは話が違うと思う。結婚していたって、主婦のままだって、資格の勉強は出来るはず。そう言おうとしたけれど、その前に、青峰が口を開いた。

「分かった。お前がそう決めたなら、もう何も言わねぇよ。……今まで、苦労かけたな、テツ」
「あ、青峰っち?!」

まさか、当の青峰がこんなにあっさりと身を引くなんて思わなくて、びっくりして視線を向けると、青峰は僅かに微笑みながらじっと黒子っちを見詰めていた。

「正直、オレはお前を手放したくねぇ。でも、……どうせ何言ったって聞かねぇだろ、お前は。……オレの嫁になってちょっとは丸くなったと思いきや、相変わらず……頑固者だ」
「……すいません、我が強くて」
「いや。……いいよ。オレは、お前のそーゆうとこが好きだった」
「……」
「おとなしそうな見た目のくせに、根性据わってて、負けん気強くて。……大したタマだよ、お前は」
「……はい」
「……何か困ったことがあったら、いつでも帰って来いよ。……それまで、この指輪は預かっとくから」

ずっと握り締めていた拳を開いた青峰に、黒子っちは一瞬だけ泣きそうな表情になる。
だけど涙を見せることはなく。気丈に頷いて、代わりに笑った。

「ボクは自分の夢を、叶えてみせます。だから、青峰くんも約束してください」
「何だよ?」
「君も、好きなことを好きなだけ、していてください」

黒子っちの力強いその言葉に、青峰は虚をつかれたような表情をした。
そしてちらりとオレの方へ視線を向ける。「あー」って、罰が悪そうな声で唸って。頭をかいて、苦笑を浮かべて。

「わかったよ、約束する。……リハビリにはうってつけの練習台もいることだしな」

青峰にその約束をさせることは、黒子っちのささやかな夢のうちのひとつだったのかもしれない。







その場で特別離婚届に記入した青峰は、オレと赤司にも保証人として署名をさせ、用紙を黒子っちに渡したきり店を後にした。
「あ、青峰っち!ちょっと待ってよ……」
「涼太、先に大輝と共に、車に行って待っていてくれ。オレは少し、テツヤと話しておきたいことがある」
「え?!そ、そんなのオレだって……!」
「黄瀬くん、お願いします」

もう、二度と会えなくなるかもしれない。
青峰と黒子っちの二人で決めたこととはいえ、オレはまだ、黒子っちとの別れに納得出来ていなかった。
すごく名残惜しい。だけど、黒子っちに頭を下げられてしまえばこれ以上何も言えない。

「わ、分かったっスよ……。黒子っち!あの、いままでありがとう!さんざん迷惑かけて、お返しも出来なかったっスけど……」
「……いえ。黄瀬くんからは、かけがえのないものをたくさん貰いました。ありがとうは、こちらのセリフです。……青峰くんのこと、よろしくお願いします」

手を振って別れて、店を出た青峰の後を追いかける。
すると意外にも、青峰は店舗ドアの真横で蹲っていた。

「あ、青峰っち……?え?な、泣いてんスか?!」
「うるせぇ、泣いてねーよっ!!騒ぐな、テツに聞こえんだろっ」
「……ったく、しょーがないっスねぇ、そんなデカい図体して」

黒子っちの前ではかっこよく理解ある夫で居続けた青峰は、やっぱりかなりのダメージを負っていたみたいだ。意地を張る姿が情けない反面、妙に愛しくも思えた。

「ほら、青峰っち。立って。車んとこ戻らないと、ほんとに駐禁取られちゃうっスよ」
膝を屈めて、腕を伸ばす。掴まれって目で訴えると、睨むような顔をした青峰がしぶしぶオレの腕を取って腰を上げた。
「……まさか、テツにフラれる日が来るとはな」
「……そんなの、オレだってビックリっスよ。……でも、フラれたわけじゃないっしょ。黒子っちは、今もちゃんとアンタのことが好きっスよ」
「ああ?」
「……好きだから、離れなきゃって思ったんスよ。だって黒子っち、優しいんスもん。アンタのわがまま何でも聞いてたっしょ?……オレと、違って」
「……まぁな。あいつはお前みてぇにうるさくねぇし、……自力で夢を掴める奴だ」

黒子っちの強さを、青峰はきちんと認めている。
それでもこんなに落ち込んでしまうのは、まあ、好きな人に別れを告げられた身としては仕方のないことだ。

可哀相なやつだ。
大切な存在に去られた青峰は、……だけど、何もかも失ったわけじゃない。

「……オレが、側にいてやるっスよ」
「あ?」
「……喜べよ。オレはずーっと、青峰っちと一緒にいてやるって言ってんの。ほら、嬉しいっしょ?アンタの大好きなオレが、こんなこと言ってくれてるんスよ?良かったっスね青峰っち!最高の気分っしょ?」
「……はぁ。……そーかよ」

これは、ちょっと自意識過剰な発言だったかもしれない。
ため息で返されてちょっと恥ずかしくなる。だけど、言ってしまったものはしかたないので、貫き通す。

「黒子っちの代わりになる、とまでは言えないっスけど。……オレも、そこそこいい嫁になってやるから。オレで、ガマンしてくれよ」
「……あー」

またため息つかれるかもって内心ビビりつつ言い放った言葉には、小さな笑い声が返って来た。

「しょーがねーから、お前でガマンしてやるよ」

ひとまず、気を取り直してくれたようでオレはほっとした。







***



自宅にある黒子の荷物のことや、離婚届提出以外の法的な手続きについて赤司と話したのち、黒子は黄瀬に告げた言葉を赤司にも伝え、頭を下げた。

「ああ。大輝のことは、心配しないでくれ。オレ一人なら途方に暮れていたかもしれないけど、幸い、うちには涼太がいる。……テツヤが行動を起こした理由のひとつには、それも含まれていたのだろう?」
「……やっぱり、赤司くんには何でもバレてしまいますね。……そうです。赤司くん一人に彼を押し付けるつもりはなかった。……黄瀬くんがいたからこそ、ボクはこの行動を取ることが出来ました」
「……そうか」
「赤司くんが青峰くんの妻として頼りなかったというわけじゃありません。……ですが、赤司くんにとっては、きっと……」
「……気を遣わせてしまったようだね。安心してくれ、オレも、過去とはきっぱりと決別している。今後も、涼太と協力して、共に大輝を支えてみせるよ」
「……赤司くん」
「そしてテツヤ、お前のことも。……大輝も言っていたが、この先、困ったことや辛いことがあったなら、いつでも訊ねて来てくれ。婚姻契約が解消されたとしても、オレたちとテツヤは、……家族にほど近い、友人だ」
「……はい」

差し出された赤司の手を握り返し、黒子は力強く頷く。
そうして家族との別れを終えた後、赤司を店から送り出した黒子は、住居である二階から下りて来た中年男性に気付き、声を掛けた。

「カゲトラさん、おはようございます」
「おう。……青峰いなかったか?お前が来るまで待たせろってうるせーから、留守番させといたんだけど」
「はい、先ほど帰りましたよ。入れ違いになってしまいましたね」
「そーか。……ついて行かなくて、本当に良かったのか?」
「……はい。彼はもう、大丈夫です。それに、ボクも……」

これからは、一人で。誰にも頼らず、生きる術を身に付けたい。
その決意に満ちた黒子の目を見て、相田は苦笑を浮かべながら「そうか」と頷いた。

「で、黒子。ほかに客は来てねーか?」
「お客さん……ですか?まだ、営業時間ではないのでは……?」
「いや、この時間に寄ってくっつってた奴がいてな。青峰には伝えといたんだが……、あいつ、留守番もろくに出来ねぇのか」
「すいません、ボクも伝言を聞くタイミングを失ってしまいまして……、あ、」

相田の客について話をする機会もなく、黒子は彼らを見送っていた。
しかしその直後、店のドアが音を立てて開かれる。二人の視線がそちらへ向かう。そこに現れたのは。

「スイマセン、カゲトラさん!遅くなりましたっ!」
「おう、火神。よく来たな」
「……カゲトラさん、お客さんと言うのは」
「ああ、こいつだ。火神のこと、覚えてるか?」
「……はい」

思いも掛けぬ高校時代の知人の姿に、黒子は唖然とした。そしてそれは、相手も同様だった。

「黒子?……お前、黒子か?!」
「え?あ、ボクのこと、知ってるんですか?」
「知ってるも何も、同じクラスだっただろ。何だよお前、変わってねーな!」
「そう……ですか?」

朗らかで気持ちの良い火神の態度に、自ずと黒子の表情も和らいで行く。
高校時代の黒子は、青峰のことばかり考えていた。だから、他の同級生との思い出はほとんどないに等しい。
しかし、火神は自分を覚えていてくれた。その事実がやたらと嬉しくて、だけど「変わっていない」と言われたことがくやしくて。

「これからですよ」

胸を張って、宣誓する。

「ボクはこれから、すごく変わります」

その自信溢れる晴れやかな笑顔に、火神はしばし、視線を奪われた。













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