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▼ 14




目覚めた瞬間は、自分が何者でもないような気がしていた。
だがすぐに記憶と思考を取り戻し、瞬きを数回してから顔面に手のひらを押し付ける。

ここはオレのベッドの上であり、オレは気絶をしていた。
どうしてそんなことになったのか、その理由まできちんと理解している。
そしてオレ以外にそれを知る人物が、すぐ側で安らかな寝息を立てている現状も。

「う……」

早急に取るべき行動が何であるか考え、全身の神経に運動指示を送る。
身じろいだ瞬間、下半身に鈍痛が走った。紛れもない、情事の痕跡がここにある。

かっと頭に血が上り、少しの間、体が硬直した。
思考は冴え渡り、昨晩の行為をありありと思い出す。これで赤面しないと言うのは、相当な修行を積んだ僧侶でさえ難しいことなのではないかと逃避的なことを考えながら。

「……紫原」

それでも、後悔の気持ちはまるでない。
自分のすべてを曝け出した相手の寝顔へ再び視線を置き、その名前を呼び掛ける。
無防備な彼の顔は、平時よりもずっと幼い印象を受けた。意識の底から自然と沸き起こるあたたかい感情が、オレの頬をゆるませ。もう一度彼の名前を口にすると、ゆっくりと紫原の両目蓋が持ちあがった。

「ん……、赤ちん?おはよ……」
「……おはよう」

視線が交わるとやや気恥ずかしい気分が再発して、挨拶に応えた自分の声は上擦って掠れていた。
すかさず目を細めた紫原の指摘が入る。
「声枯れちゃってんね。……まぁ、無理もないか。いっぱい喘がせちゃったし?」
「……そのせいだけではないよ」
「ん?」
「……いや、そのせいだ。リビングへ移動し、コーヒーでも飲もう」

会話を続けると、喉の乾きを強く感じ、紫原を誘って上体を起こす。
再び下半身の鈍い痛みを思い出し、倒れ込みそうになるが、今は紫原の視線がある。気力を振り絞って起き上がり、剥いだ掛け布団から両足を出し。
「……紫原」
気絶して眠りについたにしては不自然な状況に気付き、紫原を振り返った。
「掻き出して拭き取っただけだよ。シーツは換えてないから、かぴかぴしてるっしょ?」
「……そう、か」
「ちょっと大変だったよ〜?呼んでも叩いても赤ちん起きないし、ほんとはオレ、もーちょっと……、あ、いや、何でもない」
「……途中、だったか?」

気をやった直前のことは、実はあまりよく覚えていない。
かなりの回数をこなした。一度や二度の射精では飽き足らず、気が触れたように再開を求め。快楽に従順になり、体の何処を触れられても気持ちが良くて、よく喘ぎ。ふつりと意識が途切れたあの時、どんな体勢で彼を受け入れていただろうか。

「や、……赤ちんが気絶してるのに気付いたの、イってから、だったし。最後はちゃんと中に出したよ」
「……そうか。それならば、良かった……」
「良いの?気絶してんのに中出しされたんだよ?」
「お前に消化不良な思いをさせる方がよほど嫌だよ…。根に持たれても困る」
「失礼だな〜、オレ、そんなちっさい男じゃねーし……。あと言っとくけど、赤ちん気絶してんのに、中出しされて可愛い声あげてたよ?もうさ、癖になっちゃったっしょ?」
「……覚えてないな」

揶揄の言葉に薄く笑い、都合の悪いことに関しては便利な表現を用いてかわす。
体内の後始末を行ってくれたことは素直に礼を言い、ベッドから離れる。腰の痛みは相変わらずだったが、歩けないほどではない。

紫原はどうだろうと様子を見る。まるでダメージを受けた様子のない彼は、易々と起き上がり、肩や首を軽くストレッチした上でオレの後に続いた。

「朝飯の前に、シャワー浴びてきなよ」
「そうだな。お前も一緒に入るか?」
「……んーん、オレは赤ちんの後でいい」

当然、乗ってくると思っていた誘いをあっさりと断られ、驚愕と落胆の意を込めて彼の顔を見る。
すると紫原はやや決まり悪そうな表情を浮かべ。

「昨日の今日で赤ちんの裸見たら、また、襲いたくなっちゃうし」
「……それは、困るな」
「でしょ?そう言うと思った。……だから、いいよ。オレはシャワーくらい自分で浴びれる。一週間で、そこまで回復してんだから。……明日からは、何が何でもひとりでしなきゃなんないし?」


その言葉に、別れの時間が迫っていることを知らされる。
もう、オレが紫原の入浴に付き添い、サポートすることは出来ない。今夜も、明日の夜も。紫原の側に、オレはいないのだ。
オレの代わりに片腕の不自由を補う人間はいるかもしれない。だが紫原は、高校関係者の手を借りるのは最小限に留めたいと口にした。

「あの人たちに借り作るのはヤなんだよね〜。治ったらすごいコキ使われそうだし」
「……オレに借りを作るのはいいのか?」
「赤ちんに借りなんて作ってないよ?手伝ってくれたのは、恩返し、でしょ?」
「……あぁ、そうだったな」

紫原はオレのサポートを受けることが出来なくなる。
そしてオレも。この一週間、常に側にあった紫原の気配を完全に手放せば、心許ない生活を送ることになるかもしれない。
自分で決めたことだ。それでも、体を繋いだ今は紫原を失うことに不安を感じてしまっている。
今からでも発言を撤回し、どこか、どこでもいい。二人でいられる場所へ行けないか?と考えを巡らせていると、紫原の視線を感じて顔を上げる。

「……何だ?」
「んーん。赤ちん、また心配そうな顔してんなって思って」
弱気な考えを持ったオレの心を見透かすように、紫原は意地の悪い笑みを向けた。
「やっぱ、オレと一緒に秋田に行く?」
「……いま、そのシミュレーションをしてみた」
「え?本気……?」
「インターハイの時のメンバー構成であれば、オレが入ることでより攻撃的なチームになるだろうね。紫原、お前がオフェンスに回ることはほぼなくなるだろう」
「え……」
「無論、相手チームの出方によっては一概にそうとは言えないが、オレが陽泉のゲームキャプテンを務めることになれば……」
「ちょ、ちょっと待って!赤ちん、うちに来ても主将張るつもり?!無理だよ、今の主将は雅子ちんが指名したセンパイだし、そんなわがまま、うちじゃ通じないって!」
「……それもそうだな。お前の話し振りから想定するに、荒木カントクから指揮権を譲り受けるのは若干骨が折れそうだ」
「……赤ちん」
そこで紫原は苦々し気に顔を歪め、首を振った。
「……あのさ、やっぱうちに来るのやめよう?雅子ちんと赤ちんが揃ったら、なんか大変なことが起こりそうな気がする……」
「どういうことだ?さすがにオレも、年上の女性とお前を奪い合うようなことは考えていないけど」
「それはそれで嬉しいけど、そうじゃなくて……、雅子ちんと赤ちん、厳しい練習については気が合いそうだから……、部員がへとへとになっちゃうよ」

雅子ちん一人でも充分きっついのに、と項垂れる紫原を見て、少しばかり彼女に対する対抗心のようなものが生まれてきた。
紫原の活かし方について彼女と議論するのも楽しそうだが、それ以上に。彼女が指揮を取るチームに立ち向かい、勝利したいと言う欲求だ。

その勝負を実現するためには、オレが紫原のチームに加わるわけにはいかない。
逆に、紫原を陽泉から引き抜いて洛山へ加入させる、という案も思い浮かんだが、我がチームには優秀な能力を持つメンバーが揃っている。あえて紫原を洛山で起用するためにはチームの基盤から組み立て直さなければならない。以前に比べ、連携面でもうまく噛みあっているオレのチームは現メンバーであるからこそ、強いのだ。

「赤ちんが大人しくしててくれんなら連れてってもいいけど〜……」
「……それは、……難しそうだな」
「赤ち〜ん……」
「だから、……オレは洛山に帰り、メンバーそれぞれの実力の底上げを図り……、決して敗北する事のない、最強のチームを作り上げる。もちろん、お前たちにも負けはしない」

唐突な宣戦布告に紫原は目を瞠った。
自分でも、今になってこんな気持ちが沸き起こってきた事実に驚くが、同時にどこか懐かしい感覚が胸中に広がる。
その感覚の正体を、オレよりもいち早く見抜いた紫原はやや呆れた様子で嘆息し。

「ねぇ、赤ちん?……消えた、って、嘘じゃない?」

「彼」の強い意思は、今も尚、オレの瞳にしっかりと焼き付いている。
その目を見て、紫原は苦笑を浮かべながらもどこか嬉しそうに、はっきりと宣告した。

「やっと、赤ちんらしくなったみたい」

オレを苦しめた喪失感と孤独感は、こうして無事に解消された。





昼前に家を出て、東京駅へ足を向けた。
近い出発時刻の新幹線の乗車券と特急券を購入する。予め決めたように、紫原の荷物を持って、ホームに入って来た新幹線の指定席へそれを運んだ。

車内の混雑状況は非常にまばらで、紫原の席の横に乗車する人間はいないようだ。
出発時刻までもう少し時間がある。オレはその席に腰を下ろし、最後の別れを惜しんだ。

「荒木カントクやセンパイたちに、あまりわがままを言うなよ」
「……おかーさんみたいなこと言わないでよ……。赤ちんこそ、オレがいなくて寂しいからってチームの人たちに変なことしないでよね」
「変なこととは?」
「だから、そりゃ……、昨日オレにしたこと、とか」
少し顔を赤くした紫原に釣られて、気恥ずかしい記憶を呼び醒ます。ここで、蒸し返されるとは思わなかった。
「……するわけがないだろう。お前以外にあんな醜態を晒すなんて、耐えられないよ」
「絶対だよ?今度会うとき、確かめるから」
「用心深いな……。いいよ、存分に確認してくれ」

その頃は、紫原の負傷も完治し、ギブスが外れていることを強く願う。
一切遠慮なく付き合って貰おう、と口にすると、紫原は顔を引きつらせ、「昨日もわりと遠慮なかったよね……?」と言う。それには笑みを返すのみに留めておいた。

「それじゃあ、そろそろオレは……」
「待って、赤ちん、……最後」

席を立とうとしたオレの腕を引き、小声でそう言った紫原の唇がオレの唇に重なった。
触れて離れて。至近距離を保ったまま控えた声で彼は続ける。

「こんなことさせんのも、オレだけだからね?」
「……他の人間に代わりが務まるわけがないだろう。少しはオレを信じてくれ……」
「でも、赤ちん一気にエロくなったから……」
「……紫原、昨晩オレが言ったことを覚えているか?」

おまえ以外の人間に頼らずとも、寂しさを感じた夜にどうすればいいかは心得ている。

「「おかず」となる記憶は充分にこの体に叩き込んで貰った。せっかくだから、フル活用させて貰うよ」
「……それは光栄だけど、そういう発言をさらっと言うのも控えたほうがいいよ。なんか、らしくないし……」
「オレにどんなイメージを抱こうと勝手だけど、お前が嫌だと言うのなら留意しておくよ。他に、気になることは?」
「……いっぱいあるけどね。柔軟そうに見えて頑固なとこも、気が強くて厳しいけどちょっと弱ると見てらんないくらい痛々しい感じになるとこも、隙がない割に押しに弱いとこも……、らしく、ない」
「そんなに嫌いなところがあるのか?」
「そうじゃないよ、全部、オレの理想そのもの。……憎たらしいくらいにね」

オレにはそこそこの欠点があるようだが、こんな言い方をされてしまえば改善を検討するわけにはいかない。
客観的なアドバイスとして受け取り、今度こそ席を立つ。ちょうど、発車を知らせるアナウンスが車内に流れた。
急がなければ、本当に京都へ帰れなくなる。そう思いながら紫原に挨拶を告げ、ホームへ下り立ち。

車窓越しに紫原と視線を交わしたその時、彼の唇がはっきりとしたメッセージを象った。



ゆっくりと動き出し、加速を増し行く新幹線を見送った後もしばらくオレはその場から移動することができなかった。
最後にこの眼に焼き付けられた紫原の口の動き。音声の伴わぬ短いメッセージが、これほどまでにオレを動揺させるとは。あの男は本当に、オレの調子を狂わせるのが上手い。

「……参ったな」

たったいま、別れたばかりだと言うのに。
もう、逢いたいと思っている。
そして、おまえがオレに残した置き土産の言葉をそっくりそのまま返したい。
憎らしいほど混じり気のない純粋な感情は、別々の肉体であっても常に共有できることを証明するために。
声で、態度で、表情で。ひとつの感情を、照合しよう。

(愛してる)

肉体が分離していても。地球上の何処に立っていたとしても。
まったく同じ気持ちを抱えている、そんな存在がオレにはいる。

その事実はオレの心を広く満たし、支えとなり。
確固たる足取りで、自らの日常生活を歩み始めた。













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