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おそらく、このメンバーの中でもっとも食事量が多いのは紫原だろう。
いくら紫原が負けず嫌いであり、黄瀬に唆されたとしても、この中では一番だという意識があれば容易く挑発に乗ることはなかったかもしれない。
だが黄瀬は巧みに紫原の競争心をコントロールしてみせた。

「今度火神っち連れてきてみよ。紫原っちもギブした丼完食したら、まじ男っスよね!」

火神大我の食事量。それは予め黒子からげんなりとした様子で聞かされていたが、先日の食事会で実際に目の当たりにして驚きを禁じ得なかった。
彼はよく食べる男だ。それなりに立派な体格をしているが、力士なみの食事量をけろりとして平らげる彼の様子に、紫原が良く分からない敵愾心を燃やしていたことは覚えている。

オレの異変に紫原が気付かなければ、あの場は火神と紫原のフードファイトの場と化していたかも知れない。

その火神を引き合いに出されれば、紫原は易々と「誰もギブするなんて言ってないじゃん」と表明し。まんまと黄瀬の勧めるメニューを注文し、たったひとりで平らげた。



オレと緑間と黒子の三人掛かり、そして黄瀬と青峰が二人掛かりでやっと食べきる事の出来た量をひとりで胃袋に収めた紫原は、当然しばらくの間身動きが取れずにいた。
ゆっくりと場所を移動し、食後の腹ごなしと近場の公園で1on1を始めた黄瀬と青峰はまだまだ余力が残っていたのかもしれない。紫原には及ばないが、彼らもなかなかの大食漢だった。

紫原の快挙を目にした黄瀬は素直に「すごい!さすが紫原っちっス!!」と大絶賛していたが、はたして紫原にその賞賛はどれほどの価値があっただろう。ベンチに座り、空を仰いで腹をさすっている彼の心境を窺い知ることは出来ない。
この分なら本日の夕食は必要ないかもしれない。黄瀬たちのように摂取したカロリーをすぐに消費できるのならまだしも、負傷中の紫原にそれは無理だ。時間を掛けて基礎代謝による消費を待つより他はない。

「緑間っち、赤司っち!二人も混ざってやんないっスか?」

しばらく四人でじっとしていたところ、黄瀬から声が掛かり顔を向ける。
怪我人である紫原はともかく、黒子に声が掛からなかったのは彼の様子を見れば分かる。オレと緑間の半分程度しか食していなかったはずだが、黒子も紫原同様に満腹感によって身動きの取れない状況と化していた。

正直に言えばオレもまだ動きたくはない。
黄瀬たちと対決するのは吝かではないが、体が言うことを聞くだろうか。
そう思いながら隣にいる緑間の顔を仰ぎ見ると、彼はオレたちとは打って変わって平然とした表情をしていた。やはり体格の差は強大なのかもしれない。

「どうする?赤司」
「そうだな……、あまり俊敏な動きは出来ないかもしれないが、……せっかくの機会だ。やるか」

重い腰を持ち上げ、黒子と紫原に参加の意思を伝え、黄瀬たちの元へ歩み寄る。
じゃんけんでチーム分けを行い、オレは青峰と組むことになった。自力突破を極力控え彼を動かすよう、パス出しに専念することを決めた。




何度かの攻防を経て、相手側の連携に歯車の狂いが生じたのを感じ、自身の体力の都合を考え敢えて二人の仲違いを促進させ、黄瀬の口から「だったら緑間っち!1on1で決着つけるっスよ!」という言葉を引きだすことに成功した。
幸い、ボールはひとつしかない。彼らが個人的な勝負に出るというのならば、オレと青峰は休息を取るよりない。

隠すことなく安堵の息を漏らすと、間の悪いことに側にいた青峰に聞き留められてしまった。

「お前……、わざとあいつらが1on1するように仕向けただろ」
「人聞きが悪いな。見たままの状況を伝えたまでだ。わだかまりが残ったままでは、後味が悪いだろう?」
「……っとに、悪知恵の働く頭してんな。で?赤司」
「何だ?」
「何だ、じゃねーよ。随分調子悪そうじゃねーか、お前。……京都に戻れない理由でもあんのか?」

妙なところで頭を働かせるのは誰だ、と言い返したい衝動を堪え、代わりにため息をひとつ零す。
紫原たちがいるベンチは視界に入るが、この距離で会話が聞こえることはないだろう。

「本調子でないことは確かだよ。やむにやめれぬ事情があってね」
「紫原が関係してんの?」
「……なぜそう思う?」
「やり合いながらチラチラあいつのいる方見てたじゃねーか。黄瀬はどうだか知らねぇが、緑間も勘付いてたぜ。……ほんとならお前にこんなこと聞いてやるのはあいつの役目なんだろうけど」

視線を緑間へ向け、青峰はやや不機嫌そうに目を細める。
そうか、オレの状態は彼らに勘付かれるほどひどいものだったのか。そして青峰の目論見を外させ、その役目とやらを青峰に押し付けたのはオレの言動のせいらしい。
ならば、隠し通せないだろう。正直に、自分の身に発生した状況を彼に打ち明ける。

「先の試合中、「彼」との人格統合を果たした。その影響かどうかは分からないが、今のオレは非常に情緒不安定でね。……負傷でチーム練習に合流出来ない紫原に、救助を求めたんだ」
「救助?」
「……オレの状態を分かり易くたとえるならば、同居する家族の一員を失った直後のようなものだ。分かっていたことだが、予想以上に辛いものでね」
「お前……まさか」
「ああ。紫原に常時寄り添って貰うことで、その孤独感を解消していた。そのうちにオレは……彼を、自分の別人格だった存在のように想うようになってしまった、らしい」

簡潔にまとめたこの内容は、青峰にとっては信じ難いもののようだった。
しばしの間言葉を失い、オレの横顔を凝視する視線を感じる。目を合わせてやりたいが、今のオレには叶えそうにない。

「紫原……になぁ。……逆じゃねーの?あいつがお前に駄々こねてるとかじゃ……」
「いや?……紫原は、打ち上げを行った日の夜にでも秋田へ戻るつもりでいた。……オレの異変に気付いてしまったのは、彼にとっての最大の不幸だ」
「あぁ?お前、あの時おかしかったのか?」
「……彼に声を掛けられるまでは、平静を装えていると思っていたのだけどね。訊ねられても、誤魔化せると思っていた。だけど……思いの他、上手く行かなかった」
「へぇ。良く分かったじゃん、紫原の奴」
「あぁ、オレにとっても、他の誰でもなく紫原に見抜かれたのは想定外だったよ」

それは今日、黒子からの連絡を受けた直後に気付いたことだ。
あの店で、偶然座った席の隣に紫原がいた。
テーブルを挟んで向かいの席には緑間もいたし、試合中、オレの人格統合にもすぐに気がついた黒子とも言葉を何度か言葉を交わした記憶がある。そのどちらも、他人の感情変化に敏い繊細な男だ。
そんな彼らさえ悟ることのなかったオレの異変をいち早く見抜き。大丈夫か?と声を掛けて来たのは、紫原ただ一人だった。

「その声掛けひとつでオレは気を緩め、正直に自身の状況を打ち明け、救いを求めた。……怪我を理由に、チームへ戻るのを延期し、オレの側にいて欲しいと」
「……マジで、お前が先、なのかよ?」
「そうだよ。……現在、紫原にはオレの実家で生活を送って貰っている。あの通り、彼は片腕が不自由だから、食事の提供や着替えなどのサポートはオレがしているけれど……、オレがそうしなくても、秋田に戻れば彼の生活をサポートしてくれる人はいくらでもいる」

決して、負傷者である紫原が生活援助者を求めてオレを頼ってきたわけではない。
彼には、その帰りを待ち、進んで支援してくれる人間は多くいる。
だがオレには、「彼」の代わりとなる紫原のような存在を現在の住居で探し出すことはできない。

「代わりって……。お前の別人格、とかいうやつのだろ?なんねぇだろ、紫原じゃ」
「「彼」そっくりの存在を求めているわけじゃない。おそらくは……、最初は、誰でも良かった」
「……都合よくお前の側にいてくれる奴なら、誰でも、か?」
「あぁ。……たまたま、あの場で隣にいて、オレの異変に気付いた人物が紫原だった。事情を打ち明ければ、彼は……、同情してくれたのだろうね。すぐにオレの望みを聞き入れてくれたよ」
「ふぅん。……で、結果は?」
「……残念ながら、お前の想像通りだろう」

打ち上げの席では、紫原以外の誰もオレの異変には気付いていなかった。
それなのに。今この場では、青峰、そして彼が言うには、緑間にも悟られている。

一週間と期限を設け、その間に順応を試みるつもりであったが、これでは悪化していると言っても過言ではない。

「そりゃ、どう考えても人選ミスだろ……。あのマイペースで何考えてっか分かんねぇ紫原が、他の奴に気ぃ使うわけねぇって分かってただろ?」
「人選ミス……?」
「そーだよ。……大体、お前学生寮で暮らしてんだろ?だったらわざわざ実家に他人を呼ぶまでもねーじゃん。京都に帰りゃ、同じ学校の奴らがごろごろいんじゃねーか」
「……あぁ。それはそうだが、彼らは……」
「昔っからの知り合いじゃなきゃヤダっつーなら、他にも選びようがあっただろ?テツでも緑間でも、もっとお前に気を使えそーな奴が。……なんで、紫原、だよ」

今にも、「バカじゃないのか?」と言い出しそうな青峰の表情を見て、少し考える。
彼の言う通り、オレにも、孤独を癒してくれる存在は紫原以外にもいた。
同じ高校のバスケ部員には、現在のオレをよく分かってくれている者もいる。寮生活を送る中で、寝食を共にしているといっても変わりない。
中学を卒業してからはろくに対面していない元チームメイトよりも、「孤独を埋める者」としては適任だろう。

新幹線で移動する手間も惜しむほどに重症だと言うのならば、他にもオレを支えようとしてくれる者はいた。
緑間や黒子は、たしかに思いやりがありよく気のつく人間だ。紫原にしたように、自身の事情を打ち明け、救助を求めれば。容易くその手を差し伸べてくれただろう。
青峰や黄瀬とて、こう見えて義理人情に厚い性格をしていることをオレはよく分かっていた。
たとえ、すぐにチームの練習に合流する必要があったとしても。今の時期、差し迫って大きな大会は予定されていない。切迫したオレの事情を知った彼らは、多少自分の生活を犠牲にしてでも今のオレに必要な処置を行ってくれただろう。

なぜ、紫原だったか?
隣に座っていた人物が他の誰かであり、オレの異変に気付き、オレの望みを承諾してくれたのなら。オレは紫原ではなく、その人物の腕に縋っていたのか?
紫原の負傷を理由としたのは、どう考えても後付けだ。願いを口にした瞬間、オレの脳裏に他校のチーム事情を慮る余裕などはなかった。

誰だって、良かった。
ひとりでいなくて済むのなら。側に他人の存在感が欲しいだけ、なら。

……本当、か?


「とにかく、お前はいったん紫原から離れてみろ。あいつじゃ無理だって分かっただろ?」
「……青峰」
「テツんちにでも行けよ。……あー、そういや、火神が一人暮らししてるっつってたぜ?他の家族いる家じゃ落ちつかねぇってなら、テツと一緒に火神んちにでも転がり込んで……」
「……それでは、駄目だ」

青峰が、オレの現状を冷静に分析した上でこの提案を差し出したことは充分理解できる。
その提案は、もっと早くに受け取っていたなら。あの打ち上げ会場で、紫原に異変を悟られるよりも前だったなら、有難く思いながら実行していたかもしれない。

だが、もう、……遅い。


「紫原と共に過ごしていて、孤独を忘れられたのは確かなんだ……。彼はお前の言うとおり、マイペースで考えていることがよく分からない。……精神の安定を図る目的で支援を求めるには、適さない人物かもしれない」
「……んでも、お前はいっそう調子悪くなってんだろ?」
「ああ、そうだ。……紫原の本意が読めずに、戸惑いを感じている。紫原と会話を交わし、笑い合ううちは「彼」の喪失を強く意識せずにいられたが、紫原は唐突に「彼」の話題を口にするんだ」

昨夜のことだ。はっきりと覚えている。
自分から「彼」の話題を出しておいて、動揺したオレにあっさりと「忘れろ」と要求し。
それは無理だと拒絶すれば、「未練を残しておけ」と直前の要求を撤回する。
拍子抜けするほどころころ変わる彼の言動に振り回され、あの時落胆したのは、彼に突き放されたような気がしたからだろう。
そうしておいて彼はオレに一週間と言う期限を突き付け、それが破られる場合にはオレを自分の現在の生活場所へ連れて行くと。冗談としか思えない発言を、真剣な顔でするものだから。

「……そうされたいと、思ってしまった」
「……赤司?」
「欲張りなことだよ。オレは、かつて「彼」が自分の中に在った事実を忘れることもせず、「彼」がまるでまだ自分の近くにいるように、「彼」の代わりとなる存在……紫原を、ずっとオレの側に置いておきたいと。そうすれば、オレの欲求はすべて満たされると考えた」
「そりゃ、……お前」
「そんなオレに、紫原は……、至極正論に近い回答を、与えた」

それならば、新しい人格を作り出せばいい。
紫原という、別の思考を持つ別の肉体ではない。赤司征十郎の体内に、再び新たな人格を生み出せば。オレの望みはもっとも正しい形で昇華されると、彼は言った。

「……紫原にとっちゃ、重荷だったんだろ。まぁ、普通ならもっと遠回しに言うとこだろうけどな。二重人格のうちのひとつが消えたからって、その代わりなんざ誰も引き受けたがらねぇよ」
「……青峰、お前に紫原のことが言えるのか?」
「あー、人選ミスだよ。オレも紫原も似たようなもんだ。だから言ってんだろ、テツや緑間に当たれって」
「……いいんだ。それならばそれと、はっきり言ってくれてかまわない。オレ自身、重く身勝手な願望であることは分かっている。だが、……違うんだ。彼は、……紫原は」

自分ではなく、他人に縋れとオレに示唆した。
新たな人格を作り出し、それと共に安全な場所へ逃げてくれ、と。

「……」

これは、青峰に伝えても良いことなのだろうか?
青峰の人柄は信頼している。やや粗雑なところはあるが、内密にしてくれと頼めば、他人に口外することはないだろう。

今のオレは、声に出さずに胸中で疑問を口にしたところで答えを示してくれる相手はいない。
他人に。言葉を介さねば何も伝わらない相手に説明し、返事を求めなければ。青峰は、怪訝そうな表情のままオレを凝視するのみだ。

だが、紫原は言っていた。

(赤ちんは一人でちゃんと考えて)

その記憶が、オレの声帯に残る言葉をその場に繋ぎ留めた。













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