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▼ 6





オレは、紫原に「君」の代わりを求めていた。
紫原は「君」とは異なり、いつまでもオレの側にはいてくれない。なぜなら、オレと紫原は肉体が分離している別の人間であるからだ。
最初から、紫原は「君」の代わりには成り得なかった。
記憶や思考を共有出来ず、思いもよらぬ言動に打って出る紫原に、「君」の影を求めることは間違っていたんだ。

それでもオレはこの二日間、充足した時間に身を委ねることが出来た。
「君」がいないことを強く意識することはなく。あれほど強烈だった喪失感も、いつの間にか消えていた。

これはいったい、どういうことなんだろう?
はたして、オレは本当に紫原を「君」の代替的な存在として認識していたのだろうか?
……もう一度オレの中に現れ、正しい答えを共に考えてくれないか?
行き詰ってしまっているんだ。これ以上もどかしい想いを抱え続けるのはやめにしたい。
「君」ならば、オレよりも冷静に状況を分析出来るだろう?
教えてくれ。オレは、どうしたらいい?

何を望んでいるのかも分からない。
考え過ぎて気が狂ってしまいそうだ。
「君」の助けが必要だ。
オレはまだ、一人では無理なんだ。

答えてくれ。
いつものように、オレが正しいと言ってくれ。
正しいと言うのは、どういうことだっただろうか?
それすらも分からない。オレは、何を間違えてしまったのだろう?



「……」

一晩中思考を巡らせていたオレは、カーテンの隙間から差し込む陽射しによって朝の到来を認識する。
ベッドに入り、目蓋を閉じていたものの、眠った感覚はまるでない。ヘッドボードに置かれた時計を見ると、針は平時の起床時間を示していた。
朝食の用意をしなければ。そう思い、気だるい四肢を叱咤しながら身を起こす。
立位になるとズキンと強い頭痛を感じ、こめかみを押さえて息を吐く。
こんなに酷い状態で朝を迎えたのは、生まれて初めてかもしれない。


昨晩カーテンを閉めて退室したはずのリビングの明るさに虚をつかれ、ドアを開けた状態のまま硬直する。
「おはよ、赤ちん」
「……おはよう」
昨日とは違い、オレよりも先に起床した紫原がそこにいた。
ダイニングテーブルに腰を掛けた彼の手元には、朝刊と思わしき新聞紙がある。敷地の門に郵便受けが設置されているが、紫原はすでに一度外を出て、朝刊を回収したのだろうか。
こちらへ視線を寄越すこともなく紙面を見詰める紫原にどんな声を掛けたらいいのか分からず、しばし逡巡する。ぱらりと、彼の指が紙をめくる音が妙に大きく室内に響き渡った。

「…朝食の支度をして来る」
沈黙に耐えかね言葉を発する。僅かに紫原の顎が持ちあがった。
「昨日買ってきたパンでいいよ。それなら時間は掛からないでしょ?」
「……わかった。飲み物は?」
「コーヒー。牛乳入れて」
「すぐに用意する」

紫原が簡素な朝食を希望した理由など、聞かずとも分かる。
昨晩の問いに対する答えを、急いているのだろう。

もう少し思案する時間は取れると油断していたオレは、一気に瀬戸際まで追い詰められる。
一刻も早く答えを出さなければならないのに。

それを先伸ばしにする手段ばかりを考えてしまう、脳の衰えは実に顕著だった。




無言の朝食を終え、テーブルを挟んで向かいに座る紫原の右手にあるカップの中身が僅かであることを確認したオレはもはや断頭台に立つ囚人のような気分で呼吸をしていた。
言葉を発することはなく、オレと視線を合わせることもしない紫原がオレの発声を待っているようには見えない。
もしかしたら、昨晩のことはなかったことに出来るのではないか?
うまく話題を誘導し、彼の意識を昨日の会話から逸らすことが出来たら。それまで通りの生活が、リスタートするような予感もあった。

それは単なる現実逃避に過ぎない。
問題を先伸ばしにするだけだ。それでも、時間を経れば今のオレには考えつかない最善の方法を編み出せる可能性は残っている。
紫原の言うとおり、オレのこの不安定な状態が今限りのものだとしたなら。じきに、「彼」を自分の一部と信じ込み、かつてのように自らの判断をすべて正しいと断定できるようになれば。

そうなればオレは紫原に「彼」の代償を求めることはなく、オレの側にいろという呪縛から解放することも出来るはずなのだ。


「……紫原」

意を決し、声を出す。
それは頼りなく掠れており、我ながら驚いた。

「なに?」
やはり視線を合わせることなく紫原は問い返す。
その硬質な声音にやや怯みながら、次の言葉を捻り出そうと唇を動かした、その時。

「…ッ!」
「電話?赤ちんのじゃない?」
「あ、ああ……」

ポケットに入れておいた携帯電話のバイブ音のけたたましさに息を飲み、紫原の促しを受けて電話を手に取る。ディスプレイに表示された名前は、紫原も知る共通の知人のものだった。

「もしもし?」
「あ、すいません、赤司くん。こんな朝早くから……、いま、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。どうした?」

着信相手は黒子だった。努めて平静な声を装い答えると、所在を問われ、正直に実家にいることを伝える。

「今日はまだこちらにいます?」
「あぁ……、もうしばらくは滞在する予定だけど」
「そうですか。でしたら、少し時間は取れます?」
「それは……」
「忙しいようでしたら無理にとは言いませんけど、赤司くんや紫原くんがこちらにいるうちにもう一度みんなで食事でも、と黄瀬くんから提案がありまして……」

穏やかな黒子の声を耳にしながら、視線を紫原に向ける。
コーヒーを飲み干した彼は手持ち無沙汰な様子で菓子パンの袋を結んでいた。

「そうだな……。それも、悪くはないが……」
「あ、もしかして紫原くんはもう帰ってしまいました?」
「いや、彼もまだ……」
「でしたら、連絡をお願いしてもいいですか?もし赤司くんが来れるようであれば、ですけど」
「……どういうことだ?」
「え?いえ……、紫原くんは、赤司くんがいないのであれば、僕らが誘っても来てはくれないかな?と思ったんですが……、どうでしょうか?」

どうだ、と聞かれても。
オレは紫原ではない。彼の気持ちを代弁することは出来ない。
と、黒子に告げるのは簡単だが、いま現在紫原に伝言をするのにもっとも最適な人物は、真正面にいるオレであるのは事実だ。

「わかった。確認後、折り返し連絡するよ」

通話を終了し、早速黒子の話を紫原に伝える。
この着信は天からの救いのようだ。彼に話し掛ける話題として、申し分ない。
もちろん、黒子の紫原に対する見解は伏せることにしたが。

「メシって……、こないだ食ったじゃん。また食うの?」
「オレたちが容易に集える機会はこの先あるかどうか分からない。せっかくだから、彼らの誘いに乗っておくか?」
「オレはいいけど。……赤ちんは、平気なの?」
「え?」
「こないだ、メシ食ってたときずっと変だったじゃん。あいつらといると、またああなるんじゃない?」

指摘を受け、過去を振り返る。
たしかにあの時はそぞろな気分であった。試合直後には感じなかった喪失感が、時間差で一気に襲ってきたのは、しかしその場の賑やかな環境が原因だったわけではない。
そう言えば、あの席でオレの様子がおかしいことに気がつき、声を掛けて来たのは、紫原ひとりだった。

「……いや、おそらく問題はない」
「そう?」
「あぁ。むしろ一人でいた方が、状況は深刻なものになっていたはずだ。静寂の中にずっと身を置いていれば、オレは……」

昨晩のように。
あるいはその前日。紫原の口から「責任」というワードが発せられた直後のように。オレは、答えの得られない問いかけを胸中で永遠に行っていたかもしれない。

「……」

そうならなかった理由は、至極明解。一人きりではなかったからだ。
会話をする相手がいた。オレに疑問を投げつける相手が。オレの疑問に答えを与える存在が、ここにいてくれた。
打ち上げの席で感じていた喪失感は、自然なものだ。それを封じ込められていた時間こそが、現在のオレにとって不自然な状態であり。

「……そうか」
「ん?何が?」
「いや。……紫原、お前さえ良ければ、黒子たちの誘いに応じたい。一緒に来てくれるか?」

視線の交わりが、久しぶりのことのように感じた。
すぐにオレから視線を外した紫原は、気のない様子で「べつに、赤ちんが行きたいなら付き合ってもいいよ」と答えてくれた。

その素っ気無い言葉の中に、どれほどオレの心を満たす要素が含まれているか、彼は知らない。





「オレの読み通りっスね!紫原っちはこっちにいると思ってたっス!」
「え〜、なんで〜?」
「怪我してんのに練習に戻るわけねーだろ、紫原が。ただでさえ練習嫌いがわざわざチームの練習見学するためだけに急いで帰りゃしねーだろ」
「練習嫌いって……峰ちんが言う〜?」

彼らは賭けでもしていたのだろうか。指定された待ち合わせ場所に到着した紫原の顔を見た途端、得意気に予想通りだったと言い放つ黄瀬と青峰の様子に、紫原はつまらなそうに唇を尖らせていた。

「赤司が残っていたと言うのは意外だったがな」
「そうですね、緑間くん。僕も、赤司くんこそ早々に京都へ戻られると思ってました」
「済ませておきたい用事があってね。チームメイトに断り、休ませて貰っている。……ところで、今日はどこへ連れて行ってくれるんだ?」

先日の打ち上げ会場となる店を選び、予約してくれたのは相田カントクだったと聞く。今日は黄瀬の発案だということだが、見渡す限り集合メンバーは先の試合に召集された者の一部。……中学時代の仲間だけだ。

「黄瀬ェ、どこだって聞いてんぞ?」
「それが、いいとこ見っけたんスよ〜。こないだ高校のセンパイたちと行ったんスけど、マジすごいっス。半端ないっス」
「すごいって……、メシ食いに行くんじゃないの〜?」
「ふっふっふ…、紫原っちもビックリ仰天間違いなしのすごいとこっスよ!期待してついてきていいっス!」

張り切って先導する黄瀬に続き足を進める後続の面々はテンションが低めだ。黄瀬が張り切れば張り切るほど、彼らのモチベーションは下がるようだ。
最後尾で彼らの背中を眺めながら、懐かしい日々を思い出す。交友範囲が広く、他者とのコミュニケーションを取るのが上手な黄瀬は、真新しいものを見聞きするとよくオレたちに声を掛け、挑戦を促した。
屈託のない黄瀬の態度に、初めは渋々といったていで付き合っていたメンバーも、次第に彼の提案にのめりこんで行き。気付けば真剣に熱中し、楽しんで取り組んだゲームやイベントも多々あった。

一時期は全員が別方向を向き、互いに敵と見做しておのおのの生活から切り離していたこともあったが、今では。試合となれば話は別だが、こうして全員が集合し、中学時代のように心置きなく過ごせるようになっている。


「やっぱり、効果覿面でしたね」

真横から聞こえた声に視線を向けると、いつの間にかオレの隣を歩いていた黒子が笑みを浮かべながら指摘した。
「紫原くん。赤司くんから声をかけてみて、正解でした」
「……あぁ。そんなことを言っていたね」
電話でのやり取りを思い出し、黒子の言葉を肯定する。オレ以外の人間が声を掛けていたらどうなっていたかは不明であるが、現在紫原がこの場にいるのは、オレが黒子の誘いを承諾したからで間違いはない。
「……以前、僕の誕生日にみんなで集まってくれたじゃないですか?あの時も、紫原くんを誘ってくれたのは赤司くんでしたよね」
「あれは……、お前に言うのも何だけど、黄瀬に頼まれたんだ。一度黄瀬が声を掛けて、断られたそうでね」
「聞いてます。赤司くんからお願いしたらすぐだったそうじゃないですか」
「紫原だって、心から応じたくなかったわけではない。……黄瀬の言うことを聞くのだけは嫌だと意地を張っていただけだ」
「僕、黄瀬くんと紫原くんって結構似てるとこあると思うんですけど……」

先を歩く紫原と黄瀬は、今も何やら言い合っている。
と言うより、紫原が黄瀬の発言にことごとく反発し、うるさい、静かにして、と迷惑がっている。だが、紫原の辛辣なその態度を受けても尚構わずに自我の主張を突き通す黄瀬の強かさもなかなかのものだ。
だが、二人の関係に決定的な亀裂が入ることはない。互いに互いの限度を知り得ているのだ。必要以上の距離に踏み込むことはなく、紫原が本気で怒りを露にしようものなら黄瀬はすぐに彼から離れ、また逆も然り。絶妙なバランスを保つ二人の関係は、喧嘩するほど何とやら、という格言を地で行っているようにも見える。

「微笑ましいほどに睦まじいな」
「え、そ、そうですか……?仲はいいと思いますけど、微笑ましいとは……」
「そうか?」
「僕から見たら、ですけど。微笑ましいのはあの二人の関係よりも、青峰くんを慕う黄瀬くん。それから……」
「あ!見えてきた!あそこっスよ、あの店!」

大声をこちらに張り上げた黄瀬に、会話を遮断してオレたちは視線を向けた。
黄瀬の指差す先には、一軒の店がある。幟が立ち並ぶその店は、一見してよくある定食屋のように見えた。

「え〜、ただのメシ屋じゃん。どこがすごいの〜?」
「メニューっスよ、メニュー。この店、メガ盛り専門店なんスよね〜」
「メガ盛り……専門?」
「そーそー、何頼んでも規格外のサイズで出されんスよ。センパイたちと行った時は誰一人完食できなかったんスけど、今日はどうっスかね〜?」

挑発的な眼差しを紫原に向ける黄瀬の意図が、なんとなく読めた。
黄瀬は紫原が都内に滞在していることを予想していた。それでも、敢えて直接声を掛けず、オレを使うことで確実に紫原を呼び出す手段を取った彼は。

「お店の人に聞いたんスけど、メニュー出して以来誰もひとりで完食できてないメガ盛り丼があるんだって。紫原っち、前人未到の達成感味わってみない?」

やはり微笑ましく感じるほど、紫原の挑発に余念がない。












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