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▼ 5





黛さんには内緒で造った合鍵を使用して玄関を開け、踏み込んだボクの視界に映ったのは想像以上にとんでもない光景だった。

「赤司くんっ!!やめてくださいっ!!」
「テツヤ?来たのか」
「?!黒子、おま…っ」

突然のボクの登場に目を見開いて驚く黛さんとは対象的に、その彼に圧し掛かった赤司くんは冷静な態度を崩すことなくゆっくりと体を起こす。
あらわになった黛さんの全身を目で確認し、着衣の乱れがないことにほっとする。良かった、僕は間に合ったんだ。
だけど黛さんの表情は、かつてないほど動揺していた。目尻に涙が浮かんでいて、今にも溢れそうな状態に気付いたとき、ボクの理性はぐらりと揺れた。
「…赤司くん、お願いします。その人に触らないで下さい」
それでも何とか平静を装い、黛さんの表情を歪ませている原因に嘆願する。
赤司くんが無言で体をずらすと、その瞬間黛さんは両手で自分の顔を覆った。

「見ての通り、千尋にはまだ何もしていないよ」
「……泣いてるじゃないですか」
「まだ泣いてはいないよ。だけど、これから泣くかもしれないね。どうする?テツヤ」
「……」

人の好きな人に手を出しておいて、赤司くんはまるで悪びれる様子もなく難しい質問をしてくる。
黛さんが泣き出してしまったらどうするかなんて、そんなことは分からない。何が正しい選択なのか、ボクには見通すことが出来ない。だけど。

「……謝ります」
たぶん、今のボクにはそれしか出来ない。
「黛さんを好きになってしまったことを、心から謝罪します。ボクに出来ることなら何でもします。黛さんがボクを許せないと言うのなら……消えます」

ピクリと、顔を覆った黛さんの手の指が軽く跳ねるのが見えた。
だけど言葉を発することはない。それがボクに、この恋の完全な終幕を予感させる。

「だから、赤司くん。……君も、二度と黛さんを困らせるようなことはしないでください」

ボクが彼への恋心を掻き消せば、赤司くんが干渉する理由はなくなる。
そうして、黛さんは再び平穏な生活を取り戻し。

何もなかったかのような日常を、送らせてあげることはボクにも出来る。




赤司くんが部屋から去ると、黛さんは顔を隠したままごろんと壁側を向いて丸くなってしまった。
「…あの、黛さん」
「……二度と来るな、っつっただろ」
やはりその叱責を受け、ボクは息を詰まらせる。
「……すいません、でも、ボク…」
「…オレは泣いてねぇよ」

色々と考えていた謝罪の言葉を捻り出すよりも早く、黛さんは温度の低い声でそう言った。
その声の調子から、嘘は言ってないと判断出来る。だけど、彼が傷ついているのは。

「赤司は、お前のためにオレにこうしたんだってよ」
「え……?」
「…オレのことは、道具か何かみてぇにしか見てない。…嫌な奴だ。常に自分が正しいってツラして、その考えを他人に押し付けて。……だんだん、本当にそれが正しいものなのかと思わせてくる。けど、……やっぱ、あいつには普通の人間の価値観は理解出来ないようだな。……でも、お前のことは大事らしい」
「黛さん…?」
「……泣いてんのはどっちだよ、黒子」

黛さんはボクに背を向けたまま、一度もボクの顔を見ていない。
だけど、彼は背中にも目がついているのだろうか。そうでなければ、説明つかない。

静まり返ったワンルームの室内に、ポトリ、とフローリングを叩く小さな音が響いた。


「う…っ、す、すいませ…」
「……」

指摘されたことで、堪えていた嗚咽が情けなくも溢れ出す。
慌てて服の袖で目元を擦り、拭っても。堰を切ったそれは、止まる気配を見せない。
床を汚さぬよう、せめてと思いボクは自分の服の袖で両目を隠した。すると。

「…泣いて謝るくらいなら、誰だって出来るだろ」

少しパニックを起こしていたのかもしれない。彼が近付く気配なんて、これっぽっちも察知できなかった。
目を覆うボクの両腕に、別の力が加わる。それほど強いものじゃない。だけどボクは抗うことはせず、彼の意思のままに涙で濡れた両目を彼の視界に晒す。

「あ……、」

目が合う。随分と、久しぶりな気がする。
黛さんの目の色はとても淡くてキレイだと、いま、気が付いた。

「…言っとくけど、泣きたいのはコッチだぜ?」
「……」
「東京来て早々、高校最後の大会でさんざん苦しませてきたよく分かんねぇ年下の野郎が押し掛けて来て、そいつは男のくせにオレを好きだとかほざくし、拒否れば高校時代の後輩が乗り込んできて意味不明な罵り受けて襲われる。こんな不幸あるかよ?」
「す、みませ…」

黛さんの言うとおり、謝るだけなら猿でも出来る。
だけど今のボクにはそれしか言えなくて、ますます黛さんを呆れさせてしまう。
軽くため息をついた黛さんは、それでもボクの両手を拘束したまま。そっと視線を床に落とし、低い声で呟いた。

「……でも、一番胸糞悪い気分なのは、今かもしれねぇ」
「え?」
その微かな呟きの真意がすぐには分からなくて聞き返す。少し間を置いて、黛さんはチッと舌打ちする。そして。
「…だから、二度と来るなっつったんだよ。そんな、自分が世界一傷ついてるみたいなツラ下げてオレの前に現れるんじゃねーよ、クソ。……泣くなよ」


眉根を寄せ、唇の端を歪ませて。
心底嫌そうに、黛さんは言う。
何が気に入らないのか。それは、ボクの表情や言動に関することに他ならない。

ボクの、涙が気に入らない。
それじゃあ、ボクは、どうすれば。

「…もう、いいっつってんだよ。お前は、泣くな」
「……泣きますよ。…失恋、したんですよ?」
「何だよそれ?」
「……好きな人に嫌われたら、誰だって…」
「嫌いだなんて、オレは一言も言ってないけど」




心臓が、かたまった。
両目を見開き、硬直する。
まるで死んだみたいになったボクは、黛さんの顔を凝視して。逸らしたままの視線がゆっくりと持ち上がり、再び視線がかち合うのを待った。

「ま、黛さん……それって…」
「…本当に、どうかしてるとしか思えねぇよ」
「え……」
「お前が、じゃない。……オレがだ」

黛さんの視線は上がらない。
だけど、彼の表情の変化はこの至近距離でとても良く観察することが出来る。
ほんのりと色付いた頬が、彼の羞恥を如実にあらわす。

「…それから、オレ、お前に好きだなんて一言も言われたことねぇけど?」



驚きのあまり強制的に止められていた涙の残骸のようなしずくが、ぽろっと自分の頬を伝う。
これで、最後だ。
黛さんがボクに泣くなと言うのなら、ボクはそれをなんとしても止めてみせる。
これ以上、嫌われたくない。少しずつ、ゆっくりとでいい。
ボクはまだ、彼への恋を終わらせられない。



「……好きです」



恋をしたことは幾度もある。
だけどそれが報われたことは一度もない。成就する前に、消滅してしまったものだらけだ。
ボクは、生まれて初めてこの言葉を口にする。

「ボク、黛さんのことが……大好きです」


ゆっくりと、黛さんの視線が持ち上がる。
待ち望んでいた、視線がかち合う。

睨むような目つきだ。気に入らないって、そんな顔をしている。
だけど、黛さんが気に入らないのはボクという存在じゃない。彼は言う。「だろうな」と。
自分から言えと言ったようなものなのに、「充分知ってる」なんて可愛げのないことを。

それから、答えを。

「……まだよく分かんねぇけど、お前に泣かれると困るし、お前がオレを諦めるのも腹が立つ。さんざんオレの生活掻き乱してきたんだから、責任は取れよ」
「はい、……ボク、黛さんを振り向かせてみせます」
「……正攻法で来いよ?泣き落としとか変な駆け引きとかはやめろ」
「分かりました。正々堂々、マンマークで攻めます」
「……監視アプリとかもなしだからな。オレに隠し事もすんな。それと、……ちょっと待て。黒子、お前、……どうやってこの部屋に入って来たんだ?」

黛さんに片想いを続けるための条件を次々と承諾していくうちに、黛さんはふと疑問を思い付いてしまったようだ。
隠し事をするな、と言われた手前もあるのでボクは勝手に合鍵を造ったことを正直に告白する。黛さんの顔が引き攣った。

「お前、やっぱり……」
「ここに来るなと言われた時に処分するつもりだったんです。でも、どうしても気持ちの整理がつかなくて……」
「……ハァ。まぁ、それはいい」
「え?」
「……持ってろよ。でも、オレの許可なしに上がり込むなよ?来るなら事前連絡は必ず入れろ」
「……っ、はい!!必ず、連絡します!」
「あともう一個、聞くぜ?」
「何ですか?」
「お前、この部屋に入って来たとき真っ先に赤司の名前呼んだよな?……何で、赤司がここにいること知ってたんだ?」

やっぱり、黛さんは馬鹿ではない。
あんな状況にありながらも冷静に周囲を観察し、疑問を解消しようとしている。賢明な人だ。すごく、好きだ。

「踏み込んできたタイミングも良過ぎるよなぁ?」
「……すいません、この部屋に盗聴器仕掛けてました」
「……そんなことだろうと思ってたぜ。どこだ?」
「外さなきゃダメですか……?」
「なんで許されると思ってんだよ。ダメに決まってるだろ……。んなもん付けとかなくても、……言いたいことがあれば、お前を呼んで直接話すよ」

ボクの好きなツンデレ黛さんに降臨され、ボクは泣く泣くコンセントに仕込んだ盗聴器を取り外す。ついでに、「これだけか?」と欲張る黛さんに負けて、トイレと脱衣所の盗聴器も外してしまった。

これで、ボクが一方的に黛さんを知る道具はすべてなくなってしまった。
そのことに落ち込んでると、黛さんは少し呆れた表情でこんなことを言ってくる。

「そんなに気になるなら、毎日ここに来てオレの生活確認してりゃいいだろ」

本当にこの人はボクを浮上させるのが上手になった。





こうして思わぬ大逆転劇を繰り広げたボクは、今日も学校帰りに黛さんの部屋に魚の干物ときゅうりとなすの漬物と、それからくさやの瓶詰めを持参して上がり込む。
通い始めたころに比べて引っ越しの段ボールの数は大分減り、室内には生活感もかなり出てきた。
その中で、ボクは二人で食べる分のごはんを炊き、黛さんは無言で本を読んでいる。
テレビもつけず、音楽も流れない。穏やかで、静寂に包まれたこの空間は、相変わらずボクが落ち着ける一番の場所だ。

「そういや、昨日、お前が帰った後に赤司から連絡があったけど」
「え……」

黛さんの本を一冊拝借し、彼の隣に座って読み始めたとき、ふと黛さんがそんなことを言い出してボクは身を強張らせた。
先日のことがあってから、ボクは赤司くんと一切連絡を取っていないし、あの人の話題を出すのは黛さんに申し訳ない気がして避けていたのに。またボクの知らないところで図々しく黛さんにコンタクトを取る赤司くんに、複雑な気持ちを覚える。

「んなツラすんなよ。お前のダチだろ」
「友達……ですか」
「あっちは確実にそう思ってるぜ?あいつ、友達少なそうだしな。一方通行にしてやるなよ」
「……ボク、その友達に好きな人を襲われかけたんですけど」

この恨みはちょっとやそっとじゃ水に流すことは出来ない。
そう思って表情を曇らせていると、黛さんはくすっと笑い。

「あいつ、いかにお前が他の男に大事に思われてるかオレに説明してきたぜ?初恋の男とは今も連絡を取り合う仲だし、中学ん時にホレてた相手もお前のことは特別に思ってる。火神は言わずもがなだし、……赤司も、もし自分が最初から恋愛の尊さを理解していたら、黒子をその相手に選んでたかもしれない、とか言ってた。オレにホレてる相手は、そんくらい価値の高い男だってな」
「……何ですか、それ」
成就できなかった過去の恋話を持ちだされ、不穏な気分になる。
だけど、その後。黛さんの言葉が、ボクの心を救った。

「でも黒子がそいつらと結ばれなかったのは、今オレとこうして半同棲みたいな生活を送るためだったってよ。……なぁ、黒子。お前、それどう思う?」


半同棲、という言葉の響きの甘美さに、ボクの鼓動は高まった。
それがたとえ、赤司くんの言葉を借りただけに過ぎなくても。黛さんの口から伝えられると、どうしてもボクはドキドキしてしまう。
黛さんは、受け入れている。ボクとの関係が、微妙に変化してきていることを。その上で、ボクから引きだそうとしている。

この恋を進展させる鍵となる言葉を。


「赤司くんの思い通りになるのは嫌ですけど、……それについては、同意します」

これは、運命の恋なんです。
だから、なりふり構わず叶えてみせます。


「黛さんと一緒にいられて、ボク、すごく幸せ、……む」



強い決意を持って、心からの気持ちを口にしようとして、途中で塞がれる。
信じられないことに、ボクの口を塞いだのは、黛さんの手。……ではなく。

「…お前ら、マジでさらりとクサイことばっか言うよな。流行ってんの?それ。……聞いてるほうが恥ずかしくなるから、ちょっと黙れ」
「ま、黛さん……?いま、あの……」
「……メシ、炊けたぞ。さっさと食わせろ」

赤くなった顔を背けて言う黛さんに、ボクの中の何かが弾ける。
どうしよう、このツンデレ大学生。可愛い。可愛過ぎます。
食わせて欲しいのはボクのほうです。おかずとか要りません。あ、ごはんじゃなくて、あっちの話で。

……でもあまり焦ると勿体ないから。
せいいっぱいの理性を奮い立たせ、ボクは黛さんのために炊き立てのごはんをよそるべくキッチンへと移動した。

今は、まだ。
穏やかで、安らぎを感じる恋愛を噛みしめるのも、悪くはない。









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